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今度行くときは2009年05月04日 23時59分59秒

 さっき帰りました。帰りは首都高東池袋まわりで来て、夜の街が見えてきました。わたしの勤務するちっぽけなビルも。一応夜の東京。あぁ、帰ってきたんだわと思うと、嬉しくなりました。

 この3日、八ヶ岳山麓の林の中の別宅(?)で、何をするとか、何かを見に行くという目的なしに過ごしてきました。八ヶ岳も今は春とも夏とも言えない微妙な季節で、山桜が咲いているかと思うと、ニホンズイセンが咲いていたり、標高が高いところでは芝桜がまるでじゅうたんのように咲いていたりして、お花をこころゆくまで眺めました。朝、朝食前に林の中を散策していると、ウグイスやコナラの鳴く声。それから、わたしにはもう、識別不可能な鳥の鳴き声。空気が澄み渡り、鳥の声以外には風の音しか何も聞こえない朝。普段、東京にいるときには、決して使われることのない感性が、強く現れるのがわかります。いっそ、ここにずっと住んでしまおうかという考えが、何度も頭をよぎりました。(←絶対できないことがわかっているからこそ、そう思う。)

 日常から離れ、仕事のことはほとんど忘れていました。勉強するとき、仕事をするとき、遊ぶとき、それぞれを充実したものにするには、それぞれを真剣にやろうと思っています。それで、こののんびりした時間も、真剣にのんびり、徹底的にアソビに徹しました。

 今回は、行きに遠回りして長野から南下して清里に入りました。で、帰りには勝沼に寄り、夏の分のワインと、友人へのお土産ワインを沢山購入。今回は、フジッコワイナリーで生ワイン他、蒼龍(しょうりゅう)ワイナリー、丸藤ワイナリー(ルバイヤート)などに寄りました。蒼龍ワイナリーと、ルバイヤートは勝沼ワイナリークラブに入っていて、それぞれ勝沼ボトルのワインがあり、それも購入しました。これからの季節ということで、白が多かったのですが、友人に赤が好きな人も多く、彼らには夏に向かうけれど赤を。

 ・・・・・・帰ってきた安堵感。あれほど日常から離れたいと思っていたのに、帰りは早く東京に帰りたいもの。帰りの車の中で、何度居心地のよい自分の部屋を想像したことか。そしていま、その居心地のよい自室にいて、これを書いているほっとした気持ち。わたしはここに帰るために、旅をするのかもしれません。

 写真は、5月2日まだ雪が残る八ヶ岳。

いまごろもう眠い2009年05月05日 22時01分35秒

 洗濯好きの母に育てられたせいか、ほぼ毎日洗濯していながら、、これがひとり分?というほどの洗濯量のわたし。2泊の旅行から帰ったのだから、洗濯機を回すこと朝から3回。午後からは本降りになったので、部屋の中であちこち。

 昨日の帰りがけに、いつも寄る白州の道の駅で、ハーブとお花の苗を買いました。いつもはお野菜を沢山かうのだけれど、仕事やら水泳大会やらで、今週末まで気が抜けないので、帰ってすぐ手を加えないとダメにしてしまう野菜は今回はやめました。ここの道の駅は、たいしたスペースがあるわけではないのですが、南アルプスの天然水を持ち帰れるのと、農家から届く新鮮な野菜が人気で、いつも混んでいます。

現実の世界に戻ってきたわけですが、まだ、世の中連休後半。わたしも暦どおりの出勤ということで、まだまだ気分はゆるゆるしています。ただ、ちょっと気になることがあって、おとといくらいから、上唇が妙に乾燥して、風邪の前兆のようです。連休明けは、その分仕事がたまっているので、なんとか治しておかなければ。

素敵になりたいモチベーション2009年05月06日 23時27分07秒

 連休最終日の今日、あいにくのお天気でしたね。
 それでも、明日からのことを考えて、洗濯、その他の家事など。

 お昼に、この3月まで同じ課で一緒に仕事をしていた友人と、お食事。キッチンマットをいただきました。ちょうど、洗い替えを欲しいと思っていたところに、タイムリーな頂き物でした。

