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駄句に震えた朝2007年09月05日 23時59分59秒

昨夜はまんじりともせず、亡くなった義叔母のこともだけれど、叔父のことを考えていました。とても仲のよい夫婦で、60歳をすぎても新婚夫婦のようだった二人ですから、叔父の落胆はどんなだったろうと思ったり、それとは別の、不安な感じがわたしを支配していました。

朝、叔父からの葉書をもう一度読みました。そこには国文学者らしく、彼が駄句という俳句も詠んでありました。内容は、次の世もまた一緒に暮らすことを約束した彼らが、三途の川のところで夕涼みをしながら待ち合わせするという句だったのですが、それをあらためて読んだ瞬間、あることに気づいたわたしは急に不安になり、しばらくそっとしておこうと思った叔父の携帯に、震える手で電話をかけました。電話に出て、出て!という強い思い。叔父の声が聴こえました。叔父の声が聴こえた安堵感で、泣きながら、挨拶もできないまま、

わたし 「おじちゃん、わたし、しばらくそっとしておこうと思ったんだけど、今朝、急に、心配になっちゃって、電話したの。」声も手も震えていました。

叔父 「葉書が着いたんだね。」

わたし 「あのね、あのね、『夕涼み』って、何年か先のことだよね?何年か先に、おばちゃんと待ち合わせするってことだよね?」と、子供みたいにしゃくりあげ、泣きながら、それだけ言うのが精一杯でした。

わたしの言う意味をすぐにわかった叔父は、笑みさえ浮かべたような落ち着いた声で、

叔父 「そうだよ。何年か先のことだよ。5年か10年か15年かもっとか、わからないけど、何年か先のこと。おまえ、心配してくれて、ありがとなー。」

わたしがいくつになっても、いつも彼はわたしのことを子ども扱い。子どもに話すようなやさしいいつもの口調で話されて、わたしもやっと安心しました。

夏の季語の「夕涼み」。2人セットでしか考えられないような夫婦だったので、その夕涼みを、叔父は無理やり今年にするんじゃないかと、わたしは早合点してしまったのでした。叔父がそんなことするハズないのに、バカだ、わたし。しかし、彼も学者だから、もっと深い意味があるんだろうけど、わたしみたいなワカランチンに送ってくる俳句としては、確かに駄句。

朝はこんなスタートをしました。夜は叔父の方から電話があり、ゆっくり義叔母の話しをし、あらためて、もう、義叔母がこの世にいないことを認識し、その寂しさに涙しました。

そしてもうひとつ。こんなときに、こんなことを思うなんて、不謹慎以外のなにものでもないという思いをしながらも、あの世でも一緒に暮らす約束をし、三途の川で待ち合わせなんていう強い絆で結ばれる人を、見出す努力をしていないわたし。自分の思いを優先し、人の思いに気付いていながらそれを拒絶しているわたしは、そうやって、自分にとって大切なのかもしれない人ときちんと向き合う努力をしていないのかもしれないと、何だかそんなふうに思えてきました。