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乙女の祈りモドキ ― 2007年10月24日 23時59分59秒
全く理論の勉強をする気持ちになれないにもかかわらず、水泳指導員検定試験のことが気になって、頭から離れず、結局、仕事はほっておいて、午前中は、ホームプールへ横泳ぎの練習に行きました。こうなったら、筆記試験は不合格にしても、実技だけでも、何とか通りたいと思って。
横泳ぎは、20メートルを12あおり以内で泳ぐのですが、もちろん、正確なフォームも要求されます。短水路(25m)プールで、5メートルのラインに仰向けで浮いたまま、(ここで、スカーリングをしながら、待っていて)、はじめの合図で、スタート。最初の1あおり(ひとかき目)は、あまり強くかかないほうがバランスがとれるようなので、ここはすすむことを考えず、おとなしくしています。ちょうど、ケーキを作るときの、メレンゲを生地に混ぜ込む場合に似ているなと思います。メレンゲと生地の濃度が違いすぎるとき、第1回目に混ぜ込むメレンゲは、泡を消さないようにとか、そういうことを気にせず、生地に混ぜ込みますが、これは、生地とメレンゲの濃度を近くすることで、あとからのメレンゲの泡を、混ぜすぎによって消さないためです。まあ、泳ぎながらケーキ作りを思うのも、ヘンだけど、浮きという『静』の状態から、『動』に移るとき、やっぱり水に馴染まないと、あとが続かないのかなということなのかもしれないです。
わたしは左下で泳ぎますが、5,6回泳いでも、どうしても11か12あおり。大波が来なければ13あおりになることはないということはわかりました。しかし、横体が崩れるのですが、ここまで試験にちかくなってしまったからには、これは運を天にまかせるしかなく、いい加減に泳いですぐ上がってしまいました。
朝、泳ぐととても疲れるのですが、今日も例外なく。というわけで、筆記試験の勉強も1,2ページやっただけで、挫折してしまいました。
夜、会社に行っていた父が、最寄駅の駐輪場から電話してきました。今朝、乗っていった自転車の鍵をなくしたと。わたしは、こういうとき、どうしてもやさしくなれず、『またか!』という気持ちが先にでてしまいます。毎日毎日、探しものばかりする父。『ない』とわたしに訴える父。捜すことになるわたし。家の鍵、自転車の鍵、病院の診察券、保険証、サイフ。典型的な老人です。
それでも、どんなに冷酷なわたしでも、出張で疲れている父を放ってはおけず、車で迎えに行きました。一応、父の鞄を見たら、やっぱり底のほうに、ちゃんと鍵はありました。そのまま、自転車を車に載せ、父と一緒に乗って帰ってもよかったのですが、父は自転車で帰るというので、わたしも、車でまた来た道を。
実は、それで、何となく、ほっとしたのです。父の自転車を車に乗せるとすると、サードシートを上げ、セカンドシートの真ん中の補助席みたいな席を格納しなければならないのですが、サードシートは普段から上がっているのでよいものの、セカンドシートの補助席を格納したくなかったのです。というのも、最近、車のなかで、長時間話をした友人が、補助席を作ったので、何となくそのままにしておきたかったから。そうすれば、また、話ができるような気がして。
横泳ぎは、20メートルを12あおり以内で泳ぐのですが、もちろん、正確なフォームも要求されます。短水路(25m)プールで、5メートルのラインに仰向けで浮いたまま、(ここで、スカーリングをしながら、待っていて)、はじめの合図で、スタート。最初の1あおり(ひとかき目)は、あまり強くかかないほうがバランスがとれるようなので、ここはすすむことを考えず、おとなしくしています。ちょうど、ケーキを作るときの、メレンゲを生地に混ぜ込む場合に似ているなと思います。メレンゲと生地の濃度が違いすぎるとき、第1回目に混ぜ込むメレンゲは、泡を消さないようにとか、そういうことを気にせず、生地に混ぜ込みますが、これは、生地とメレンゲの濃度を近くすることで、あとからのメレンゲの泡を、混ぜすぎによって消さないためです。まあ、泳ぎながらケーキ作りを思うのも、ヘンだけど、浮きという『静』の状態から、『動』に移るとき、やっぱり水に馴染まないと、あとが続かないのかなということなのかもしれないです。
わたしは左下で泳ぎますが、5,6回泳いでも、どうしても11か12あおり。大波が来なければ13あおりになることはないということはわかりました。しかし、横体が崩れるのですが、ここまで試験にちかくなってしまったからには、これは運を天にまかせるしかなく、いい加減に泳いですぐ上がってしまいました。
朝、泳ぐととても疲れるのですが、今日も例外なく。というわけで、筆記試験の勉強も1,2ページやっただけで、挫折してしまいました。
夜、会社に行っていた父が、最寄駅の駐輪場から電話してきました。今朝、乗っていった自転車の鍵をなくしたと。わたしは、こういうとき、どうしてもやさしくなれず、『またか!』という気持ちが先にでてしまいます。毎日毎日、探しものばかりする父。『ない』とわたしに訴える父。捜すことになるわたし。家の鍵、自転車の鍵、病院の診察券、保険証、サイフ。典型的な老人です。
それでも、どんなに冷酷なわたしでも、出張で疲れている父を放ってはおけず、車で迎えに行きました。一応、父の鞄を見たら、やっぱり底のほうに、ちゃんと鍵はありました。そのまま、自転車を車に載せ、父と一緒に乗って帰ってもよかったのですが、父は自転車で帰るというので、わたしも、車でまた来た道を。
実は、それで、何となく、ほっとしたのです。父の自転車を車に乗せるとすると、サードシートを上げ、セカンドシートの真ん中の補助席みたいな席を格納しなければならないのですが、サードシートは普段から上がっているのでよいものの、セカンドシートの補助席を格納したくなかったのです。というのも、最近、車のなかで、長時間話をした友人が、補助席を作ったので、何となくそのままにしておきたかったから。そうすれば、また、話ができるような気がして。
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