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お互いに助けられている2007年11月06日 19時35分05秒

あみちゃんのバースデーのケーキ
昨朝も、ひどい片頭痛で目覚め、どうやら、とうとう復活してしまったようです。ストレスなんて人並みのはず。なのになぜ?お天気のせい?憎らしい片頭痛。でも来週の通院までは、決して最後の1回分の薬を使うもんか!と思って、戦いました。ポケットにバファリンを持っていましたが、これが効かないことは明白で、単なる気休めでした。でも、なんとか一日をこなし、夕方には元気になり、家に帰る頃にはすっかり冴えていて、これも、秋の冷たい風のお陰かなとも思いました。やっぱり、就寝前に予防薬のお世話になったほうがよいのかもしれません。

今日は、頭痛はしていなかったのですが、どうやら骨棘(こつきょく)のある首のあたりが、岩盤をはり付けられたようになっていました。あっちがよくなればこっち。でも、これがわたしなのだから、お付き合いするしかしかたありません。あっちが痛いの、こっちが痛いの、もうあと、20年以上してから、そうなってほしいです。でも、ひとつだけ、「水泳で治してみせる。」という気持ちだけは忘れないでいようと思います。

今日は、家でする仕事がたまっていて、朝、さて、やり始めようか、というときに、妹が疲れた顔をして来ました。姪っ子1号が通う小学校で、図書ボランティアをして来た帰りでした。図書ボランティアって、授業が始まるまえに、本の読み聞かせをするのだそうです。

とにかく、コーヒーを淹れて、いろいろ、たわいもない話をしました。子育てをしていると、その渦中にいるあまり、どうしてよいかわからなくなったり、煮詰まったり、正直言って、疲れたりするみたい。姪っ子1号の算数の勉強を一緒にするのに、妹なりの教え方でやっていたようですが、彼女自身も疑問を感じていたようでした。わたしが、ちょっとアドバイスしてみたら、なんだかすっきりした、と言っていました。ほんとうは、母がいてくれたら、こういうとき、もっともっと妹のちからになってもらえるのに。子育て経験のないわたしには、限界を感じるときです。また、妹とわたしを足しても、母にはかなわないと思うときでもあります。お互い口には出さないけれど、きっと妹もそう思っているはず。

写真は、先日のあみちゃんのお誕生日に作ったケーキ。子どものケーキを頼まれたとき、許される限り、最後の仕上げは、その子どもの前でしています。これは、子どもをびっくりさせたいという演出もあるけれど、ほんとうはわたしが、子どもの輝く顔をみたいから。作る者の特権です。

というわけで、わたしはこれから、片頭痛と戦うべく、泳いできまーす。つまり、残りの仕事と、注文のフルーツケーキ作りは、帰って来てから。今夜は徹夜かな。

日焼け止めつけていない日に限って2007年11月04日 22時35分32秒

船上よりドックを臨んで
今朝は、ひどーい片頭痛で眼が覚めました。こういうときに限って・・・・・・という感じ。今日は、千葉の市原にある造船工場に行くことになっていて、普段見られない船を見られるので、絶対に行きたかったのです。

何とかしなければと思い、あと2回分しか残っていない片頭痛薬を、祈るような気持ちで使い、洗顔も、髪をとかすのも、お化粧も、何もかも捨てました。出発まで、とにかく、アイスノンをして、ベットに逆戻り。しかし、しつこい。治らず、迎えの車が来てしまいました。

