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弱い自分に戻るのはいや2009年09月07日 23時59分59秒

大したことないと、気楽に考えていました。きっと、『異常なし』のはずって。

 6月にやった、職場の健康診断で、わたしは、はじめて、2次検診にひっかかってしまいました。生まれてはじめて!しかも、わたしとは全く関係ないと思っていた『胃』なんだもん。このときのショックも大きく、それでも、同僚たちは、『たまたま疲れていただけなんじゃないの?』『精密検査に行っても、たぶんなんともないと言われるよ』『胃カメラ?大丈夫。泳ぐより楽だよ。』とか、いろいろ、いっろいーろ、慰めてくれていました。

 いざ、今日。本当は、日延べしたかったのです。というのは、昨日は水泳大会の後、浴びるほど、お酒を飲もうと思っていたから。けれど、事前に病院に日程変更の申し出をしたら、ひとつき先になってしまうとわかり、それなら、無理してでも今日にしよう、と判断した時点で、実は、わたし自身、体調があまりよくないと感じていたのかもしれません。というのも、ひと月ほど前、大嫌いな『あるモノ』を見たら、アレルギーが強く出てしまい、特に顔がヒリヒリして、水で洗ってもかぶれて痛くなってしまうほどだったから。ついには皮膚科にかかり、ストレスと疲れによるアレルギーと診断されていたのでした。

 職場の人に見送られて、9時半勤務しているところを出発。大江戸線の春日駅で降り、はじめての胃カメラ。痛い。苦しい。どっかで、「わたしスイマーだもん。頑張る。」って思わないと、誰も付き添いのない、たったひとりぼっちの検査を乗り切れませんでした。検査の間中、看護師さんが背中をさすっていてくれて、それがどんなに有難かったか。本当に怖かったし、痛くて、それと、素人目にも、普通じゃないかもと思える映像を目の辺りにして、検査を受けながら、涙が出てきました。赤い腫れ、色の違う点、ドクターが看護師さんに何かを指示していました。わたしは、苦しいし痛いしで、よく聞き取れませんでしたが、何枚か写真も撮っていました。一度、ちょっと細胞をとりますね、と言われました。看護師さんの背中をさすってくれる手は、いっそう力が入り、「大丈夫よ。」と。

 終わって、ベットからおきあがろうとしたら、麻酔が効きすぎていたのか、ふらついて、しばらく別のベットで休憩。ドクターから説明。
「慢性胃炎がありますねー。それと、ポリープ。たぶん良性ですが、一応検査にまわします。」もう、目の前が真っ暗でした。

 事務的なことを済ませて、すぐ外に出、妹に電話。泣きながらかけていたので、妹をびっくりさせてしまいました。そうだった、わたしたち姉妹は、電話にはとても敏感でした。

 すぐに事情を察した妹は、「おねえちゃん、大丈夫よ。絶対。うちの家系は、癌の人、パパのほうにもママのほうにもいないし。それに、まだ悪性と決まったわけではないし、ダメなものなら、切っちゃえばいいのよ。わたしたち、ママに、大事に大事に育てられたけど、でも、ものすごい修羅場だって、くぐってきたでしょ。それに、もうすぐ姪っ子3号のおばさまになるのよ。おばあちゃん(わたしたちのママ)が、いないんだから、おねえちゃんに頑張ってもらわないと!あっちゃん(弟)の分も、ママの分も生きるって約束したよね。」

 今日は、もう、仕事を休んだらという妹に、そうしても、マンションのベットで寝ているだけだけなのは目に見えているから、それだけは抵抗して仕事に戻りました。

 泣き腫らした目は、すぐに元に戻るわけでもなく。職場では泣かないと思っているのに、3月まで一緒の課だった人に見つかって、事情を話しながら、途中声が出なくなってしまいました。

 とても元気だったころのわたし。それに戻りたくて抵抗し、もがいていたころ。そして、健康を取り戻したと思っていたこの3年あまり。それを思ったら、情けなくなっています。もっと強くなりたい。体も心も。もっともっと強くなりたいのに。

胃は治るかなぁ2009年09月08日 23時59分59秒

 とうとう、逃げていたもの、こと、そういうことと向き合わなければならない感じでした。逃げない、負けないと思っていても、なかなかそうはいかないものだけれど、心を強く持ち、頑張る。

 気になる彼は、いろいろ言いながらも、まだ言ってるのだけれど、先月末、交通事故に遭って以来、体調が思わしくないみたい。機嫌もよくないのは、相手がわたしだから?先日、彼を知る親しい友人にわたしの気持ちを話してしまいました。意外といえば意外だけれど、わたしの話を聴いたあとで、彼に魅かれるのもわかると言っていました。

