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穏やかな日にふと思うこと2007年05月03日 22時08分48秒

庭のフランボワーズ(木苺)の花
憲法記念日の今日、あたたかくて気だるい一日でした。

片頭痛はするし、眠い。頭痛はかなりヒドかったのですが、意地でもノルマをこなそうと机に向かいました。朝、妹から電話があって、明日バーベキューをやるというから、どうしても今日の課題はこなしておかなければ明日楽しめないもんね。でも、どうしても頭が痛くて、最終的に今日のノルマをすべてこなすことはできませんでした。

5月になると、夏が近づいてうれしい反面、母の祥月でもあり、このおだやかな気候とは裏腹に、ある時ふと、ずしんと気持ちが重くなることがあります。気持ちよい季節だから、よけいにそうなるのかもしれない。実は今朝も、自分が母を呼ぶ声で目覚めました。呼んだって答える人はいないのに。いい歳をして、いつまでたっても子どもです、わたし。どうにもならないことと格闘しながら、それでも今日一日をなんとか有意義にすごすことを心がけました。こういうことが頭の中を堂々巡りしている間は、やっぱりつらいです。

明日は、明るく佳い日にしたいものです。

写真は庭のラズベリーの花。先日のつぼみだったものが、もう花をつけています。

つらい出来事2007年02月04日 20時40分37秒

朝のNHKニュースでもやっていたし、新聞にも大きく出たし、さらにはワイドショーでもやっていたということなので、ご存知の方も多いと思いますが、数日前の夜、隣県で火事があり、幼い子を含む4人が亡くなりました。翌朝、休日だったわたしは、姪っ子1号の通う幼稚園に用事で出かけ、そこでものすごい数の報道関係者がいるのを見て、もしやと嫌な予感が頭をよぎり、悲しいことにそれが的中してしまいました。亡くなった子のひとりは、姪と同じ幼稚園に通う園児でした。

学年が違うこともあり、直接そのお子さんは知りませんでしたが、その子のクラスの下駄箱がふと目に入ったとき、一足だけ「上履き」が入っていました。きっと普段と変わりなく過ごした前日。幼稚園での楽しい一日を終え、彼がそこで履き替え、小さな手できちんとそろえて置いた上履き。そんな勝手な想像をしたら、涙が出て、しばらく話もできませんでした。ほんの半日でよいから、過去に戻れるタイムマシンが欲しいと思いました。こういうとき、いつも思うことなんですが。でも、それもかなわない。人が突然亡くなるというのは、まさにこういうことです。

そんなわたしの気持ちとは裏腹に、ハイエナのようにたかる報道関係者。わたしは何も答えませんでした。答える気持ちにはなりませんでした。こんな時に、彼らに滔々としゃべれるほど、わたしはおおらかではないですし、だいいちこんな時、何も言葉はないです。

妹と話しました。彼女も自分の子に置き換えてみるまでもなく、縁あって同じ幼稚園に通う園児で、これからその子にもあっただろう将来を考えると、ほんとうに悲しいと言っていました。そして、悲しいけれども、それでも何かできるとすれば、彼らの死から学んだことを、わたしたちが生活に活かしていくことなんじゃないかという話をしました。しかし、このように簡単に結論付けてしまうことすら、つらいです。

夕食後、充分火の始末を確認してから、いつものようにプールへ行きました。ちょっと気乗りがしなかったけど、この気持ちのまま明日へつなげないと思って、あえて行きました。プールでも、自然と園児の話題になってしまいました。亡くなった園児のことより、報道陣が多かったことに、はしゃいでいた方もいて、少し驚きました。ひとつの出来事にはいろいろな受け止め方があるものだと、あらためて考えさせられました。

最近思うこと2007年01月26日 23時58分35秒

宝物のレシピ

ここ2,3日、やらなければならないことを全部終えるか、途中で挫折してベットに入るころには2時をまわってしまっていて、朝早く起きることを考えると、更新する気力がありませんでした。先日、頭痛もだんだんよくなっていると言った矢先、朝から頭痛の日もありました。調子にのって、頭痛はどっかへ行ってしまったというと、必ずと言ってよいほど戻ってくるので、頭痛が「軽快してる」旨の記述は、しばらくオアズケにしたほうが良いみたい。

