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波に乗れずと言いながら2回2007年09月11日 23時06分33秒

仕事は午後からだったので、午前中はどうしようかと考え、いま、ちょっと低迷してて、気持ちが乗らない水泳へ。気持ちが乗らないのに行くわけだけど、わたしにはコレしかないから・・・・・・。このごろ、登り調子のときのようにタイムも縮まらないし、ヤル気も起きない。ただ、何となく、水には浸かっていないと不安になる。そういうわけで、基本泳法レッスンに参加しました。本当に蹴伸びなどの基礎の基礎から教えてくれるので、わたしはこのレッスンが好きで、半年くらい前までは、よく出ていました。そうだ、ガンガン泳ぐ気になれないときや、体調の悪いときこそ、こういう基礎に戻ろうと。基礎は大事ですものね、なんでも。

今日はクロールでした。やっぱり出てよかった。わたしにはできないことも多くありました。それと、コーチのアドバイスは、その時だけにとどまらず、けっこう、あとからピン!ときたりするのです。それが長距離や短距離を速く泳ぐヒントになったりします。で、プールは45分で上がりました。

午後の仕事を終え、今日はもう夜はプールに行かないつもりでしたが、ちょっと頭を整理したくて行くことにしました。30分だけ。実は、ひょんなことから、縁談の話が舞い込んできました。わたしにとって、ありがたいような、ありがたく・・・・・・、いいえ、ありがたいのです。でも、わたしは積極的になれずにいます。このままでは、絶対、相手の方とお会いすることになると思うのですが、わたし、大丈夫なんだろうか。

いままで、いろいろ理由があって、ソノ気がなかったせいもあり、お付き合いも、縁談話しもすべて断ってきました。でも、ここ半年ほど、ちょっと気持ちを変えたら、それを見透かされているように、実はいくつかこういう話が舞い込んできました。別に積極的行動にでたわけではないのですが。さて、どうしよう。わたしの気持ちを阻んでいるもの、それをきちんとしなければ、先に進めないような気がします。

でも、泳いでも答えをみつけることも、頭を整理することもできず。当たり前ですが。おまけに、今日は、あの人、わたしのことを良く言っていなかったわよ、と友人から教えてもらったりで、さんざん。ただひとつ、帰りはひどい雷雨になり、年配の友人と若い友人のふたりを、車に乗せて送っていかれたので、行ってよかったということにはなりました。この雨の中、自転車で帰せなかったので。

フランス料理の最終目標はデザート2007年09月12日 19時35分37秒

今朝も雨が降っていたので、いつもは自転車で行く駅までの道を、バスで。今日は、年に4回だけある、お料理教室の日でした。本当は毎月のクラスに行きたいけれど、残念ながら、振り替えができないので、年4回のクラスに在籍しています。365日のうちの4日なら、なんとかできると思って。

教室は10時半から神楽坂なので、その前にひと仕事しようと、朝早く通勤電車に乗ったのですが、どうやら立ったまま寝てしまい、それも、まわりの人に迷惑をかけることなく、一瞬深く眠ってしまったようで、ふと目を覚ましたとき、一体、これから仕事に行くのか、帰りなのか、わからなくなってしまいました。地下鉄だったし。そして、自分の降りる駅に着いたのに、ぼんやりしてて、降りそびれそうになりました。なんか、今日はアブナイぞ、という感じのいちにちのスタート。おととい10日に書きましたが、
http://serukuru.asablo.jp/blog/2007/09/10/1789435
わたしのここ3ヶ月ほどの勤務は、ちょっと大変かも。

(そう考えると、思い当たるフシがたくさんあって、特に携帯メールがむちゃくちゃになっています。あて先を間違えてメールすること数件。送信したと思ったメールが、未送信ゾーンにあることに1週間後に気付いたとか、受け取ったメールを忘れていたりとか。)もうちょっと、寝なければ。

というわけで、今日は、料理教室。わたしのお料理の先生脇雅世(わきまさよ)さんは、教えてくださるお料理がおいしいことも当然ですが、わたしはそのお人柄が大好きです。いつも元気で笑顔で、家庭人のあたたかみのある料理なのです。このお教室に行くと、本当にほっとできたり、料理で愛情を感じられたり、料理へ愛情を込めることで人への愛情を感じられたり。料理って、こういうものなんだ、と毎回思います。

