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初春のいちにち2008年01月01日 20時29分53秒

湯島天神 初詣
 あけましておめでとうございます。昨年は、このブログを読んでくださって、ありがとうございました。月並みですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、今年の年明けをどこで迎えるかと考えた末、やはり、ここじゃないと、と思って、大晦日の晩遅くに家を出て、文京区の湯島天神に行ってきました。新年を待ってお参りする列に並び、新年になると、湯島の太鼓の『ドン、ドーン』という音とともに、参拝が始まります。実は、幼い頃から、ほとんどここで年明けをすごすわたし。家で年明けを迎えると、なんだかシャッキリしないわけです。

 湯島に初詣後、願いをこめた御神矢を求めました。矢は初めて。その後、清水坂(しみずざか)を降りて、昨暮にも行った妻恋神社へ。ここは本気。こうなったら神頼みあるのみ。お神酒をいただき、おみくじひいて、どうやらイケそうです。そして、その足で神田明神へ初詣のはしごをしました。明神は湯島と違って、派手で、お囃子やらお餅つきやらやっていました。ここでも振る舞い酒で、帰り道はかなりフラフラの、単なる酔っ払いになりました。ここに来る大きな目的のひとつは、こういうときしか公開されない神輿に会うことで、ここのはとても立派なのです。実はわたし、担いだことが数回あります。次のときは、担ごうと思います。

 祖父が神田生まれの神田育ち、父が神田生まれの湯島育ち(父の著書には湯島生まれとなっているけど、どうやら本当のところは神田生まれが正しいようです。)のわたしにとって、この初詣、遠い家族が住んでいたところをめぐるという意味で、祖先を思い、感謝しつつ新年を迎えるには、ふさわしいコース。今年もそれを実行できてよかったと思っています。まあ、先祖の方がみていたら、この酔っ払い娘には、苦笑いしていると思いますが。

 この拙いブログを読んでくださっている辛抱強い方々にとって、おだやかで佳い1年であるよう、祈り、願っています。

『料理旨い』は何よりうれし2008年01月02日 23時33分17秒

神田明神 初詣
 今年のお正月の準備は、おもにおせち料理ですが、ほんとーにまったくひとりでやりました。いつもは、妹と分担するのだけれど(といっても、彼女は煮物だけ)、この暮正月は、姪っ子1,2号とも、女子医大の救急にかかるということになって、妹はとてもそれどころではなかったから。実は、今も、1,2号ともに、女子医大の救急に行っています。

 そんなわけでで、とにかく作りました。わたしは、何がなんでも、お正月の料理は、買わないで作ると決めています。どんなに具合が悪くても。ただ、今年はわたしも風邪をひいてしまい、たったひとつ、栗きんとんだけは作れませんでした。まあ、祝い三膳といわれる『田作り、数の子、黒豆』だけは欠かすことなく、あとは、今年は筑前煮をしてみました。

 今日は叔父が来たのですが、このグルメな叔父に、田作りと筑前煮を、特に褒めてもらえました。『もう、準備万端だな。』と。そう、準備万端なんです。

 いつもは愛車『ハリヤー』で来る叔父ですが、今日はお酒が飲みたいとのことで、電車できた彼を、車で送っていきました。昨年、義叔母を亡くして、なんとも寂しいお正月だったろうと、ちょっとわたしも胸がいっぱいでした。

ところで、今日の箱根駅伝の往路順位はどうだったんでしょう?この駅伝、父と今日来た叔父の母校であるW大、わたしの母校C大が、だいたい毎年出場するので、今日の応援者が2対1になり、わたしは分が悪くなりそうで、テレビをつけませんでした。気になるところです。

