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ふとした瞬間にママが恋しくなる2007年12月25日 23時59分59秒

 何だか、3日も続けて午前様になってしまいました。決して楽しいことばかりではないのだけど。まあ、暮だし、仕方ないと自分でいいきかせています。

 午前中は、家で仕事。休日出勤した分、お休みなのだけど、やっぱり家でお仕事。わたしの仕事は、暮とか、お盆とか、そういうことにほとんど関係がないのですが、ここにきて、たまたま、重要でしかも慎重を要する仕事が重なってしまいました。

 午後も仕事をして、夕方はでかけて、予備校時代の友人4人(含わたし)で、日比谷で夕食会。今月は忘年会も兼ねて。このところ、人から誹謗中傷めいたことをされ、たぶん誤解もされて、ちょっと嫌な気分で過ごしてきたけれど、そんな中でも、3日続けて、仕事もよくしたし、プールでも遊び、このいちばん楽しみな4人の会もできました。この予備校時代の友人たちといるときが、いちばん自分をさらけ出せる。そして、わたしも彼らと同様、もっともっと勉強して、小さなことにくよくよせず、頑張らなくてはと思う。
 よく彼らと話すのです、齢がいくつになっても、勉強したいと思うことがあること、勉強する意欲があること、勉強できる環境にあることって、本当に幸せなことだと。このうち、大人になると、「環境」だけは、自分で作り出すものなのですが、意欲さえあればできるものです。

 そういえば、ここ3日間、まとまった考え事をする余裕もないなか、断片的に、ぼんやりと、わけのわからないことを考えていました。ある3日間のあいだに、わたしについて、同じような意味のことをまったく別の人やグループから言われました。

 「プールに入ると、(わたしは)普段と違う人みたい。なんか、めちゃくちゃ真剣。コワイ感じ。」

・・・・・・これは、別に、イヤということはない。人間なんて、たぶんそういうもの。状況によって、変わるものだと思う。

 また、よく挨拶する人で、ちょっと前に一緒に泳ぎ、100本大会でも一緒に泳いだ人たちから、打ち上げのとき、わたしのことを、「あの人誰?」と誰かに聴いたそうです。

 わたしにとっては、陸にいるときも、プールにいるときも、全部同じ人格をもつ一連のわたしなんだけど、他人はそう見ないみたいです。

 ということと、もうひとつは、たぶんメイクのせい。まあ、わたしは、できる限り、フルメイクのお化粧をして歩きます。どんなときもといいたいけど、できる限り。それには理由があるんです。母がとてもきれいな人だったから。母が事故で亡くなり、まだ身元がわからなかったときのことを、警察官の方が教えてくれました。

警「おかあさん、とても若くて綺麗な人だったね。わたしたちは、お母さんの身元がまだわからなかったとき、40歳台前半の女性、と言って、事故処理をしていたんだよ。本当に、若くて綺麗だったね。」母はそのとき、69歳でした。

 その後、わたしは哀しくなったとき、もう、物事がどうでもいいやと思えたとき、鏡に向かって、あえて、お化粧してみました。母もまた、息子の死の悲しみを味わい、それでも、心だけでもきちんと生きようとしていたに違いない、それが彼女の、表面的なことでない、内面の若さと美しさにつながったのではないかと。わたしなどは、母のように、心も美しくとは、なかなかいかない。わたしがしているのは、単なる表面的なことで、わたし自身ではないこともわかっています。だから、わたしがあまり好きでない言葉「色っぽい。」と評される。でも、何とか、心の美しさで母に近づきたいと思っています。

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