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さよなら2006年02月13日 23時10分37秒

今から2年少し前の秋の朝、私はその人に出会いました。場所はうちから歩いて5分くらいの、妹一家が小さな家を建てていたその工事現場でのことでした。

彼は初老のがっちりした体格の人で、私に近づいてくるなり、するどい目をしながらも、丁寧な人好きのする態度で、こう尋ねてきました。

彼:「こちらはあなたの家ですか?」

私:「いいえ、妹夫婦の家です。」

彼:「そうですか。私はそこの柴田(しばた)といいます。」

私はこれからご近所になる人だし、こちらも義弟の名字を伝え(妹夫婦は、別姓なので、どちらを名乗ろうか迷ったが、一応義弟の姓を言った次第です。)、これからよろしくお願いしますと挨拶したのでした。

その後、妹たちがそこに住むようになり、特別私が柴田さんのおじさんとじっくり話す機会はなかったのですが、仕事を引退され、悠々自適の生活をしている彼は、よく外に出ていたので、妹宅への道すがら、よく会い、挨拶していたのです。また、妹からも、柴田さんのおじさんとは、朝、義弟を送りだすときに必ず会い、また姪もおじさんにおはようを言うのを楽しみにしていると言う話を聴いていました。

毎朝あっていた柴田さんを、このごろ見かけないね、と気づいたのは姪です。喘息で入院されていたとのことでした。そして退院されたとのお話を奥様から伺った後も、彼を見ることはありませんでした。そうとう具合がお悪いのだろうと心配していました。

その柴田さんのおじさんが、先月末、亡くなられました。あんなに頑丈そうな人だったのに・・・・・・。お元気なころは朝夕、通学途中の小学生に、声をかけていたといいます。わたしも信じられない思いでした。

妹と姪は、おじさんのお通夜に伺いました。気持ちはわたしもお別れに行きたかったのですが、うちは伺うほどのご近所でもないし、わたしの気持ちだけで行動するのもヘンかも知れないと、やめてしまったのです。

でも、なぜか忘れられずに心に残りました。きちんとお別れをしなかったことが悔やまれました。あの秋の朝、先に声を掛けてくれ、名乗ってくれた柴田さん。ずっとずっと年配なのに、とても丁寧にわたしに接してくれたおじさん。あとからわかったことですが、どうやら警察官だったらしく、わたしに会った時は、定年退職されてすぐだったらしいです。だから、朝夕、小学生を見守っていたのでしょう。

ここ数日、柴田さんにきちんとお別れをしなかったことが気になっていました。さよならを言うのは、嫌い。本当にイヤ。でも、亡くなってしまった人には辛いけれど、きちんとさよならを言いたいと思いました。そして、ご自分のなされる範囲で小学生を見守っていたそのお気持ちを見習いたいと思います。

さよなら、柴田さんのおじさん。