試食中の会話で、偶然ですが、先日書いたわたしの義叔母の古い実家だった旧伯爵邸の話になりました。http://serukuru.asablo.jp/blog/2007/09/06/1779135
わたしは、残念ながら、義叔母にとって、どういう思いなのかわからなかったので、この邸の話をあえて義叔母にせず、また彼女もしなかったので、実際、どういうところなのか知らなかったのですが、先生や他の生徒さんたちの話を傾聴し、いろいろ想像できました。そういう意味で、今日は義叔母とかかわれたようで、ちょっと嬉しかったです。

今日はとうとう、気力がなくて、プールは行かないことにしました。

**そこで、今日も義叔母の話の続きをもう少し。(5回目)

(1回目)http://serukuru.asablo.jp/blog/2007/09/04/1771713
(2回目)http://serukuru.asablo.jp/blog/2007/09/05/1775259
(3回目)http://serukuru.asablo.jp/blog/2007/09/06/1779135
(4回目)http://serukuru.asablo.jp/blog/2007/09/07/1779390

9年前の夏、義叔母は、叔父と二人で旅行中の栃木県・那須で倒れ、救急車で地元の病院に運ばれました。強運なことに、義叔母の病気の分野では名医といわれているドクターがいる病院へ、しかも、そのドクターが当直の日に。母とわたしが駆けつけたとき、義叔母は意識がなく、ICUベットに横たわり、一見して、わたしはもう、義叔母とは話ができないんじゃないかと思いました。いまでも、そのときの彼女の、細くて白く、たよりな気な、けれど美しいと感じた脚を思い出します。ドクターは、義叔母の病状を説明してくださるにあたり、義姪であるわたしにも来るように告げられたので、正直なところ、わたしは重大なつらい説明をされると思い、腰から下の力が一気に抜けました。レントゲン写真を見ると、素人でも良くないことくらいはわかりました。泣くまいと思いながら、目にいっぱい涙がたまってきたのを覗き込むようにドクターは見て、「しかしね、まだ、方法はあるんですよ。イザとなったら、あたま割って、治療しますから。」(手術するという意味。)これを聴いて、どんなにほっとしたことか。
その時、わたし、思いました。義叔母の命の危機を感じて、わたしは何が悲しかったのだろうと。もっと生きていて、もっと話がしたいと、なぜ思ったのだろうと。そして、ひとつの答えを見つけました。生まれたときから(というか、たぶん生まれる前に母のおなかにいるときから)義叔母は、わたしを知っていて、とてもかわいがってくれました。大きくなってから、両親や親戚の叔父たち、義叔母たちにそのときのことをたくさん聴きました。でも、肝心な彼女と、その話をしていない、わたしの思いや、彼女への感謝の気持ちも伝えていないことに気付いたのです。このまま、義叔母にもしものことがあったら、もう、伝えられない。

わたしは、義叔母の回復をひたすら願いました。と言っても、信心のないわたしのこと、なにに祈ったのか、とにかく、願いました。そして、その願いが通じ、義叔母は意識を取り戻し、自分で歩けるまでに回復し、東京の病院に転院できる日が来ました。

ドラマみたいで恐縮ですが、続きは後日に。

ダメだという日2007年09月16日 00時07分55秒

肉体疲労がピーク。やっと週末にたどりついたという一週間でした。

もう、“まったり”したいと思って、ドライブ。しかも、自分で運転しなくてよかったから、ほんとうにリラックスできました。ほとんど、日常逃避でした。

先週から今週にかけて、なんだか、“何にもやりたくない症候群”にかかってしまって、仕事以外のことは、何も考えたくない、やりたくないという感じでした。先日、電車の中で、立ったまま熟睡して、出勤途中なのか、帰宅途中なのか、一瞬わからなくなったと書きましたが、そのあとも、失敗いっぱい。その頃、プールに行くときもそうでした。プールへ行くときは、たいてい、家から水着を着て行きます。もちろん、その上に、洋服(Tシャツかブラウスとスカート、そしてジャケット)を着て。ところが、先日、プールの更衣室で、気付きました。水着の上にジャケット羽織ってスカートだけで来てしまったと!たぶん前代未聞の格好。こりゃ、少し休まないとダメだと思いました。たぶん、○PコーワゴールドのCMみたいになっていたと思います。今も。

なわけで、昨日も今日も、散々考えて、ほんの少しだけ、行ってきました。わたしの性格で、行った以上はマックスに泳いでしまうので、時間を短くして。それに加え、気力もなく、一生懸命取り組んでいたバタフライも、どうしても思うように泳げないので、投げ出したくなってしまいました。もう、どうでもいいや。というわけで、バタフライクラスにも出ず。時間的に無理じゃないのに出なかったことなんて、この1年で初めてのことでした。