 写真は、昨日の神田明神・初詣。この次は、担ぎます。

無気力2008年01月03日 20時31分16秒

 今年に入って、どんな気持ちのときでも、淡々とこれを書こうと決めている、というと無理があるけど、なるべく淡々と書こうと思います。

 今日は来客もなく、やっと自分のお正月時間になりました。そうなったら、暮の風邪がぜんぜんよくなっていなくて、昼間、コレというのはないのだけど、なんだか顔が腫れぼったくなり、目も冴えなくて、体も薬を飲んでだるくなったときのようになってしまい、午後は、とうとうベットに入って寝正月を決め込みました。母がいたころ、こういうことはよくありましたが、それ以来です。

 風邪ではないことはわかています。自分に起こっている問題。これが問題なのです。けれど、ひとりではどうしようもない。

 ベットのなかで、暮に買ったワンセグ携帯を取り出し、箱根駅伝の後半を観ました。往路の昨日の模様を、やっぱり観なくてよかったです。2対1ですもの。わたしの母校は、昨年に引き続き、シード権は確保したものの、やっぱり冴えない7位。それも、ゴール直前に東海大が棄権したから繰り上がっているわけで、今年も本当に冴えないレースでした。わたしも、こんなモンなのかもしれない。
 のち、『世界の中心で愛を叫ぶ』を。ついつい観てしまいましたが、やっぱり観ないほうがよかったかも。ああ、年頭からこんなことでは。

今日のお昼ごろ、自分でアクセスカウンター4000番のキリ番をふみました。4月9日にアクセスカウンターを設置して、約9ヶ月。多くの方に読んでいただいたと、感謝の気持ちでいっぱいです。今は元気になれないけど、どうぞ応援してください。

テレビにどっぷり浸かる2008年01月04日 23時59分59秒

 明け方4時ごろ、胃が痛くて目が覚めました。激烈な痛み。実は、ここ数日、お酒は飲んだけど、ゼリー飲料ばかりで、ほとんど固形物なんて何も食べていないのに。なにこれ~。鏡で顔をみたら、真っ白。唇も。幽霊みたい。お正月早々、死ぬのかな、ヤダなと、痛いさ中に思いました。

 幸いわたしは7日から仕事なのでよいのですが、今日から父が出勤。痛い合間をぬって、妹にメールしました。『6時に来て、パパが出勤するのに、ご飯食べさせて、お弁当作ってもらえない?』って。痛くたって何だって、女はやらなきゃならないことがあります。すると、すぐ電話がありました。妹にリアルタイムで連絡がとれるなんて、もう、奇跡的。『救急車呼ばなくていいの?』というので、それは格好悪いし、経験上、乗り心地が悪いから嫌だといって、朝になったら病院に行くことにしました。

 まもなく、妹が部屋に飛び込んできました。わたしも痛みで、モウロウとしていたのですが、朝、父のためにやってもらいたいことで、細かいことだけれど、それをしないと父が今日一日困ってしまうようなことをメモ書きしておいて、妹に渡しました。それを見て、『おねえちゃん、こんなことしてて・・・・・・、大丈夫なの?』というから、『大丈夫じゃないけど、やらなきゃならないでしょ。』とわけのわからぬ問答。父はわたしを心配しながらも、無事出勤していきました。

 さて、わたし、その後、痛みが遠のいて、仮病だったみたいに、それこそ泳げそうだという感じだったので、病院はやーめた!と思っていたら、いったん自宅に帰った妹が再び現れ、わたしの車を勝手にガレージから出して、病院に搬送されてしまいました。ペーパードライバーだったのに、姪っ子2号が生まれる直前、教習に行き直し、運転するようになった彼女。母は強しですね。わたしが彼女といて、助手席に座るなんてありえなかったもの。病院に着いたら義弟が心配そうな顔をして待っていました。わたしが来る前に、早く診てもらえるよう、手続きをしておいてくれたみたい。子ども2人を連れて大変だったろうに、申し訳ないと思いました。それと、なんだかおお事になってしまって、あらためて、健康に気をつけなければと反省。いろいろ検査の結果、胃炎と過労。食べると気持ちが悪くなるので、あまり食べていなかったのですが、そういうわけで、点滴を2時間もされてしまいました。胃炎とはほど遠い体型のわたしなのですが。でも、点滴の間、体中が熱が出るときの前触れみたいに痛くなり、同じ格好をしていられなくて、困りました。帰ったら、やっぱり発熱。ほんの50分くらいのあいだに、6度4分~8度ちょうどまで上がり、これでは体が痛かったハズだわと思いました。

