現在の閲覧者数:

さまざまな思いを抱えて生きる2006年10月18日 22時06分23秒

ぶどう園のぶどう

いま、プールから帰ってきたところです。今日は、ときどきお話するようになったKさんという女性が、わりと強く、サウナに入ろうと誘うので、誘われるままに入りました。後からわかったのですが、Kさんは、わたしに話したいことがあったようです。

彼女には結婚した娘さんと、お孫さんがいるのですが、気軽に行ったりきたりするほど近くに住んでいるわけでもないのに、車でお孫さんのプールの送り迎えをしています。娘さんが具合が悪いからということは、なんとなく知っていたのですが、それにしても、幼稚園児のお孫さんが、わざわざ、わたしたちの通うプールに来なくても、もっと近くにあるだろうにと思っていました。今日は、わたしに、娘さんの具合の悪い原因を話したかったらしいのです。ひところ、強度の低い、とても悪質なマンションのことが話題になりましたが、娘さんはまさにそのマンションを購入して、住んでいらしたとのこと。発覚以来、ずっと具合が悪いのだそうです。それでKさんが、娘さんにいろいろ手を差し延べていらっしゃるのだとわかりました。わたしはプールでは、自分の家族に起こった不幸について話したことはありませんでしたが、もともとのわたしの知り合いもいるので、そういう人から、わたしの知らないところで話は出ているようで、Kさんも、あなたなら、こういう話、わかってくれると思って話したとのことでした。

事件の責任の所在の話は置いておくとして、事件の当事者になると(特に被害者や、被害者の遺族になると)、もう精神的には限界になり、あちこち身体の具合が悪くなるというのは、わたしも経験したことです。精神と肉体とは別なのに、なんで病気にばかりなるの?、もうこんなに弱い自分はイヤだ、こんなはずじゃない、・・・・・・そんなふうに、Kさんの娘さんもご自分と戦っているのでしょうか。『わたしにあったはずの未来を返して』というやりきれない言葉を残して亡くなられた方もいらっしゃいましたが、他人のわたしにどうにもならないことと思いつつ、本当に胸の痛くなる話でした。生きるというのは、困難を伴うものです。でも、自分でケリをつけなければならない。

写真は、房は小さいのだけど、とびきり甘い、ぶどう園のぶどう。