 彼には早く元気になってと祈るばかり。

プールは外から見るもんじゃなく2009年09月09日 23時59分59秒

 火曜日の夜、ホームプールでいつものコーチが、仕事を終えて帰るところにお会いしました。
 以前は何人かで一緒にお酒を飲んだりすることもあった仲間であるとはいえ、会員でもあるわたしに、詮索したり、その類のことはいっさいしない彼が、めずらしく日曜日の大会レース棄権について、わたしにお尋ねがありました。というのも、一緒に泳ぐことになっていたメンバーは、すべて彼の選手時代に、一緒に泳いでいた人たちだったから。

 わたしは、もう包みかくすところなく、起こった事実をありのままに話す以外にありませんでした。彼はすべて、細かいことまで真剣に聴いたうえで、

 「セルクルさんは、セルクルさんの目標を達成するように、練習してください。暮れの大会がありますから。」と。
 わたしも大会以後のこの数日の間に、とにかく、自分の目標に向けて練習する決心をしていたところでした。

 水泳は、練習段階では、集団スポーツの性格があると思います。けれど、いざ、スタート台に立ったら、たとえそれがリレーであっても、究極には個人競技に思えます。最後の段階では孤独に戦わなくてはいけないわけで、そう思ったら、かえって気が楽になりました。

 この日はバタフライレッスン。次の大会長水路の50メートルバタフライ。さい先よく、夕べは、北京オリンピックに出た、藤野舞子ちゃんも泳いでいました。テレビだと華奢な感じですが、なかなかどうして、しっかりした体に、ちから強い泳ぎ。こんなすばらしい選手と同じホームプールであるのは、光栄なこと。プールの『中』で頑張れるようでありたい。わたしも頑張りますわよ!

刺激2009年09月10日 23時59分59秒

 今日は夏休みをとって、御茶ノ水の医科歯科大付属病院で抜歯。いままでの中でも、結構上位にランクする恐ろしい抜歯でした。

 わたしには、つらいときとか、頑張らないといけないときなど、文字通り歯をくいしばるクセがあるようで、それが災いして、虫歯にもなっていないのに、歯の根が裂けてしまうようです。それでダメになってしまいました。こういう症状は、よく、野球選手にあるようです。水泳は、呼吸を効率よくしなければならないので、泳いでいる最中にくいしばるということはないはず。もし、知らずにくいしばっていたとしたら、クイックターンのときぐらいでしょうか。あとは、寝ている間の歯軋りが考えられますが、人からそういうことを言われたことがありません。というか、たぶん、高校生のときから、個室で寝ているので、わからないのですが、旅行で妹と一緒の部屋で寝たけれど、いわれたことはありません。

 11時半には、わたしの体の1部ではなくなった4つに分解した歯を返してもらって、東京駅JR東海ツアーズへ。今月末の京都旅行のチケット、クーポンの受け取り。銀座に用事があったので、外堀通りを、久々に歩きました。大学卒業後、ずっと、新橋寄りの虎ノ門で秘書の仕事をしているわたしは、虎ノ門、霞ヶ関あたりから、銀座、日比谷、有楽町といったところは、仕事中や仕事帰りによく歩くまさに庭のようなところですが、この1年半ほどは、別の仕事を持ってしまったこともあり、以前ほどはあまり歩かなくなりました。でも、やっぱり、このあたりを歩いていると、ほっとします。ほんの小さな世界で、あーだ、こーだ考えている自分が、ほんとうに視野が狭くなってしまったような気がしました。ここに戻りたい。本業に完全復帰したい、とめようもないそういう思いが沸き起こってきました。

 迷い、具体性……そういうことを漠然と考えながら歩いていると、東京駅から有楽町に寄ったところに、前にはなかった、ある県のアンテナショップを見つけました。弟がそこの県立医大生だったので、かの地は馴染みの地で、迷わず入りました。新しいもの、かわらないもの、弟が読んでいたシティ情報雑誌。そういうものを見ていました。わたしがこのところ、再び思い始めたこと、20年前に実現しようと努力したけれど、かなわなかったこと、その思いに再び挑戦してみようかと、最近思っていること、もしかしたら、やれ!挑戦しろ!とのメッセージを何かわからないものが送っているような気がしました。

 もちろん、安易にできることではありません。けれど、このところ、副業をしていて、虚しさを感じるのです。いくらわたしが懸命に与えられたことをこなしても、それはやはり、どこかで、「非常勤」職員としてしか、評価されない。もっと悪いと、「人間扱い」されないこともあって。それは同僚も感じているようでした。当たり前だし、それを承知でしている仕事だけれど。でも、副業はわたしの仕事じゃないんです、たぶん。どんなにモチベーションあがっても、最終的にいきつくところは、そういうところです。
 