 今年は、お正月早々、病院に行ってしまい、ちょっと残念でした。点滴してもらうと、元気になりますね。信頼できるドクターに診ていただいたこともあって、ちょっとほっとして、しばらくなかった空腹感をもちました。でも、胃がとても小さくなっていたようで、急に固形物を入れてはいけないといわれ、酷なもんです。

 夜になって、薬が効いて解熱。安静にと言われたので、久しぶりに、例によって、ワンセグでテレビを。のだめカンタービレ。玉木宏はやっぱりかっこいいです。指揮のときのフォーマルな服の襟元を崩すと、男の人は誰でもとても色っぽくなって素敵になりますが、玉木宏ならなおさら。そういう姿でワインを飲まれたら、もうたまりませんね。(やっぱりこういうときは、赤ですね。)自室には、ちょっと前までテレビを置いていましたが、それが壊れた後は、PCのテレビだけ。でも、すぐ立ち上がらないし、あまり観る機会も暇もなかったのですが、今年はテレビを買って観よう。そのぐらいの時間を作りたいと思います。

 まあ、一日で、これだけ回復したので、わたしはやっぱり元気人間なのだと思います。

おなかすいた2008年01月05日 23時59分59秒

  今朝も、食べると気持ち悪くなってしまうので、仕方なく、病院で点滴をしてもらいました。正直いって、こういうことに抵抗できない自分が悔しい。今は、抵抗する元気もない。こういうとき、楽天的には、水分は戻さなくなったので、進歩と考えるの? この胃炎、わたしの虚弱体質からきているものではないのは、自分でもわかっています。やっぱり、どんなことでも、くよくよ悩むのは、いけないということです。悩み事や考え事が、こんなに体をむしばむなんて。

 そういうわけで、こういうときに家でおとなしくできることはないかしらと、普段できないことで気になっていることをいろいろやってみるのだけれど、すぐ疲れてベットに横になってしまう、の繰り返しでした。午後は、諦めてベットへ。もう、こうなったら、徹底的に休むことあるのみ。でもちょっとだけ、仕事。

 夕飯も、作る元気も、買い物に行く気力もなく、第一、食べられないと思ったし、やめてしまいました。水分だけはとりました。

 夜は、PCのテレビで『のだめカンタービレ』第2夜を。あんな風に、楽しくピアノを弾くということを、わたしも忘れていました。ピアノを弾くときは、この道に進めなかったという、ちょっとした胸の痛みを感じながら弾いていました。でも、わたしはプロにはならなかったのだから、もっと楽しんで弾けばいいのかもしれない、そう思ったら、懐かしいパリの情景とあいまって、爪を切って、弾いてみようかしらという気になりました。いかにもフツーの感想で、お恥ずかしいのですが、それで佳しとしましょう。

「仕事」が一番の良薬かも2008年01月06日 23時59分59秒

 今朝は吐き気止めの薬を飲んだら食べられて、大丈夫だったのですが、明日から、いよいよ仕事が始まると思ったら、臆病になって、やっぱり朝一で病院に行き、点滴をしてもらいました。体重も、3キロほど減ってしまって、いつもポッコリしてるのが気になるおなかも、わたし的にはペッタンコ。こういうのは、ちっとも嬉しくありません。外を歩くと、気のせいか、フラフラするようで・・・・・・。