わたしの義弟は、造船会社に勤めていますが、今日はその会社のファミリーフェスティバルで、今日は家族で行くことになっていました。もう、行かれないかとも思ったのですが、わたしも行きたいし、義弟も、「おねえちゃん、ここに少しはラクにいられる席を作ったから。だめかなぁ・・・・・・。」と言ってくれたので、よーし、何とか治してみせる、という意気込みで、スッピンのまま、髪はオーヤンフぃーフぃーのように爆発したまま、プール用のお化粧道具一式が入った大きなポーチと10時間効くアイスノンをかかえて、助手席をめちゃくちゃ広くしてもらい、車に乗り込みました。いつもなら、子供用のCDをかけているのですが、こういうとき、音がダメなのを知っている家族は、音楽なし、会話も控え目、いつもギャーギャーうるさい姪っ子1,2号も、じっと黙ったまま。音といえば、カーナビのおねえさんの声だけで、それも、わたしの具合を心配した義弟が、カーナビのおねえさんの言う通りではない道を選んでいるようで、これは、なんとかせねばと思うこと1時間余り。でも、ほとんど回復しないまま、それでも、車の中で、出掛けに洗ったままのパリパリに突っ張った顔にいきなりファンデーションで取り繕い、眉毛と口紅だけして、車から降りました。

今日はなんと日差しの強かったことか。もう、めまいがしそうでした。なにもさえぎってくれるものがなく、ひどい日焼けをしました。薬は効かなかったようですが、コーヒーが効いたのか、そうっとしていればなんとかなる人間にまでは回復。さえぎるもののない場所で、お祭り騒ぎを楽しんでいるうち、本当にラクになってきて、来てよかったと思いました。ひところ、全くなくなっていたのに、このごろ、片頭痛が頻繁で、実は、この1月のうち、9回薬を使っています。これはちょっと多すぎます。

今日の目玉は、なんと言っても、作っている最中の船の内部を見学できることで、写真をとりまくりました。しかし、これは、ライバル会社もあることだし、ここには、ちょっとだけ。今日、見学したのは、鉱物燃料を運ぶ船で、それはそれは大きな船でした。船にいると、そこが船上とは思えないほど。

そういうわけで、本日の写真は、その船上より別の2船を撮りました。左奥に写っている4つのドームがある船は、そこに樺太から天然ガスを入れて運ぶ船だそうで、近くでみると船首のところには、樺太の概形が描かれていました。

泳ぐのはそこに水があるから2007年11月03日 22時30分14秒

九十九里の海
今日は、千葉の九十九里に行ってきました。

いやー、本当は、九十九里に行く予定ではなく出発したのですが、途中で行き先変更になり、そういうことになりました。去年の今頃も、たしか、海を見たくなって銚子に行きましたが、この季節になると、わたしはそう思うのかもしれません。

海は、夏のにぎわいはなく、また、夏のギラギラした日差しもなく、かえってそれが心地いい。どんなに寒い季節でも、砂浜に出ると、やっぱり靴を脱いで、海を肌で感じたくなるわけで、今日も例外なく。一緒に行った妹から、

「今日は水着着ていないんだから、海に飛び込まないのよー。」と言われました。でも、本当は泳ぎたかった。

焼き蛤と、たっぷりイワシ料理を堪能し、EPAチャージ。血液さらさらになってるはずで、きっと脳も冴えるハズなんですが、これって、水泳指導員検定試験前に行けばよかったです。

写真は、本日の九十九里の海。曇っていて、なんとなく波も荒く、秋から冬にかけてのこういう海もまたよいもの。

ふたりはずっと親友2007年11月02日 23時59分59秒

あみちゃんのお誕生会
今朝も朝から大忙し。いろいろ、ジャンルの違う予定が入っていて、10分きざみのスケジュールを書き出さないと、時間の管理が出来ないほどでした。というと、大袈裟なんですが、いつも、のんびりぼんやりしているわたしにとっては、ちょっとハードだったわけで、タイムスケジュールどおりにいくか、それもドキドキはらはら。

今日のメインは、先日も書いた親友ミワコの次女あみちゃんの誕生会にお呼ばれしていて、バースデーケーキを組み立てて持っていくことで、それはどんなことがあっても失敗するわけにはいかないから、こういう日は朝からドキドキ。昨日のうちに焼いておいたジェノワーズを、どういうふうにデコレーションしようかと、ずっと思っていたせいか、どうやら夢の中でピンときたので、そのデザインにしました。