 ブレない生き方をすると決めたのを、日常の諸々にかまけて、ないがしろにしています。けれど、ブレないでいるのは、ほんとうに難しい。考えるときかもしれません。

いざ、鎌倉という勢いもなく2009年09月13日 23時59分59秒

 朝、思い立って30分で家を出て、鎌倉に向かっていました。そして、さほど早い時間時出て行ったわけでもなかったけれど、もう、17時前には家にいました。

 昨日は副業土曜出勤。今月は月末に連休があって、編集の仕事をするには、かなりキビシイ日程になっているので、振出をしました。幸いなことに、職員の出勤も少なく、電話も1本かかっただけ。11月号の入稿準備のため、原稿の校正、抽選、段組など、いつもなら、数日かかる仕事を、いちにちで終えることができました。

 今日は、彼を見かけました。彼はわたしをわざと避けていたと思います。ひとりが好き?わたしが嫌い?なんなの?すごく落ち込みました。

 こういうことがあると、ドッと疲れ、今日の仕事の間中、彼のことばかり考えていました。そればっかり。わたしのワルいクセ。去年の夏、大好きだった人と最後の話をした翌朝、出勤したら、発熱してて、一緒に仕事をしている人が気づいてくれて、早退したことがあったっけ。わたし、小学生のときに、担任だった先生に、「家でかなしいことがあっても、学校ではいつも元気だった。」と褒められたことがあるけれど、その頃のわたしは確かにそうだったのに、いまはすぐに顔にでてしまいます。(といっても、小学生のとき、それほどかなしいことはなかったように思うのだけど。)

 大した仕事もしていないの、帰宅して、ご飯を作る気力もありませんでした。それでも、こんなにフラフラでは泳げないから、バナナを少し食べ、プールの時間までちょっと横になろうとベットに入ったら、結局気づいたら真夜中の1時すぎ。プールに行きそびれ、すっかり寝入ってしまったようでした。

 おまけに、服を着ているのがイヤだと思ったのか、身につけていたものが脱いだ順にベットまで点在していました。で、ちゃんと、いつものネグリジェ着てる。これは覚えがありません。お酒も飲んでいないのに、そうとう疲れていたようでした。そういえば、体中がしびれているような感覚で、起きられないと思ったような記憶がよみがえってきました。

 朝、目覚めても、昨日のことが忘れられず、まいったなぁという感じ。失恋したときのような喪失感とかそういうのとは違います。だから、そんなに深刻でははいのだけれど。

 それで、どこかに行きたくなって、それも、絶対、知っているひとにあわなそうなところに。何となく、鎌倉にでも行こうかしらと思いつき、わたしにしては、ありえないほどの軽いメイクをして、大急ぎで支度をし、北鎌倉の駅に着いたのは、午前11時前のことでした。

 実際、鏡でみていたわけではないけれど、わたしは、北鎌倉から円覚寺に入っても、まだ、泣き腫らした目をしていたと思います。

静御前はこの海を見られたのか2009年09月14日 23時59分59秒

  鎌倉のことを少し。 

 円覚寺を観、以前から興味のあった東慶寺へも。東慶寺へ行くのはちょっとためらいました。だって、縁切り寺だもんね。でも、彼とわたしがうまくいかないものなら、縁も早く切ってしまったほうがよいかもしれないと思いました。

 もう、疲れていて、どうにもならない。大仏にも行ってみようと思ったけれど、ふと、海が見たくなり、江ノ電に乗り、長谷駅で降りて、由比ガ浜へ。海は、わたしの心とは関係なく、寄せては返すの繰り返し。靴下と靴を脱いで、波に向かってみました。まだ、あたたかい水。少しスカートぬらしちゃったけれど、もうどうでもいいわという気持ちでした。

 海を見て落ち着いたのか、空腹を感じました。そういえば、ゆうべから、ロクなもの、食べていなかったもん。由比ガ浜が見える、ドイツ料理のお店へ。
 ドイツ人夫婦でやっているお店でした。顔を見なければ、日本人が話しているのではと思うほどの流暢な日本語を話す初老のママ。軽めの食事をしたいというわたしに、それではコースではなく、このフランクフル「タ」ソーセージがいいと。ポテトも沢山ついているしね、パンは? 食べたい、と。それと黒ビールも頼みました。