 でも、点滴をしてもらって、単純なわたしは、元気になったような気がして、自分で焦ったこともあって、あれほど行きたくないと思っていたプールへ行ってみようかしらという気になり、ほんの30分だけ泳ぐと決めて、行ってみました。2週間ぶりのプール。いちばん好きな水着を着て。どういうわけか、初泳ぎは、大嫌いな横泳ぎをしてしまったわたし。なんでこんなものを泳いだんだろう。たぶん、他の4泳法をする自信がなかったんだと思います。でも、恐る恐る、クロールを泳いでみました。なんだか、手足のタイミングが、いつもと違うようで、わたし、ロボットみたい。やっぱりうまく泳げなかったと思いました。ブレストを泳いでも、顔が上げられず、まして、大好きなバタフライは無理だわと、がっかりしました。友人がいて、いろいろ教えてもらったけれど、やっぱりできない。できるようになる?なる?なる?泣きたい気分でした。

 夜は、珍しく、父とテレビで『釣りバカ日誌』を観ました。わたしは、やらずにためておいた、縫い物をしながら。年末から出かけたお正月の初詣も、今年は例の予備校時代の友人たちとすごしてしまったので、考えてみれば、あまり一緒にいる時間も話す時間もなかったから。父は、『たまには、飲むか?』と、自分は下戸なのに、わたしにワインやら、彼なりにおつまみやらを用意していました。きっと心配かけているんだろうな、わたし。こういう父との穏やかな時間も、これからはちょっと大事にしていきたいなと思いました。

 さて、明日から仕事。休みの苦手なわたしは、ホッとしています。具合悪くたって何だって、仕事はバリバリやりますわよ、わたし!

感性が冴えてきたかも2008年01月07日 23時34分07秒

テトラ包みのクッキー
 やっと今日から仕事。今朝は6時前に家を出て、オフィスには7時過ぎに到着。今日もわたしが一番で、とにかく、コーヒーを飲みながら、まず一仕事しました。みんなが集まったところで、年頭の挨拶をして、延々と続き。わたしの仕事には、年末、年始の区切りはないので、一気にフツーの生活になりました。

 早めに退社。午後は友人と会いました。わたしがこのところ、元気がないのを心配して誘ってくれたのだと思います。彼女のさりげなくさしのべられる手には、ほんとうに助けられています。そして、彼女といるときは元気になれる。こうして、だんだん、普段の自分を取り戻していかれそうです。

 夕方、この友人とお茶を飲んだのですが、家に帰って、ふと、義叔母のことを思い出しました。義叔母が彼女と似ているとかいう、物理的なことではなく、観念的なもの。どこかで感じたことがある何か・・・・・・なんだろう。どこかで経験したことがある香り? 彼女が手にしていたカフェオレボウル? なに・・・・・・? これってデジャヴ?

 そうだった、義叔母は、わたしなんかと違って、おっとり、ゆっくり、品のよい人で、コーヒーも、わたしみたいに、苦いブラックを好んだのではなく、あくまでも上品に、カフェオレを好んでいました。その香りだった。そして、言葉は少ないけれど、感情深く相手を思いやり、決して仕返しということをしない人でした。今日の友人に、義叔母を感じたわけではありません。ただ、何というか、観念的なもの、友人の人柄に、義叔母のような、人を肯定し包容する、そういう精神を、後から感じたのでした。この彼女は、もうすでに、わたしにとって、かけがえのない人なのだと思いました。

 今日の写真は、その彼女とお茶した喫茶店の“みずほママ”が、お年始にと言って、帰りに手渡してくれた、ママお手製のクッキーが入った、これもお手製テトラの袋。この三角錐型の袋を手渡されたときも、ふと懐かしい香りを感じたわたし。何だろうと思っていたら、これはすぐに思い出しました。以前パリを旅行したとき、美味しそうなケーキ屋さんで一つだけ自分用にケーキを買ったら、素敵な包み紙でこのテトラ型にケーキを包んでくれて、手渡してくれたのでした。 今日、みずほママは『中身はクッキー1枚だけよ。』と言っていたけれど、この包みの中身は1つでなければならない。ママも、フランスではこういう包み方をするのを知っていたのだわ。丁寧に赤い糸で縫われたお手製包み。開けるのが惜しくて、写真におさめました。そういうわけで、このクッキー1枚の為に、夕食後、久々にきちんと紅茶を淹れました。

