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あけましておめでとうございます2006年01月02日 14時37分51秒

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお付き合いください。

さて、1週間も更新を怠った私、去年のことからちょっと。

あれだけクリスマス考をしたにもかかわらず、クリスマスには、友人と大騒ぎ&子供みたいにプレゼント交換。このグループは浪人時代の予備校の友人なので、みんなてんでんばらばらの職業で、宇宙研究に携わる学者、1級建築士、医師なのだが、それぞれ酒豪。で、飲むと昔から、とても酒のつまみにはならないような話で盛り上がる。例えば、『私は』の『は』は格助詞ではなく、○○助詞だとか何とか。日本国憲法は、幣原喜重郎が当時風邪をひいていたがために、できた憲法だとか。それからなぜ風呂に入らないで寝ると、風邪をひくのか、とか。まったくあとから正気に戻って考えると、ばかばかしい話なのである。 でのち家族とおだやかに大騒ぎ。

年賀状は無事年内には投函できたものの、元旦に先様に届いたかどうか・・・・・・、こうなると、〒にはちゃんと消印を押して欲しい気がする。

そして晦日、大晦日は、おせち料理作り。毎年、作るのは絶対やめよう、きっと頭が痛くなって、疲労で風邪をひくから、と思うのだが、出来合いのものですませようと買い物に行くと、やっぱり食材を買ってしまう。で張り切って作る。家族に一品ずつ好きなものを言ってもらい、それを作ると立派な?おせちが出来上がる。

でもって、私は風邪をひく。決まってのどがはれ上がり、声が出なくなる。かかりつけの医者は、もう正月休みになっていて、自力で治すのである。

でもこのお正月という、日本人にとっては、年頭の一大イベントをしっかり楽しむために、私はどんなに具合が悪くても、寝るなんてもったいないことはしないのである。作ったごちそうは楽しくいただく。新年のために、無理して買ったちょっといいワインを飲む・・・・・・

そして後でダイエットをすればいいや・・・・・・と思う(~_~)

そんなわけで、声もでない私ことセルクル、楽しいお正月を迎えました。

このブログを開いてくれたかたに、いーっぱい、いーっぱい、いいことがある年でありますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

まもなく始動2006年01月09日 22時50分44秒

この連休中は、ほとんど外出もせず、家の片付けばかりしていた。本当なら暮れにするべきなのだろうけれど。それに、風邪の具合も熱はなく、たいしたことはないのだけれど、何せ咳がひどく出て、外に出て、使いモノにならないのである。

休みにも飽き飽きしていて、今年もやっと明日から本格的に始動という感じで、何だかほっとしている。

明日の午後は、ひょんなことで、3年ほど前から通うようになった『源氏物語を読む』という講座を受講しに行ってくるつもり。『源氏物語』なんて、高校&浪人時代に受験勉強でやむなくやっただけで、それ以上の興味もなかったのだが、いま読んでみるとなかなか面白く、世の女性の多くが興味を持つのもわかるような気がしてきた。私もそれなりの年齢になったともいえるけれども。 おまけにこの講座の講師が、高校時代の古文の先生で、実は受講生には私のような教え子が多い。厳しい先生で、高校時代にはとても恐ろしい時間だったけれど、いまでは万が一居眠りしていても、あてられたり怒られたりしないのはいいな。

さっき、父の古い知人から電話があって、今日手作りしたお豆の入ったおもちを送ってくれたとのことだった。私も幼いころからこのおばさまを知っていて、何でも手を抜かず、心を込めて物事をする彼女は、いつも,すごいなぁ、と思う。明日のおもちの到着が楽しみ。それにもまして、きっと同封されているだろう彼女の手紙はもっと楽しみ。

好みは薫君2006年01月10日 22時55分02秒

新年を迎えるにあたって、私もいくつかささやかな目標をたて、今のところ、なんとか続けている。それが何か、なんて、とても発表できるほどのことじゃないし、また言ってしまうと、それだけでヤル気が失せる怠け者だから言わないけれど、新年というのはやっぱり区切りという意味合いはあるようで、これが例えば7月2日だったとしたら、その日から目標をたててやるなんてことはありえない気がする。

