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自己を正すきっかけにする2007年03月23日 23時24分27秒

今朝は重役出勤並みの時間に家を出たら、スイマーさんが出勤するところに出会い、朝からナイスな一日と思ったのですが・・・・・・。

夜、プールで、とても失礼なことを言われました。このおばさまには、前にも面と向かって無礼なことを言われ、わたしはちょっとショックを受けたのですが、悪気はなかったのだからと思い直していたのです。でも、今日は・・・・・・。

人の身体的特徴を言いますか?それもマイナスの特徴を。しかも本人を前に。そう、わたしには誰が見てもそう思うだろう、自分でとても気になっている身体的特徴があります。それを今日は更衣室で言われました。返事ができませんでした。更に繰り返し言われました。やっぱり返事ができませんでした。他にいた人も、びっくりしていたようだったので、やっぱりわたしが感じたイヤだという感覚は、きっと間違っていなかったと思います。思ったことをそのまま口にする、それは悪意はないかもしれないけれど、もう少し相手の立場になって考えて欲しかったと思いました。それに、この身体的特徴は、わたしという人間そのものではありません。

わたしに関することではなかったのだけれど、実はおとといも昨日も、サウナや更衣室で、いま一緒に泳いでいた人のウワサ話(マイナスの話)に巻き込まれました。おとといは、「○○さん、変わってるのよー。・・・・・~・・・・・・。」でも、○○さんはわたしにとても親切な人。変わっててもいいじゃない。別に迷惑な思いをしているんじゃなければ。
昨日は「△△さん、やたらと人に・・・・・・。それよりもっとまっすぐ泳げっていうよのねー。」△△さんは、わたしが落ち込んでいたときに、励ましてくれたやさしい女性。まっすぐ泳げないのかもしれないし、判っているなら対処のしようがあるはずと思うのですが。第一、そうおっしゃるご本人は、そんなに完璧に泳げるのでしょうか。

なんでもっとやさしくなれないのかしら。それに、他人のマイナス面を発掘しすぎでは?マイナスは持っています、誰だって。でも、それだけでその人を諦めるのは端的すぎると思うのだけど。マイナス面は、そうとう迷惑な思いをしていない限り、「しずかな無視」をするべきです。

そいういうわたしも、きっとどこかで同じことをしているはず。人のふり見て我がふり直せという言葉が浮かびます。ひとが一生のうちに知り合える人の数なんて、たかが知れたもの、わたしはどの出会いも、かけがえのない大切なものだと思っています。