癒してくれるもの2007年09月16日 22時14分06秒

親戚の法事で山梨・塩山へ朝早く出発。運転しなくてよかったので、気は楽だったのですが、なんとなく体調が悪かったです。

今日は本当はプールの友人に、お祭りに誘ってもらっていました。それも、わたしが以前よくやっていた神輿担ぎをしたいという話をしたのを覚えていてくれて、親切な彼は誘ってくれていたのですが、急遽法事が今日に変更になり、行かれると返事をしてしまって、わたしにとっては最悪の事態でした。でも、快く、大丈夫だよ、と言ってくれた彼には、本当にほっとし、感謝しています。

法事を終えて、中央高速を走りまくり、19時前には家に。ほんのちょっとだけ言うと、山梨に行くのは好きなのだけど、中央道を走るのは、イヤなんです。母が事故に遭う直前に電話をくれたのもこの道路を走っているときで、母が亡くなった時間も、何にも知らないわたしはココを走っていたから。特に上り、下高井戸あたりを走るときは。

そういうこともあってか、家にたどりついたときは、精神的にもどっと疲れ、お祭りのほかに、誘われていた、プールのマスターズ仲間の飲み会も、お断りのメールを入れました。そしたら・・・・・・シャワーをあびているとき、電話が2人から。「はやく、いらっしゃい!」「待ってるから、みんな。」

そうおっしゃっていただいて、ありがたいことです。みんなはもう、できあがっているみたいだったけれど、みんなに会えば、気持ちも晴れるかなと思い、濡れ髪のまま、思い切って行ってきました。行ってよかった。ほんの少しの時間でしたが、楽しんできました。

いちばん最初に予定していたお祭りに行かれず、夜の飲み会だけ参加するという、誘ってくれた友人には、なんだか申し訳ないようなことをしてしまいましたが、よい気分で一日を終われそうです。プール仲間に乾杯!

思いっきり悪口2007年09月21日 23時44分28秒

あんまり更新していないのに、今日みたいに、アクセス数がずばぬけて多い日が時々あるけど、これは何でなんでしょう。カウントミス?

このところ、水泳でというか、プールでトラブル続きのわたし・・・・・・。

いつも、仲良しの先生とおしゃべりしているのを、面白くないと思っている人なのでしょうか、わたしが彼女と話が出来ないほど遅く行った日、「今日はおしゃべりする人(わたしのこと)がいないから、先生早く帰れたわね。」と言っていた人がいると、これまた、別の方から聞きました。気をつけなきゃ。

おとといのマスターズは、キックの練習。これ、わたし苦手なんです。いつも泳ぐときも、たぶん、わたしは腕の力で泳いでいることは自覚していました。脚を使うと、どうしても心拍数が上がるので、とても疲れるし、狭心症の疑いの結果がでるまでは、ちょっとコワくて、できない。で、やっぱり途中でめげて、イヤになり、心がどっかに飛んでいって、無意識にプールからあがっていました。「先生、きょうはもう、帰る。できないから。」・・・・・・なんてヒドい論理なんだろう、ふつうは、出来ないからやるのに、というのは理屈で、もう、ぜんぜんやる気になれなかったんです。でも、いつもやさしい先生は「次は、スイムですから(もうちょっと、頑張りましょう。)。」と、控えめに、わたしを傷つけないような言い方でおっしゃってくれたのに、「ううん、もう、できない。帰ります。」 なんて頑固なわたし。あと、15分頑張れなかった挫折感。そして、それに追い討ちをかけるように、後から上がってきた仲間たちは、更衣室で、だれもわたしには、声をかけてくれませんでした。根性ナシには用はないよ、という感じ。事実だから仕方ないけど、あらためて、マスターズの厳しさを認識しました。