そう言った舌の根も乾かぬうちから言ってしまうが、数年前からやろうとしていることが、今年も実行に移る前に、挫折なのである。何も今日、今年もだめだと思ったわけではなく、先月に入ったころから、今年も無理だな、と開き直ってしまったので、実は悠長に片付けものなどをしていたのだ。仕方ない、また頑張るさ。

今日の源氏物語は、あまりにも久々に行ったものだから、前回からずっと進んでいてびっくりだった。前回は『総角』だったのに、今日はいきなり『浮舟』(@_@)宇治十帖はあまり好みではない。が、それでも今日はなかなか面白い場面だった。匂宮と薫君がひとりの女性浮舟をめぐって、しのぎをけずるのだけれど、本日のハイライトは中将の君と弁の尼の、互いにちくりちくりとなされる女同士の会話であったろう。読むと面白いが、実際私がこのような会話をするハメになったら、弁の立たない私は逃げ出すだろうなぁ、と思ったのであった。   そうですね、私の好みは、薫君の方ですね(~_~)。

昨日、知人から連絡があった通り、夜帰ったら、お豆のはいったお餅が届いた。もちろん、良い塩加減で、最高。そして、お餅の片隅に、おばさま自家製の干し柿が入っていて、そちらも、最高。箱の隅のちょっとした隙間に、新聞紙などという無粋なものを詰めない彼女は、やっぱり素敵。そして手紙には、『この寒さで、スイセンもつぼみのままだよ。』とあった。そう、私はこのおばさまの丹精込めた庭に咲く日本スイセンの花が大好きなのだけど、私が好きだということを覚えていてくれたことにも感激だった。

料理を好きになりましょう2006年01月11日 23時59分59秒

101歳の現役スキーヤー三浦敬三(みうらけいぞう)さんが亡くなったという記事を読んで、少なからずショックを受けました。スポーツを自らやるのは好きだけど、スポーツ観戦は苦手なセルクル、しかしそんな私でも、「三浦敬三」さんのお名前は存じ上げていて、実はごくごく最近彼の著書『三浦家の元気な食卓』(昭文社 三浦敬三、三浦雄一郎、三浦豪太共著)という本を買ったばかりだったのです。

100歳過ぎても、なぜ頭脳明晰で、しかもヤワじゃできないスキーをできるんだろうという疑問をもっていたセルクルですが、答えはこの本にありました。いくつかの答えをみいだしたのですが、そのうちの一つはとても大きな要因なのだと感じました。なんと彼は、あの御歳で、自炊なさっていたのです。

自炊とひと口にいうけれど、これはとても大変なことです。献立を立て、買い物し、それを調理し、自ら食す・・・・・・これで終わりではありません。食後のいちばん幸せを感じている時にする後片付け。この一連の行為は生きることそのもの。それも彼の健康に対するこだわりは、半端じゃありません。

頭脳明晰なのは、彼にはスキーという強い動機があって、それに生活のすべてをかけているからこそのものであったと思いました。端的に言ってしまえば、彼は自分で健康を考えてご飯を作っていたから、しっかりしていたのだと思いました。

料理ってとても大変です。計画を立て、手順を考えて作らなければならないし、ちょっと慣れると、経済性や効率も考えたくなるもの。いくら料理やお菓子作りが好きでも、普段まったく気が乗らなくて、それでも作らなければならなくて(もう、この『ねばならない』というところがダメなのだけど)、そういう時はどうも美味しくない料理が出来上がるセルクル・・・・・・。でも料理することが高齢になっても、頭脳明晰に生きられるひとつの方法だとしたら、こんないいチャンスを毎日逃すことはない、と思いました。

世の、料理をしない方、とくに男性方、ぜひぜひ料理に挑戦してみてくださいませ。はじめはカレーでいいじゃないですか。認知症の予防になるのではないかと思います。

追:このように言ってるセルクルがどんなに怠け者かというと、料理に気が乗らない時で、自分ひとりの分だけつくればいい時は・・・・・・ 面倒だ、カップ麺で済まそう→買い置きを探す→あ‘-ポットにお湯がない→やかんで沸かそうと思う→でも、お湯を沸かすのも面倒→カップ麺のフィルムをはがすのも面倒→この2重の面倒をするくらいなら空腹の方がまし→空腹を忘れるために寝る ・・・・・・自分で書いていても、恥ずかしくなります^^;