それとは別に、あみちゃんへのプレゼントも用意しました。。わたしは、子供へのバースデープレゼントは、ほとんどの場合、「本」と決めていて、今回も例外なく。5歳のあみちゃんへのプレゼントは、『ふたりはともだち』という本にしました。5歳のこどもには、ひとりで読むにはちょっとむずかしく、絵が少ないのですが、上のおにいちゃん、おねえちゃんも読めるし、なにより、かえるが主人公のこの本の内容が好きだったから。彼女のママでもあるミワコとわたしは、何十年来の親友ですが、こういう友達を持つことのよろこびと幸せを、あみちゃんにも味わって欲しいという願いをこめて。あみちゃんは、お行儀よく、そうっとそうっと包みをあけ、じっと本を見ていました。そして、その包み紙も気に入ってくれたようで、お気に入りのものを貼り付ける場所に飾ってくれました。こどもは、よその子もうちの子も、ほんとうにかわいい。言葉少ないあみちゃんからは、わたしも、目に見えない幸せをもらったような気がします。

長女のえりちゃんが、わたしがバースデーケーキの仕上げのデコレーションをしているところを見て、

えり:「おばちゃん、ケーキ屋さん?ねえ、なんでそんなに上手なの?うちのママにはできないよー。」と言うから、
わたし:「えりのママは、とっても忙しいの。おばちゃんとは違うお仕事で頑張っているんだよ。だから、ママはこういうの、本当は作れるんだけど、作る時間がないだけなのよ。」(これは事実。)
えり:「ふーん。ねえ、そのオレンジ、食べていい?えり、好きなの。」
わたし:「いまケーキに飾るから、余ったら食べていいよ。」

子供とこういう会話をしながら、ケーキを仕上げられるなんて、誰にも想像できないくらい幸せで、まさにこういうことを「充実」というのかもしれないと思います。子供のケーキを作るのは、こういう時間を持ちたいからかもしれないと、その時思いました。結局、オレンジは3切れ余り、えりは兄と妹の分をきちんと彼らに配達し、自分もおいしいと言って食べていました。やさしい子で、それも嬉しかったです。

3人の幼い子供を持ち、毎日毎日ほとんど休みなく、フル回転で仕事をしている、頑張りやのミワコ。こどもと接する時間は短いはずなのに、どうしたらこんなにいい子がちが育つのだろうと思いました。誕生日のテーブルは、お寿司とケンタッキーのチキン。忙しい彼女のこと、買ったものなのは仕方ないです。それより、家族みんなで祝うという気持ちがこの家庭にはありました。そのテーブルに、わたしのケーキも載せてもらって、それもちょっと嬉しかったです。

というわけで、写真は本日の誕生会が始まる直前の風景。ミワコのご主人と子どもたち。普段、あまり食べられない美味しいお寿司をご馳走になりました。わたしはいつも、回ってるお寿司だもんね。ケンタッキーのチキンも、一つ買うのは割高でいやだから、何となく食べたくても食べそびれていました。だから、ちょっと嬉しい。わたしのケーキもしっかり鎮座しています。子どものために、何か変わったキャンドルはないかしらと捜したクレヨンの形をしたキャンドル。これは子どもたちに大ウケで、大成功でした。やったー!

そして、こういう日も、夜はきちんとプールに行ってマスターズクラスで泳ぐわたし。自己をしっかり持っていて、自分の趣味の時間と割り切っているんだか、他に行くところはないのか、どうやら後者のほうで、まあ、それもいいか。

「こしあん」派と判明2007年11月01日 23時59分59秒

九十九里浜での姪っ子2号
ずっと前からの妹との約束で、午前中は姪っ子2号を預かることになっていました。妹は、姪っ子1号の社会科見学(といっても、学校から徒歩20分ほどのところにある生物園)の、ボランティアの付き添いで行くため。雨天中止で、わたしは昨日から、雨天になることを予想していて、のんきに構えていて、2号用の部屋にしておかなかったのですが。