 オンナひとりでいるのが、何となくアブナっかしいと思ったのか、わたしの様子がへんだったのか、うるさくない程度に、ママが話しかけてくれました。そうよね、こんな海に、明らかにヨソ者が、浮かない顔しているんだもんね。わたしは、別にどうということもなく、ただ、ちょっと考えたかったのと、疲れていただけなんだけれど。

 運ばれてきたお皿には、フランクフルタソーセージとポテトがたくさん、それとザワークラウトらしきもの。わたしが、これが、ザワークラウト?と聴くと、そうよ、とママ。はじめて食べるわ、というと、他のものと一緒におあがりなさい、単品で食べると、すっぱいから、とアドバイス。わたしの好きな粒マスタードがたくさんあって、それも嬉しかった。

 ひとくち、ふたくち食べていると、ママが、どう?と。わたしは、美味しいわ、と。とくに、ポテトが美味しかった。たぶん、厨房には、ドイツ人の夫がいて、その人が作ってる、勝手にそんな絵図を描きながら、黒ビールとともに、おなかいっぱいのランチタイムでした。適度に放っておいてくれて、居心地のよいレストランでした。

 もういちど海を見て、長谷駅に戻り、同じ経由で帰宅。

 彼には、彼がどうであろうと、同じ態度で臨もう。でも、多くを望むのはやめよう。わたしに入りこんで欲しくないのかもしれない。もし、彼がわたしを必要とすれば、わたしは応えられる。けれど、わたしに彼は必要ないのも事実。人とのかかわりというものは、こういうハンパなものもあるのだと思います。

ブレないもの2009年09月14日 23時59分59秒

 昨日、由比ガ浜を去るときに、砂浜にあった貝殻を拾いました。小さな小さな、小指の爪ほどしかない、たよりないのを五つ。

 それを日よけに着ていた薄手のジャケットのポケットに突っ込み、それきり忘れて東京まで帰ってきました。

 今日は休日。洗濯機の中に、その貝殻を見つけました。うっかり、ジャケットを点検せずに洗濯してしまったのです。あんな小さくて薄い貝殻、どうか、割れていたりせずに、そのまま出てきてと願いながら捜すと、全部が拾ったときの形のまま、きれいになって出てきました。

 こんなに小さくて、薄くて、頼りない貝殻。けれど、それは、貝の持つ性質か、壊れなかったのです。



 あの海岸で考えたこと、今日、友人にメールをしたときに、自分の気持ちのコアな部分が見えてきました。小さなことに振り回されないで、大切なこと、ブレない生き方、そういう方向に向えるか、ということがわたしという人間のこれからを決定づけていくような気がします。

すれ違い2009年09月17日 09時14分59秒

 昨日は、神楽坂までお料理教室に行きました。このごろ、お菓子教室より行っているかも。フレンチの脇雅世(わきまさよ)先生です。最近、テレビによく出演していて、テレビのおっかけはできないくらいで、諦めました。

 いつも早めに着くわたしは、先生とおしゃべり。パリでフランス仕込みの生活をしてきた彼女は、どこか、堅実な匂いがして、普通の感覚を取り戻せます。

 終わって、教室のお友達3人と、デザートの材料のフロマージュブランを、神楽坂のチーズ専門店に買いに。結局、ケーキ一台分しかなかったので、ご主人のお誕生日に作りたいと言っていた友人に譲り、わたしは他のチーズ。フロマージュブランは、なかなか売っていなくて、先日も丸井のチーズ屋さんに注文したほどなんです。

 その後、お友達とお茶。この友人たちは、わたしが独身なのを心配して、「わたしを結婚させる会」を昨秋作ってくれました。おまけに会長を買ってでてくれた人は、札幌在住の人だったのですが、この秋から、ご主人の東京赴任で、東京在住となりました。

 お茶を終え、夕方遅く帰途についたら、ある駅で、上り電車が出る時刻でした。わたしの乗る電車から見えていました。定時なら、彼が乗っている電車。いま、わたしが自分の電車を飛び降り、そこに行ったら、きっと彼に会える。もちろんそういうことはしなかったけれど、ちょっと寂しい気持ちになりました。

 ずっと独身を通してきた彼も、もう、自分の生活時間を逸脱することはあまりないようで、淡々と自分のためだけに生きている感じです。わたしも、この1年近く、ひとり暮らしをして思いました。自分のためだけに生きることは、ほんとうに自由で、生活するのは楽です。けれど、自分のためだけではなく、「この人」と思った、その人のために生きるということは、すごく生きがいを持って、ものすごいパワーでもって、強く、そして、安定した心をもって生きられるということを、いまのこの時点で、実感・確信しているのも事実です。