 以前同じ職場で一緒に仕事をしていた人というのは、かなり多くいますが、職場だけで縁がなくなってしまう人があるなかで、副業の職場は、彼女のように、案外そういうことがなく、職場を離れると、そのとき以上に親しくなるのです。日帰りで遊びに行くだけでなく、旅行したり、食事やお酒を飲むことも。そして、ときには、相談事や、よきアドバイスをもらうこともあります。この職場が、そういう雰囲気のところなのでしょう。そういう意味では、良い職にいるということになります。

 のちのちお付き合いが続く人と、同じ職を得ていることは、生活を豊かにするものですね。

 さて、明日からまた仕事。少し張り切ります。それから、再び勉強も始めます。そして、恋ですが・・・・・・これは・・・・・・いまはまだ ♡ヒ♡ミ♡ツ♡です(^_^;)

マスターズ大会2009年05月11日 23時59分59秒

昨日は、第39回 フィットネスクラブ東京ドーム マスターズ大会に出てきました。

 わたしは2年前に初めてマスターズ大会に出たのですが、それがまさにこの大会で、そういう意味でちょっと思い入れがあったことと、このところ、わたしの水泳をとりまく環境が良くないことで、泳ぐのがちょっと億劫になっていて、ロクに練習もしないという悪循環を何とか打破したい気持ちもあり、出場することにしました。

 先月、プールに行ったの1回。今月も同じようなもの。本当は出るべきじゃないし、正直、朝から棄権しようという気持ちがちらほら。でも、『まだ勉強不足だから、今日の模擬試験は受けないで、うちでお勉強する。』と言って、現実回避している受験生のようで、それもいやでした。ところに、姪っ子1号から電話。

1号 『おばさま、今日、試合なんだって? 応援行きたいけど、行けないから、とにかくがんばってよ。で、今日の目標は?』って。

わたし『とにかく、2年前の屈辱的なタイムを切ること。具体的には、20秒を切ること。』

1号『なぁんだ、自信なさそうだったから、電話したけど、おばさま、ちゃんと目標あるんじゃん。じゃ、がんばってよー!』

……そう言われて、わたしも気づきました。わたし、目標あるじゃん。じゃぁ、がんばろう!

 水道橋までの道々、とにかく、練習は完全に不足しているわけだから、いまのこの状態で、どうしたら目標突破できるか、考えました。そのとき、思い浮かんだのが、『勝負脳』のこと。よくできた時の泳ぎをイメージすること。負けることを考えないようにもしました。

 スタート台に立ちました。足が震えて、プールに落っこちそう。でも胸を張って深呼吸。わたし、スイマーだもん!一応。クラウチングスタート。台を蹴った瞬間、足を高く上げました。飛び込んだ瞬間、悪くない飛び込みだったと思い、スピードを見極め、ドルフィンキック。わたしはドルフィンキックを切りよくやめないと記録が出ないのを自覚していたので、たぶん、3,4回で浮かび、バタフライを泳ぎ始めました。良いときの泳ぎのイメージ。イメージ!イメージ!無呼吸は意識しませんでした。無理をすると、かえって記録が出ないことも知っていたし、タイミングもあったので、途中1回だけ顔を上げ呼吸しました。
 長い長い25メートル。腕を入水後、回転があがらず、スローモッションで泳いでいるようで、記録のことが頭をよぎりました。でも、最後は流さず、あくまでもかき切りました。結果、20秒切りました。

 うれしかった。うれしかったけれど、ひとつ、後悔もありました。もっと練習して臨みたかった。そうすれば記録がもっと出たというのではなく、気持ちが良かったはず。

 終わってシャワーをあびているとき、突然、鞭打ちの痛みが首肩を襲いました。半年に1回くらいなる、寝違えのひどい感じのものです。よりによって、大会当日にでした。死ぬほど痛くて、一瞬動けないんですが、まあ考えようによっては、レース後でよかったです。