ソプラノコンサート2008年01月08日 23時59分59秒

今日は、来週末のコンサートの宣伝をします。

ソプラノ歌手 嶋貫美智代(しまぬきみちよ)コンサート
       ~アリア・カンツォーネ・唱歌など~

日時:2008年1月19日(土) 14時~

場所:かつしかシンフォニーヒルズ  アイリスホール
    http://www.k-mil.gr.jp/calendar/iris.html
    東京都葛飾区立石6-33-1
    最寄り駅:京成線 青砥駅 徒歩7分

地図:http://www.k-mil.gr.jp/access/sym_access.html

チケット:当日券 ¥1000 当日会場にて

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嶋貫美智代(Michiyo Shimanuki) プロフィール

メゾ・ソプラノ時代、藤原歌劇団等のオペラ、各種コンサートに出演。畑和子に師事し、2回のミラノ短期留学。ロッシニアーナを経て、ソプラノ・リリコに転向。91年より11年ミラノ留学。R・グアリーニ、A・カンビ、G・バルサンティ、V・ボローニ、F・フェラーリス、D・マッツォーラ、E・マッツォーラ、G・ムリアルド、F・アルバネーゼ各師に師事。イタリア各地やスイスでコンサート出演。

フランチェスコ・フェリフォーネ国際コンクール2位。
イゾル・ボロミー国際コンクール2位。

帰国後は、「ベルカント唱法」普及のため、コンサート・学校鑑賞会の演奏のほか、劇団ヴォイストレーナー等として、レッスン活動。
日本オペラ協会準会員。アミーチデッラリリカ会員。「ベルカントと共に」主催。
http://members.jcom.home.ne.jp/amici/shimanuki.htm

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嶋貫美智代さんは、わたしが幼い頃からレッスンを受けているピアノの先生でもあります。2006年11月3日に行われた、「かつしか区民コンサート ディスカバークラシック2006」に出演、オペラ「運命の力」より、ヴェルディ作曲「神よ平和を与えたまえ」、オペラ「トスカ」よりプッチーニ作曲「歌に生き、愛に生き」を歌い、土田京子氏講評のもと、アイリスホールを一日使える奨励賞を受賞し、今回のコンサートの運びになりました。イタリアでオペラ歌手として研鑽を積むこと足掛け11年、ベルカント唱法による、美しい歌声をお楽しみいただけたらと思います。
当日、わたしも、1番弟子として(優秀な弟子と言う意味ではなく、嶋貫美智代さんの初期からの弟子として)お手伝いに伺う予定です。オペラに興味のない方には、何だかわけのわからない曲目など書きましたが、実は、わたしもあまり詳しくはないのですよ。ただ、歌は、どんな言語で歌われていても、あるいは、詳細な意味がわからなくても、洗練されたよいものならば、癒され、感動し、明日への活力になるものです。詳しくなくてもいいのです。平服で充分!それより、縁あって、わたしのブログを読んでくださり、このページを開いてくださった方に、気軽にお越しいただければ、わたしも、どんなに嬉しいことか。当日、わたしに会ったら、どうぞお声をかけてください。わたしもキョロキョロしながらお手伝いしています。また、わたしの顔を知らない方も、わたしが当日会場におり、お越しいただいたことに感謝しておりますこと疑わずに。おひとりでも多くの方に、嶋貫美智代さんの歌を聴いていただき、応援していただければ幸いです。土曜の午後のひととき、ご家族さまと、ご友人と、あるいはおひとりでじっくり楽しむのも素敵です。

みなさまのお越しを、心からお待ち申し上げております。

祈り2008年01月09日 23時59分59秒

みずほママのクッキー
 上の写真は、おととい、みずほママからいただいたクッキー。テトラの包みを開けて、その中身です。ただ、焼きっぱなしのクッキーだったとしても、充分美味しい生地でしたが、丁寧なみずほママのこと、アラザンがけしたレモン風味のアイシングがかかっていて、そのほどよい酸味がクッキー生地の甘みとあいまって、それはそれは美味しいクッキーでした。わからなかったのは、この形。いったい何を模した型なのだろう。ひつじ?