それでも、とにかく前向きです。先日、最近仕事で知り合いになったひとに、ちょっとわたしのことを話したと書きましたが、それがきっかけで、誰もかれもというわけではないけれど、少しずつ軽く話せるようになっています。別にそれがわたし自身の特徴でもなんでもないのだけど、無理に隠すことでもなし、言わないという不作為にでるのも、不自然だという場合もあるし、いろんなことを全部ひっくるめての「わたし」ですし。

とは言うものの、弟や母のことを考えると、やっぱり眠れない日もあります。しかし、コレは仕方ないです。いろいろな事に目を向け、心を入れてあたれるようになっただけでも、ずいぶん自分を取り戻したという感じです。こうやって、堂々巡りをしながら、次第に強くなっていかれるのだと思っています。

何だか悲しいモードになっているようですが、決してそうじゃないんですよ。最近、ちょっと自分が変わり、まわりの人からも影響を受けて、いろいろ考えることが多くなっただけです。

先日レシピがなくなって、オロオロ捜したと書きましたが、わたしが自分の通う教室(http://www.makikofujino.com/)で習うときに配られるのが、写真左のレシピです。これに、習いながらメモを書き込みます。その後、家で復習をかねた実習をして、お菓子を自分の味にアレンジします。たいていは、同じお菓子を3,4回作らないと自分の求める味にならないのですが、その記録をとっているのが右のノート。レトロな感じですが、これは手書きです。どちらもわたしのたからもの。

ひとつの進歩2007年01月23日 23時28分14秒

わたしも、以前とは全く違って、身体も気持ちも見違えるように元気になりました。元通りとまではいかないけれど、60パーセントくらい。きっと、専門家や、たとえそうでなくても、誰かにぜ~んぶ話して聴いてもらえば、もっと早く回復できたかもしれない。けれど、わたしは自分で自分を取り戻したかったのです。

しかしそうは言うものの、、24時間ずっとというわけではなくて、時々、やっぱりやりきれないと思うときもあります。人と会っているときや、楽しく話しているときでも、そういうのは、何かをきっかけにふと襲ってきます。それでもたいていは、普通の顔をして普通にしていることはできるのだけど、ほんとーに100回に1回くらいは、たぶんヘンな顔しているときがあると思っています。

最近、仕事で知り合いになって信頼できる人に、思い切って話してみました。わたしの悲しいこと。同情してほしいと思ったわけではないのだけど、ヘンな顔してるわたしも理解してほしいと思って。けっこう勇気がいりました。驚いていましたが、理解はしてくれたようだったので、ほっとしています。

考えてみれば、人に話せるようになったことも、わたしの進歩かもしれません。このまま、できることがたくさん増えていき、強くなっていかれればいいなぁと思っています。

今日はわざと身体を疲れさせる2006年12月20日 23時54分04秒

今日は手紙をポストに投函したら、ポスト口に「年賀状用」ができていて、わたしも年賀状を書かなければとちょっと焦りました。

ケーキ納品3台でした。

今日は弟の祥月命日で、やっぱり「あの日」をシュミレーションしてしまいました。ずっとというわけではなかったけれど。いちにちの終わりのプールで泳いでいるときまで、考えてしまい、今日はやっぱりかなしかった。帰りの車に乗って一人になったとき、いちにち気を張り詰めていたのが急に緩んだせいもあって、涙がでました。

まだまだ、明日もやることが盛りだくさんなので、今晩は弟のことはちょっと横に置いておいて、明るい曲でもかけながら寝ることにします。

フルーツケーキ2006年09月03日 22時08分55秒

ヒロ子先生のフルーツケーキ

わたしの母という人は、わたしが作るお菓子の一番のファンだったと言ってもよく、『時間があったらでいいから、何か作って。』とよく言ってくれていました。何がいいのか尋ねると、決まって『あなたが作るものはみんな美味しいから、何でもいいわ。でも、フルーツケーキが好き。』と。親とはこんなにもありがたいものなのに、リクエストの何分の一も答えなかったことが悔やまれてなりません。母のお通夜の前の晩に、こんなことをしても何にもならないと思いながらも、泣きながらフルーツケーキを作り、母の棺にそっと納めたときの空虚な気持ちが忘れられなくて、その後、たくさん作っておいたミンスミートを前に、どうしてもフルーツケーキを自分の為に焼くことができずにいました。