そして、今日。こんなコトを言ってはいけないのを、重々承知でいうと、マスターズ仲間にひとり、どうしても好きになれない、というか、キライな男性がいます。何度か食事に誘われたので、あまり気乗りしないながらも、行ったら、もう、ここには書けないような話題の連発で、ホントに困りました。わたしは、ちょっとのことくらいで、目くじらたてて『セクハラ!』なんて、つまらないことを言う人間ではないけど、アレは完全にセクハラでした。それに、話していて、急に顔つきが変わるので、それもコワかったのですが。
今日は、その彼が、わたしに、「遅いんだから、こっちのコース(2コース)で泳げば。」って、出すぎた言葉。だいたい、ほんとにだいたいなんですが、1コースは初心者や、高齢の人、早く泳がない人が入り、2コース、3コースに行くに従って、上級者が泳いでいます。もちろん、例外はあるけど。わたしのレベルでは、ホントは2コースで泳ぐのがせいぜいなのだけど、このコースにその彼がいて、いちいちからかって、真剣な練習をしてるときに気がそがれるので、それを知っているほかの仲間が、わたしに3コースで泳いだほうがいいとアドバイスをくれました。それで、わたしも、分不相応は承知の上で、最近では3コースのしんがりを泳いでいたのです。なんか、しょっぱなから急にイヤなことになったわたしは、今日はちと、キレました。それで、「そうね、じゃ1コースで泳ぐわ。」
だいたい、なんで、コーチでもない彼がわたしに指図するわけ?、それに、わたしが3コースで無理して泳いでいるのは、誰のせいよ?、と思ったら、泳いでいる1時間、本当に気分が悪く、いやな練習になってしまいました。せっかく、いちにちの疲れを癒しに行っているのに、思い出すたび、腹立たしい。許されるなら、みんなの前で、一発グーで殴ってやりたいと思いました。おとなげないですけど。

誰からも忘れ去られた休日2007年09月24日 22時28分00秒

先週の土曜日、もう、疲れて頭痛もしていて、プールはやめようと思っていたのですが、短時間だけと思って行きました。そうしたら、会いたいなぁと思っていた友人に会えて、ここまではよかったのですが、なんだかタイミングが合わず、あんまり話もできなくて、ちょっと残念でした。

あんまりにも疲れるので、この連休は予定もいれず。今日は叔父がきただけでした。

わたしは休日が嫌い。

本日は更新できないという更新2007年09月28日 22時59分59秒

毎晩、更新しようと思い、ここに来ながら、更新できずにいます。

かなり疲労しているけど、身体は元気。毎日ビタミンドリンクと、野菜ジュースと炭水化物とたんぱく質をいい加減にとって、生きています。

息つく時間がなく、疲れすぎて、眠れない。でも、もうあと一日頑張ると、2日間のお休みが待っているので、とにかく、明日を乗り切ります!

これから、野菜ジュースといい加減な夕食。そのあとのアイスコーヒーを楽しみに。わたしにとっては、『愛すコーヒー』なのです。

慣れない生活2007年09月29日 22時46分03秒

東京体育館上の十五夜の月
やっと、やっと、今日いちにちが終わりました。

実は、この一週間ほど、それこそ、体育会系のようなところで、毎晩2時間もみっちり泳いでいました。何度、場違いなところに来てしまったと思ったことか・・・・・・。夜7時~9時まで、千駄ヶ谷の東京体育館のプールです。

自分が放棄しない限り、遅刻も欠席も早退も許されず、指導員の先生方も、服を着ているときと違い、いったん水着になると、それこそ、『こち亀』のバイクに乗った本田さんのようになってしまって、モー、怯(ひる)みました。

そして、練習後は、ろくにシャワーも浴びられず、従ってシャンプーも何もかもできないまま、総武線に乗り、日比谷線に乗って、夜な夜なあやしい濡れ髪のまま、帰って来ています。髪からボタボタ垂れる水をセームに吸わせながら電車に乗ってる人間なんて、わたしぐらいなモンです。あと、一週間余り続きます。

今回、体育会系を、ほぼ初体験といっていいわたしは、高校時代に体操部に所属していたことがありますが、週3回の練習日があったにもかかわらず、出ていたのは週1回あるかないか。遅刻も早退も無断欠席もオッケーだったこのクラブ。そもそもクラブ活動自体に、積極的でない高校にいたので、それこそ歯をくいしばって、体育会系をしたことがありません。そういうのを経験したのは、運転免許をとるために、教習所に通ったころでしょうか。昔の教習所は、そういうところでした。

さてさて、そういうわたしみたいな、間違えて、場違いなところに来てしまったという人も63人のうちには数人いて、毎晩、練習が終わって、虚脱し呆然(ぼうぜん)とした状態で、駅に向かいながら話しています。

『とにかく、明日も来ようね。』

 ・・・・・・つまり、わたしたちみたいな人間にとっては、欠席しないというのが、ささやかな目標です。

今年の十五夜の月は、そういう練習初日に、観ました。東京体育館のメインアリーナ上に浮かぶ月。携帯で撮ったので、よく写っていませんが。
う~ん、これが中秋の名月ねぇ・・・・・・?これを撮ったときは、漠然とした不安を感じながらも、こんなに大変な練習は予想していませんでした。この晩から、強化合宿のような苦しみが始まったのです。