昨日は、朝から晩まで(というか、明け方まで)、ほとんど徹夜で仕事をしました。でもって、明け方4時半ごろだったかな、帰って来て、シャワーを浴び、30分ほど仮眠して、今朝、また仕度して出勤。だったら、オフィスで夜明かししてしまえばいいものを、なぜか一度家に帰って、自分のベットにもぐり込み、安心してほんの少しでも眠りたいと思うのです、わたし。自分のベットほど、安心できるよい場所は、いまのところ、ないです。

 朝から、昨日から延々と続く仕事をして、今日はまともな時間に帰れましたが、さすがに夕食を作る元気はなく、父と外食。なんだか、お正月に食べられなかった反動か、やたらにおなかが空いて、量を食べてしまう。気をつけなければ。アルコールは、疲れるので、あまり飲みたいとも思いません。

 夜、ちょっと思いを込めて、勝負水着2号になって欲しい水着を着て、ホームプールへ。夜行くのは、今年になって初めて。


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 今日は、人に、モノに、心の中で、少しの間のさよならをしました。
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パン作りは優雅に2008年01月20日 23時59分59秒

わたしの初・テーブルロール
 わたしがパン作りをするなんて、思いもよらないことでした。パンは好きだけど、一度、本を見ながら焼いたパンが、とても堅くて、結果的に上手にできなかったことで、苦手意識がありました。それと、あの、2度の発酵タイム、ベンチタイム・・・・・・あの、中途半端な待ち時間に、他のことをすると、それを途中で止めて、パンに戻らなければならないのが、なんとも面倒に思えていました。そして、それを克服するほどの情熱と興味もありませんでした。

 昨年の暮のこと、通っている料理教室
http://www.m-waki.jp/index.htmlで、以前にアシスタントをされていた先生の作ったシュトゥーレンを試食する機会があって、そのハッとする美味しさに、大袈裟に言えばちょっと感動しました。ドイツのクリスマスの頃のお菓子?パン?のシュトゥーレン、どこで買っても美味しいと思えるものに出会えず、シュトゥーレンって、あまり好きでない範疇のものだったから。

 さて、その元アシスタントの先生が、今月からパン教室を始められるというので、ちょっとやってみようかしらと、今日から生徒になりました。今日の生徒は3人。ひとりは、先生と製パン学校で一緒だった、いはばプロ。もうひとりも慣れた人で、とても手際がよい。わたしはやっぱり劣等生でしたが、先生の助けもあり、写真のような基本のテーブルロールが焼きあがりました。焼きたてのアツアツに、先生手作りのジャム、バターなどを添えていただく醍醐味。そして、持ち帰ったパンは、少し時間が経って、今度は、小麦粉の味が堪能できたのと、そのもっちりとした食感を楽しめました。これは自分で焼かないと!

 わたしの苦手な、発酵タイム、ベンチタイムは、先生を含めた4人で、紅茶を囲みながら、パンのお勉強やら、他のことなど永遠におしゃべり。そうか、こういうふうに、パンはお友達とお茶しながら、作ればいいのね。生徒のひとりから、シフォンケーキを教えてという話になって、あれよあれよという間に話が具体化して、近いうち、先生のお宅で、このメンバーで、わたしがシフォンケーキをお教えすることになってしまいましたが、何だか、こんなの、いいんでしょうか?