結局晴れ。社会科見学はできることになり、よかったです。わたしは、大急ぎで、1階の居間を、2号が来ても危険のないように整え、待っていました。

妹が帰るまでの4時間ちかく、この元気あふれるおチビさんと何をして遊ぼうか悩んだのですが、結局、彼女がいまいちばん好きなボール遊びが主でした。とても軟らかいゴムでできていて、ぶつかってもぜんぜん痛くないボールです。わたしが投げたボールを、ノーバウンドで受け取るかどうかの感じで、受け取るととてもキャッキャと笑って、楽しいみたい。とにかく相手は若いので、どこかに行ってしまったボールを、労を惜しむことなく、取りに行ってくれて、それは楽でした。それと、キメのひと言。わたしに向かって、

2号「おーば。おーば。」(と、聴き様によっては聴こえる。)

言ってくれそうで、楽しみです。

テーブルに載っていたチビアンパンを見つけ、おやつ代わりに食べさせたのですが、粒あんがいやだったようで、あづきの皮を口から出していました。普段、あまりこういうことをしない子ですが。でも、納得。実は、わたしの両親も、わたしたち3きょうだいも、粒あんではなく、「こしあん」派です。こういうのって、似るもんなんですね。

帰った妹の腕の中に飛び込んでいった2号もかわいくて、幼いながらも、ちゃんとママを待っていたのだと思いました。普段、あらゆるイタズラをするのですが、わたしに預けられている間は、それほどでもなく、こんなチビでも、相手をみているようでおかしい。

お昼を食べて帰りました。

というわけで、わたしはひと息つく暇もなく、明日頼まれているバースデーケーキのジェノワーズ(スポンジ)作り。今度は親友ミワコの次女のお誕生日用です。ジェノワーズは、わたしが思うに、前日に焼いて、しっとり感を保たせるように保管すれば、そのほうが美味しいので、頼まれたときは、いつもそうしています。直径21センチの大きいのをということなので、頑張って焼きました。どんなデコレーションにしようか、とても楽しみ。

写真は、今日、一緒にあそんだ姪っ子2号。

ちょいワル娘 Part22007年10月29日 23時59分59秒

 とにかく、わたしとしては、仕事をやりくりし、週初めの今日、父を江東区の免許センターに、連れていきました。わたしの車ノアは、父が運転するにはちょっと無理なのですが、それでもIDのつもりで、免許証を持っていてほしいな、というのと、こんなつまらないことでも、努力する気持ちを取り戻して欲しいと思っていました。

 駐車場から、警察署の更新センターに向かう道で、いつもよのうに、父は、街並みウォッチングを始めて、のんきな事を言っているので、わたしは、再びちょいワル娘になりました。

わたし:「パパっ!これから、視力検査で通らないといけないのだから、のんきに街並みを見物するのは、帰りにしてちょうだい!それより、歩きながらでいいから、遠くの看板を読んで、目を視力検査に慣らしておいて。」
父  :「チェッ、おっかない娘だなぁ~。」
わたし:「ヒドイわね、その言い方。パパの為に言っているのに。それに、娘はどのうちでも、おっかないんです。」
父  :「・・・・・・○○屋、○○亭、ドラッグ○○・・・・・・。」

という具合で、免許センターに到着。

いきなり、三度目の視力検査。わたしは、父の後ろで、祈るような気持ちでした。

そして、なんと、視力検査が通りました。

免許センターの担当の警察官も、父のことを覚えていたらしく、「通りましたか。よかったですね。」と言ってくれ、父も嬉しそうでした。しかし、相変わらずの憎まれ口で、担当警察官に「いやぁ、こっちの娘(わたし)も、コワい娘でね、昨日はうなぎを食べさせられました。」


そういうわけで、無事、免許証の更新をすることができました。


妹からも、「おねえちゃん、すごいねー。」と、なぜかわたしを褒めてくれたのですが、長女の腕前をちょいと見せられたようで、まあ、よかったです。

コワい娘になってみた2007年10月28日 23時59分59秒

昨日の基礎水泳指導員試験が終わって、精神的にも肉体的にもフラフラなまま、朝から、わたしはどうしたものか考えていました。父の運転免許の更新が、明日までなので、それについて。

