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いちどだけ2006年03月15日 20時11分41秒

普段、とても悲しく思っていることがあって、それを普通の生活に持ち込むことはできないから、せめて書くことで消化しよう、でも日記に書いてもそれは誰かが読むものではなく、誰かに読んでもらいたい、でもその誰かも、あまり親しい人だと、普段の生活に持ち込むことになり、それは避けたい・・・・・・そんな堂々巡りのような考えがありました。それでブログなら、普段のわたしにかかわっている人が読んでくれるものではないから、思いっきり書いて、読んでもらおう、そしてわたしも少しはラクになろう、というのがはじめたきっかけでした。

ところがはじめてみると、顔の見えない人が、コメントを置いてくれる、それも良心的なコメントを。そうなってくると、どうもあまり負の感情をあらわにできなくなってきて、やっぱり普通の生活をしているわたし(別に悲しいことなんかなかったのよ、という顔をしているわたし)が文章をかくことになってしまいました。でも、当初の目的とは違っても、それがまた新たな楽しみとなっているなら、それもまたいいかも、と思っているのです。

けれど、今日は少しだけ。わたしの悲しいことは、弟を交通事故で失くしたこと。自損事故でした。某公立大学の医大生でした。ドクターに診てもらえることもなく、即死でした。そして全く別のときに、母を交通事故で失くしました。自転車で交差点を横断中、左折の40トントラックに2回轢かれました。左折時の巻き込みではなく、トラックの前にあてられ、倒された後に轢かれ、即死でした。こちらは加害者がいる分、母を失くした悲しみとは別に、わたしは遺族としてとても怒り、憎むという苦しみを味わいました。加害者は、過失が大きいということで、警察に2拘留され、刑事裁判ではわたしが意見陳述をしました。生き残った者が、亡くなった家族にできるのは、こんなことしかないから、しっかりやろうと思っても、ぶ厚い事件記録を前に、なにも手をつけられなかったことも1日や2日ではありませんでした。

昨日、山口光市で起きた母子殺害事件で、最高裁法廷を被告側の弁護士2人が欠席して、開けなかったそうです。ここにくるまでに、ご遺族は、亡くなった家族のためにできる、最大限のことをしています。でも心のうちは、どんなにつらかったか、想像するに余りあります。わたしの場合とは違い、この被告には「故意」がある分、ご遺族はやりきれないと思います。欠席した理由について、いろいろそれぞれの思惑やら主張があるようですが、特に弁護士という職業を持つものならば、公の場でそれを主張するのが正しい方法です。欠席などという、子供じみた手段で主張するのは間違っています。

今日は書かずにはいられませんでした。もうこれ以上、こうしたことについて書くことはしませんので、明日からはまた、タルーンとした気持ちでお読みください。