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泳ぐと動悸は齢のせいか2007年09月06日 23時59分59秒

義叔母が亡くなって、それ自体は悲しいことで、今朝も泣き腫らした目で起きました。

今日は父の病院付き添いの日なのですが、妹に頼みました。別に無理して行けば行かれないこともなかったのですが、今月は父の通院が2回あり、おまけに、自分自身の検査やなにかで3回も行かなければならないので、無理しないで妹に頼むことにしたのです。わたしは、先日、車を縁石に乗り上げて、かなりキズつけたと書きましたが、キズはよいにしても、車の下をこすっているような気がして、心配していました。このことは、義弟と妹だけには話していたのですが、今朝早く、義弟が来て、父にはわからないように車を見てくれました。まあ、大丈夫ということでした。というわけで、その大丈夫な車で、妹が父を連れてきました。

わたしは仕事をつつがなく、でも元気なく。今日は台風が近づいているということで、仕事も早目に切り上げ、電車の動いているうちに家へ。だんだん台風も近づいて、雨も風もひどくなってきました。

こんなとき、何も泳ぎに行かなくてもよかったのですが、このごろ、水泳を始めてだんだんついてきたはずの体力が、どうも落ちてきてしまったように思っていて、自分では、それはいやだと抵抗した気持ちになっています。それで、それを毎日確かめたくて、無理に泳ぎに行っています。毎回、「やっぱりダメだ。体力落ちてる。」と落ち込むのですが。で、今日も。苦手なバックのクラスに出たら、25m泳ぐだけで、ハアハアしてしまう。しかもバックなのに。それと、ロングスイムのクラスにも出ました。25mづつですが、個人メドレーの順で7セット。もう、死ぬかと思った。・・・・・・しかし、やってみてわかったのは、バックとブレストを何とかしなきゃ、個人メドレーは泳げないということでした。たぶん、小学生よりひどい泳ぎです。でも、これだけ泳いだから夜、眠れると思ったのですが。

帰り道、いつものスーパーに寄ってお買い物をしたのですが、ずぶ濡れになってしまったので、うちに帰って、もう一度お風呂からやり直しでした。


義叔母のこと***************
“れいこおばちゃん”と、わたしが親しみを込めて、そう呼んでいた彼女は、昔風にいえば、旧伯爵家に生まれた人で、いまでも彼女の実家だったところは旧○○伯爵邸として残っています。叔父(母の弟)はよく、「昔だったら、オレなんかと結婚できなかった」と言って、彼女をとても大切にしていました。そういう生まれの義叔母でしたが、たしかに、おっとりゆっくり話すところなどは、生まれを感じさせたけれど、あとは、ごくごく普通の、というよりはむしろ、たぶん、貧乏学者の叔父と結婚したばっかりに、苦労も人並みにした義叔母だったと思います。
わたしが生まれた11日後に、彼女にも男の子(わたしのいとこ)が生まれました。わたしはどちらの親戚にとっても初孫で、れいこおばちゃんも、自分の子どもと寸分たがわず、わたしをかわいがってくれたそうです。離乳食のころ、わたしは食欲のない子だったらしく、母が、「何も食べてくれなくて困るのよ。」と言うと、れいこおばちゃんは、わたしをすっと預かり、自分の息子のために作ってあった煮魚の銀むつを、わたしにも食べさせてくれたそうです。また、わたしもよくそれを食べたそう。だから、お店で銀むつをみると、時間に余裕のあるときは、若い日の義叔母と母を思い、今でもよく煮ていました。これからは、義叔母に感謝しながら、煮ることになると思います。そして、このことが、わたし自身には記憶のないことですが、わたしの一番小さいときの話題の一つで、わたしにとっては義叔母が出てくる話のいちばん始め。宝物です。