これまで2回、視力が出ず、更新できずにいました。眼鏡を作り変えての2回目も0.2。普段、一緒に生活していながら、父がそんなに視力が落ちていたことに気付かなかったわたし。きちんと、把握していなかったことは、ものすごく反省しました。
このまま、そうっと黙っているという不作為に出れば、父は最終更新日を気付かないまま迎えるだろうし、行かなければまた、更新できなかったという思いをさせないでも済む。どうするか。

結局、わたしは、母の言葉を思い出しました。わたしたち子どもによく言っていた言葉。

母:「あきらめてはだめよ。」

それが、頭にこだまし、昔、父がわたしたちきょうだいに言っていたことにひっかけて、こう言ってみました。

わたし:「パパ、更新、明日までなんだけど、どうする?」
父  :「どうせ、だめだからなぁ・・・・・・。恥をさらすようなモンだしな。」
わたし:「(ちょいワル娘風に)パパからそんな言葉が出ると思わなかったよ。どうしたら、そういう思考になるわけ?あたしたちに、よく言ってたじゃない。足が使えなくなったら、手で前進しろ。手が使えなくなったら、あごで。あごが使えなくなったら、まばたきで前進しろって。(もちろんこれは、もののたとえ。)」
父  :「そうだったな。悪かった。行くよ。だめだろうけど。」
わたし:「いまから、あきらめてはだめよ。行くのだったら、更新するぞという勢いで、いまからできることは、何でもしなければ。まず、今晩のおかずはうなぎにします。つべこべ言わないで、完食すること。ビタミンAは目に効くからね。それから、テレビは一切見ないように。」

正直なところ、これだけ言ったわたしも、更新は無理だろうと思っています。0.2の視力が0.7にはならないもんね。しかし、テレビ好きな父が、わたしの言ったとおり、一切見ず、自分でも、ビタミン剤などを摂ったりして、努力しているのを見たら、なんとかならないものかと思っています。

一難去ってまた一難2007年10月25日 23時59分59秒

父の運転免許証の更新を、わたしは、なかば、不作為的に付き添わず、妹を付き添いにしたてました。正直なところ、一緒に住んでいると、やさしくなれない、嫌な娘なわたし。家にいると、それこそ15分おきくらいに、同じ質問をされたりするので、うんざりしていて、いくら、説明しても、わかってもらえない。

そういう父が、車の免許を更新するのはもう無理で、運転なんてしないほうがよく、事実、昨年夏に、車を替えてから、運転は本人も納得の上で、引退しています。自分でも、無理だと思っているみたい。でも、免許をまんざらなくしてしまうのも、寂しいようでした。そこで、高齢者講習を受け、更新することにしました。実は、先月一度更新に行ったのですが、視力がでず、帰りにデパートに寄って、眼鏡を作ってきました。というわけで、今日は2回目のトライ。前回も妹が付き添いでしたが、今回も妹は、手がかかり、いたずら盛りの姪っ子2号を連れての付き添い。どんなに大変かわかっているのに、妹にそういう負担をかけている自分も、実はイヤになっていました。いじわるな気持ちがあるようで。

わたしは、昨日の横泳ぎで、どうやら首の骨棘(こつきょく)を刺激してしまったらしく、朝から全く首が動かず、肩は岩盤を乗せられたようになっていました。とても今週末、試験で泳ぐなんて考えられないくらいでした。それで、妹を父の付き添いにたてたのに、自分はのんきに、親友のやるマッサージ治療院へ。45分ほどマッサージしてもらって、なんとか動く人間に復帰しました。首肩に加え、横泳ぎで上側のお尻(右)に力がはいってしまっているようで、そちらも何とかしてもらいました。