 わたしなりに、今回のレースを解釈しました。目標タイムを切り、自己ベストを出したのは、水泳をもっとがんばって続けなさいという激励、鞭打ちになったのは、練習しなかったバツをちょこっと与えられた……、そういうわけで、明日からまた、泳ぐことにしました。熱があっても、多少具合悪くても、以前のように泳ぐことにします。(←でも、よい子のみなさんは、まねしないよーに。わたしは単なる水泳中毒患者に戻るだけですから。)

 というわけで、なんの脈絡もなく、写真は先日作った餃子。友人はみんなコレがおいしいと言ってくれます。

体を任せてみた2009年05月20日 23時59分59秒

 実に当たり前のことだけれど、今月ももう20日になってしまい、日の経つ早さにちょっとびっくりしています。

 お休みのいちにち。午前中、実家に帰り、ちょっと用を済ませ、そのまま、友人宅へ。この3月まで一緒に仕事をしていた彼女が、こういう趣味、というか、そういう興味を持っているなんて、全然知らなかったに等しいのですが・・・・・・

 アロマセラピストの学校に通い、そういう資格目指して、ほぼ勉強を終えるところなのだそうで、わたしの体が欲しい・・・・・・つまり、アロママッサージの実験台をして欲しいということでした。彼女からすれば、実験台なのかもしれませんが、実はこういうマッサージをしてもらうの、大好きで、数年前からいろいろなところに行っていました。わたしのは、リラックスしたいの半分、凝りに凝ったからだを何とかしてもらいたいの半分なのです。でも、アロママッサージにしても、マッサージ師にしても、その時は気持ちがよくなったような気になるだけで、完全に満足したというものではありませんでした。

 お茶をご馳走になり、香りも決めて、いよいよ実験開始。はじめは緊張してしまうわたしですが、それはたぶん彼女も同じこと。でも、すぐ、彼女に任せて大丈夫だとわかったわたしは、うつらうつらしながら、こういうときいつもそうなのだけれど、何の脈絡もなく取りとめもない話をしているうちに、安心しきって、彼女の施術に呼吸を合わせていました。いままでに味わったことのない気持ちよさ、安心感。まさに彼女は、わたしの『ツボ』を心得ているかのようでした。

 この1年一緒に仕事をして、彼女について、すべてというわけではないけれど、なんとなく、こんな感じの人というのはわかっているつもりでした。わたしのように、おしゃべりではなく、いつも冷静で、わたしが困ったとき、何も言わずに助けてくれた人でした。彼女が仕事に来ているときは、何となく楽しく、安心していました。
 
 いままで経験したことのないような、すばらしいアロママッサージだったことが、時間を経て、さらに確信しました。アロママッサージって、こんなに効くものなのだ、とあらためて、思いました。

 けれど、それはまだ、安直な結論でした。アロママッサージをしてくれた彼女の技量だけではないと思うのです。それは、彼女の人柄、心が彼女の『手』を伝わって、わたしに届いたということなのではないかと。
考えてみれば、前の晩、飲み物の好みを聴いてくれました。彼女の家に行ってお茶をいただいたと書きましたが、その好みどおりのものでした。その他、わたしが気付かなかったことで、彼女がわたしを思い、準備してくれたことが、たくさんあるはず。つまり、こういうことなのです。単なる技量のよさだけでは、味わうことのない満足感、彼女のわたしに向けられた心、そういうものがすべて結果につながったということなのです。

 そういう意味で、心も満たされたすばらしい一日をすごしたわたし。もう、彼女以外に、安心し、信頼してアロママッサージを頼める人はいないこと、すばらしい友人を持ったことに、嬉しくなり、更には、わたしも彼女のように、心を込めて人に向かい合いたいと、あらためて思った晩です。
 良い友人は、自分を高めてくれるもの。わたしもかくありたいものです。