彼女のフルーツケーキ2006年01月12日 19時49分23秒

昨日、お手紙が届いて、最近では、メールですましてしまうことがいかにも多く、新鮮な感じがしたのです。

手紙は、私の通うお菓子教室の先生のアシスタントをしていたTさんからで、6年近く前にアシスタントになったのですが、パリに修行に行きたいため、昨秋にアシスタントを卒業した人なのでした。といっても、手紙はパリからではなく、彼女の故郷の長崎から。いま、パリ行きのための準備期間らしいです。

彼女の作るお菓子は、本当に美味しいのです。緻密で手抜きがなく、正確。そしていちばん大事な食べ手を思ってる。彼女がアシスタントを辞した時、彼女にしばらく会えなくなるのと同じ位、彼女のお菓子を食べられなくなるのを本当に残念に思ったものです。

でも、もう一度食べる機会を得ました。パリにいくまでの間、通販でフルーツケーキを販売していると聞き、早速注文することにしました。

フルーツケーキは、一般的には実なりのフルーツ(クル実やレーズン、プラムなど)を入れて焼いたお菓子です。クリスマスやお正月によく作られるのには意味があって、こうした実なりのものを入れることで、生命の誕生や子孫繁栄を祈る意味があります。いろいろな作り方があります。

私自身が人にお教えするときには、自分で作ってあるミンスミートという、レーズンやオレンジピール、生のりんごなどをお酒に漬けて発酵させたものを使います。これは発酵させてある分、とても深い味わいになるのです。でも、スーパーのお菓子材料のところに売られているレーズンの洋酒漬けだけでも、手作りした分、とても良い味わいのものができます。

まずはバターをあわ立て、砂糖、卵をそこに加えていき、小麦粉、ミンスミートをあわせて、型に入れて焼きます。焼上がり後に、洋酒を塗ることもあります。

ところが、彼女のフルーツケーキは、聴いただけで、美味しそう。“りんごやバナナなどのフルーツを長時間煮込み、熟成させたフルーツジャム(チャツネ)を生地に練り込み、焼き上げました。カルピスバターを使用し、贅沢な味わいです”と彼女のリーフレットにあります。チャツネをフルーツケーキに使うなんて、すごい!と思いました。

あー食べたい!これから注文しよっと。(~_~)

科学者の怠慢2006年01月13日 22時07分00秒

雪、雪、雪。今日はやっと孤立は解除されたようだけれど、こんなに発達した現代で、雪で孤立する地域が出るって、どういうことなんだろうと考えてしまいます。それに、雪のせいで、亡くなられる方までいるなんて。

雪では東海道新幹線が止まるか、遅れます。ときには後からできた上越も。空港は滑走路が使えなくなります。(東北新幹線くらいの遅れなら、我慢できるけど。)

確かに自然の猛威に立ち向かえない、という大前提のような言葉があるけれど、そんな考えに乗じて、人間は怠っているんじゃないかと思います。

極論をいうようだけど、雪が降るのは、なにもつい最近からじゃなく、平安の昔からわかっていること。関が原に大雪が降るのも、東京湾沖に雪が降るのも、何もかも。それは前提なのだから、作るときに、必ず起こることを想定に入れて作って欲しいと思います。

とにかく、今回のような大雪でないにしても、ご高齢の方が、屋根に上って雪下ろしをしたり、雪かきをしたり、すべって亡くなられる方がいるということ自体、ヘンです。雪国には雪が降ります。それは昔からわかっていること。だったら、なぜ雪下ろしをしなくてもすむ屋根を、作ろうとしないの?プロジェクトX並みの気概があれば、できると思う。新幹線も、滑走路も、なぜ雪が降っても、フツーの顔して運転を継続できる装備をしないの?

学者や企業の開発チームを含めた科学に携わる人たちの怠慢だと思うのだけど。

嬉野の温泉湯豆腐食べたい!2006年01月14日 23時59分59秒

どしゃぶりの中、車で日本橋のデパートに買い物に行ったのだが、日本橋に来たからには、ということで、12月21日に博多考をしたところにもある『しばらく』へ。今回は、そうです、『粉落とし』にすると威張った都合上、のれんをくぐるまではそのつもりだったんだけど・・・・・・やっぱり言えなかった(-_-;)案外小心者だということが、自分でもわかった次第。

このごろ、私の頭の中は、ちょっとした九州モードになっているらしい。今日は幸い車を運転せず、ただただ乗っているだけだったのだけど、つい熟睡してしまったらしく・・・・・・でもって、自分ではぜんぜん覚えていないのだけど、なんと『嬉野の温泉湯豆腐が食べたい。』と、ハッキリ寝言を言ったそうだ。

いままで、自分の寝言の声で起きるという浅い眠りしかもてない私が、なんということだろう!