今日、わたしの通うお菓子教室でアシスタントをしていたH先生が、フランス修行から一時帰国され、教室をなさるというので、行ってきました。そう、3月4日のこのブログでも書きましたが、写真のフルーツケーキを作ってくれた彼女です。今日のメニューの中には、このフルーツケーキがありました。わたしのようにミンスミートを入れるのではなく、フルーツ数種のチャツネを入れる、とてもおいしいものです。3月にこのケーキをいただいたときに、いつかこのケーキを習いたいと思ったのですが、こんなに早くチャンスがめぐってくるとは思いませんでした。

フルーツチャツネは2日がかりで作るとても手の込んだものでした。やっぱり手をかけると美味しいものができるのですね。

さて、ここでひとつ考えました。秋に向かって、そろそろフルーツケーキを焼いてみようかしらと。たかがお菓子ひとつなのですが、わたしにとっては、状況がそろってきているし、自分の気持ちも無理なく素直に入っていけそうなので。それに、フルーツケーキは、悲しい思い出ばかりではなく、このケーキを挟んで、たくさんの楽しい会話があったのです。そうだ!もうひとつありました。妹の結婚披露宴の引き菓子に、わたしが100本以上も焼いたケーキでもありました。いらしていただいたお客様は、みんな妹が焼いたと思っているのだけど。

もうすこし経ったら、フルーツチャツネを作って、美味しくできたら、Hさんのように通販しようかしら・・・・・・。

写真は今日の教室で作ったフルーツケーキ。飾りのマジパン細工は、今月末から彼女が働くフランスのアルザス地方にあるお菓子屋さんのもの。とてもリアルできれい。

いちどだけ2006年03月15日 20時11分41秒

普段、とても悲しく思っていることがあって、それを普通の生活に持ち込むことはできないから、せめて書くことで消化しよう、でも日記に書いてもそれは誰かが読むものではなく、誰かに読んでもらいたい、でもその誰かも、あまり親しい人だと、普段の生活に持ち込むことになり、それは避けたい・・・・・・そんな堂々巡りのような考えがありました。それでブログなら、普段のわたしにかかわっている人が読んでくれるものではないから、思いっきり書いて、読んでもらおう、そしてわたしも少しはラクになろう、というのがはじめたきっかけでした。

ところがはじめてみると、顔の見えない人が、コメントを置いてくれる、それも良心的なコメントを。そうなってくると、どうもあまり負の感情をあらわにできなくなってきて、やっぱり普通の生活をしているわたし(別に悲しいことなんかなかったのよ、という顔をしているわたし)が文章をかくことになってしまいました。でも、当初の目的とは違っても、それがまた新たな楽しみとなっているなら、それもまたいいかも、と思っているのです。

けれど、今日は少しだけ。わたしの悲しいことは、弟を交通事故で失くしたこと。自損事故でした。某公立大学の医大生でした。ドクターに診てもらえることもなく、即死でした。そして全く別のときに、母を交通事故で失くしました。自転車で交差点を横断中、左折の40トントラックに2回轢かれました。左折時の巻き込みではなく、トラックの前にあてられ、倒された後に轢かれ、即死でした。こちらは加害者がいる分、母を失くした悲しみとは別に、わたしは遺族としてとても怒り、憎むという苦しみを味わいました。加害者は、過失が大きいということで、警察に2拘留され、刑事裁判ではわたしが意見陳述をしました。生き残った者が、亡くなった家族にできるのは、こんなことしかないから、しっかりやろうと思っても、ぶ厚い事件記録を前に、なにも手をつけられなかったことも1日や2日ではありませんでした。

昨日、山口光市で起きた母子殺害事件で、最高裁法廷を被告側の弁護士2人が欠席して、開けなかったそうです。ここにくるまでに、ご遺族は、亡くなった家族のためにできる、最大限のことをしています。でも心のうちは、どんなにつらかったか、想像するに余りあります。わたしの場合とは違い、この被告には「故意」がある分、ご遺族はやりきれないと思います。欠席した理由について、いろいろそれぞれの思惑やら主張があるようですが、特に弁護士という職業を持つものならば、公の場でそれを主張するのが正しい方法です。欠席などという、子供じみた手段で主張するのは間違っています。

今日は書かずにはいられませんでした。もうこれ以上、こうしたことについて書くことはしませんので、明日からはまた、タルーンとした気持ちでお読みください。