この親友ミワコ、中学時代の塾で知り合った、わたしが胸を張って『親友』といえる人です。マッサージでは、うつぶせになるとき、胸のところに、独特の枕を当ててもらいますが、これがなんとも気持ちよく、わたしは彼女に、

わたし:「ねえ、あの枕、余ってるのあったら、売って。」と言ったら、

ミワコ:「お店でいらなくなったのがあるから、あげるよ。それより、お昼、たべに行こうよ。」

わたし:「そうしよ。それじゃ、そのまえに、(ミワコの)おかあさんに挨拶してく。」

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わたし:「おかあさーん、ご無沙汰してます。元気にしてた?」

おかさん:「あら、めずらしいね。お昼まだでしょ。食べに行こ。ご馳走するよ。」

わたし:「えー、ほんとー?じゃ、なんか、いいもの食べてもいい?」

おかあさん:「いいよー、おかあさんついてるからね。お金は有り余ってるし、使うとこなくて、困ってるんだよ(笑)」

という具合でした。

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こんなことで癒され、帰ったのですが、父はやはり、新しいめがねでも、自分の眼のちからがなく(それは、眼鏡を作ったときにも、言われていました)、視力検査を通らなかったとの事でした。0.2では無理ですものね。
妹から耳打ちされました。
「パパ、ちょっとがっかりしてるのよ。やっぱり、運転しなくても、通らなかったということで、落ち込んでいるみたいよ。」

さて、どうするか、これは、長女のわたしの出番なのかもしれません。

乙女の祈りモドキ2007年10月24日 23時59分59秒

全く理論の勉強をする気持ちになれないにもかかわらず、水泳指導員検定試験のことが気になって、頭から離れず、結局、仕事はほっておいて、午前中は、ホームプールへ横泳ぎの練習に行きました。こうなったら、筆記試験は不合格にしても、実技だけでも、何とか通りたいと思って。

横泳ぎは、20メートルを12あおり以内で泳ぐのですが、もちろん、正確なフォームも要求されます。短水路(25m)プールで、5メートルのラインに仰向けで浮いたまま、(ここで、スカーリングをしながら、待っていて)、はじめの合図で、スタート。最初の1あおり(ひとかき目)は、あまり強くかかないほうがバランスがとれるようなので、ここはすすむことを考えず、おとなしくしています。ちょうど、ケーキを作るときの、メレンゲを生地に混ぜ込む場合に似ているなと思います。メレンゲと生地の濃度が違いすぎるとき、第1回目に混ぜ込むメレンゲは、泡を消さないようにとか、そういうことを気にせず、生地に混ぜ込みますが、これは、生地とメレンゲの濃度を近くすることで、あとからのメレンゲの泡を、混ぜすぎによって消さないためです。まあ、泳ぎながらケーキ作りを思うのも、ヘンだけど、浮きという『静』の状態から、『動』に移るとき、やっぱり水に馴染まないと、あとが続かないのかなということなのかもしれないです。

わたしは左下で泳ぎますが、5,6回泳いでも、どうしても11か12あおり。大波が来なければ13あおりになることはないということはわかりました。しかし、横体が崩れるのですが、ここまで試験にちかくなってしまったからには、これは運を天にまかせるしかなく、いい加減に泳いですぐ上がってしまいました。

朝、泳ぐととても疲れるのですが、今日も例外なく。というわけで、筆記試験の勉強も1,2ページやっただけで、挫折してしまいました。

夜、会社に行っていた父が、最寄駅の駐輪場から電話してきました。今朝、乗っていった自転車の鍵をなくしたと。わたしは、こういうとき、どうしてもやさしくなれず、『またか!』という気持ちが先にでてしまいます。毎日毎日、探しものばかりする父。『ない』とわたしに訴える父。捜すことになるわたし。家の鍵、自転車の鍵、病院の診察券、保険証、サイフ。典型的な老人です。
それでも、どんなに冷酷なわたしでも、出張で疲れている父を放ってはおけず、車で迎えに行きました。一応、父の鞄を見たら、やっぱり底のほうに、ちゃんと鍵はありました。そのまま、自転車を車に載せ、父と一緒に乗って帰ってもよかったのですが、父は自転車で帰るというので、わたしも、車でまた来た道を。