仕方ないので、取り寄せることにしました。ホントは嬉野温泉の『横長(よこちょう)』に行って食べるのがいちばんなのだけど・・・・・・

朝頭痛からの脱出を試みて2006年01月15日 17時10分11秒

部屋を有効に使おうという理由で、ベットのミヤは横に、そして頭の上は出窓という状態で寝ているのだけれど、冬になると、朝起きた時、頭痛という状態が多いのです。もともと片頭痛の薬を常用しているくらいだから、夏場は毎朝頭痛。けど、冬場の朝の頭痛は、頭が寒いからに他ならないと判断。髪の毛が濡れたまま寝てしまうと、翌朝頭痛がする人、いるでしょ?あの状態です。 そこで、昨日からいろいろ工夫をしてみました。もともとレースのカーテンに厚手のカーテンという状態だったのですが、つっぱり棒をつけて、毛布を渡し、出窓と部屋をシャットアウトしました。結果、大成功!今朝は頭痛なし。すっきり起床ということになりました。 頭寒足熱というし、確かに昼間、仕事(というか、私の場合は、仕事=勉強と置き換えてもいいのだけれど、体裁を考えて、このように書かせていただきます。)をしているときは、そのほうがいいし、頭痛にならないのに、なんで夜は違うの??科学的解釈ができないのですが・・・・・・。 そういえば、とーってもさむがりのくせに、暖房は気持ち悪くなってしまい、結局さむーい中でデスクワークしている方が好き。車も、人の運転には酔ってしまうけど、自分で運転すれば平気。 きっと私、矛盾だらけなんだわ。

悩みごと2006年01月16日 23時14分22秒

目の前に、どうして良いかわからない問題があって、さて、どう解決するべきか、あるいは解決はあきらめ、放っておいて、ひたすら我が道をゆくことに集中するべきか、目下悩み中。解決を選べば、私にかなりの時間的精神的負担がかかり、ほとんど自分のためにはならず、かえって身を削るようなことがが目に見えているだけに、いつもと違って、積極的な方法に考えが傾かない。

無粋おとこに粋おんな~日本橋編~2006年01月17日 23時59分59秒

タイトルにあるほど、のんきな話ではないのだけれど・・・・・・

午後、東京駅から日本橋まで歩いていたのだが、中央通り、ちょうどKoredo日本橋あたりだったか、風体の悪い年配の男が、紙くずを路上に捨てた。これは無粋なことをするものだなと思ったけれど、私はそのまま通りすぎようとしたのだが・・・・・・これも年配の女性が、その男に「ちょっと、こんなところに捨てないでよ。」と注意した。後の会話は以下の通り。

男 「捨てるところがねえんだよ!!」

(セルクル心の呟き:うっそ!言い訳じゃん!)

女性「だったら、持って帰って捨てなさいよ。」

男 「なことゆーヤツがいるから、殺されるんだよ。死にてえか、このババア!」

(セルクル心のつぶやき:(@_@)えっー、あんた(男)みたいな人がいるから、正しいこと言ってるのに、殺される人がいるんじゃないの????)

女性「とにかく、そんなところに捨てたら、街がきたなくなる。持って帰りなさい。」

以下、男は何の論理性もなく、死にてーかと、どなりちらす::::::

私はこういう時、いけないのはわかっているけれど、この女性のように、こうした状況で、正しいと信じることを主張しません。以前とても怖い思いをしたことがあるから、とにかく命あってなんぼだ、と思い、しない。そういう意味ではこの男の言うのは、正しくはないけど本当のことでもあります。それに対して、この女性は勇気があるなと感心しました。彼女だって、顔はこわばっていましたもん。

端的に、安直にいえることでもないけど、彼女のような、粋な人が、この日本橋という街を支えているのかもしれない。

でも私には、彼女のようには、やっぱりできないな。うーん、情けない。