実は、それで、何となく、ほっとしたのです。父の自転車を車に乗せるとすると、サードシートを上げ、セカンドシートの真ん中の補助席みたいな席を格納しなければならないのですが、サードシートは普段から上がっているのでよいものの、セカンドシートの補助席を格納したくなかったのです。というのも、最近、車のなかで、長時間話をした友人が、補助席を作ったので、何となくそのままにしておきたかったから。そうすれば、また、話ができるような気がして。

何物にも替え難いこと2007年10月20日 23時59分59秒

 父は、中学時代の同窓会が銀座であるというので、出かけていきました。

 わたしは、姪っ子1号が通う小学校で、オータムフェスタという、地域の人たちとの交流会みたいなのがあって、小学校へ。事前に、係りをしている妹から、いろいろなチケットを買っていて、ときには、それで焼きそばなどをたべたり、ジュースを飲んだり。

 姪っ子1号の担任の先生が、お点前をするというので、1号とお茶席へ。久しぶりのお茶。実はわたし、中学・高校時代、茶道部に所属していました。それ以来、きちんと習っていないので、もう、お点前は忘れてしまったけれど、懐かしい席でした。姪っ子に、お菓子のいただき方、お茶のいただき方などの作法のほかに、感謝を表す言葉や礼のことも教えつつ、楽しい時間でした。担任の先生のお点前は、どうやら促成栽培だったようですが、それでも、もてなす心と、一生懸命やる姿を見るのは気持ちの良いもの。着物をお召しでしたが、ちょっと着崩れしていらして、直して差し上げたかったけれど、着付けをした方が同席していたしたので、やめました。出来る、と胸を張れるほどのモンじゃないのですが、実は、わたし、着物を一人で着られるし、人にも着せられるんです。母から教わりました。(ちょっと自慢になってますが。)

 夜はプール。献血ギリギリの値だったのに、400ml献血して、看護師さんに『今日はプールはやめてくださいね。行っても軽く歩くぐらいで。』といわれていたので、2時間半みっちりレッスンに入るのはやめて、最後の時間のマスターズだけ。泳いでいるときは別になんともなかったのですが、終わって、温かいシャワーを浴びていたら、急に心臓がバクバクしてきたので、慌てました。こんな格好で、倒れるわけにいかないもの。それでも、とにかくいつもやる一通りのことはこなして、服を着て、いつ倒れても恥ずかしくない状態にしたころには、回復していました。やっぱり献血後の水泳はだめだと思いました。

 今日は、先日肋骨に怪我をした友人が、プールに来たので、『大丈夫なのかしら?』と、自分のクラスでレッスンを受けながらも、心配していました。ほとんど泳がず、歩いていたようでした。泳げないの? ん?でも、泳がないほうがいいんじゃないかなぁ?など、いろいろ考えてしまいました。友人は否定するのだけれど、この怪我の原因の一端は、わたしにもある気がしていて、それでも、何もしてあげられず、もどかしい。

 帰りにもその友人と一緒になり、また彼を寝不足にしてしまうので、もうやめようと思いつつも、また、おしゃべりをしてしまいました。彼はいつも、いろいろなことを話してくれるので、ついつい、聴き入ってしまい、また、わたしの話もよく聴いてくれるので、楽しくていつも時間を忘れてしまいます。水泳の話や、ちいと哲学的な話も。彼の話を聴いているのが好き。温かみがあって、安心します。あの怪我状態で、また明日もソフトに運転して行くのだろうと、心配だったのですが、近所の同じチームの友人が車に載せていってくれるし、試合には出ず、スコア係りをするというので、わたしもつい気が緩んで、気がついたら午前2時8分をすぎていました。それでもしばらく話して、もう、帰ろうと、家に着いたのが2時25分すぎ。4時間以上も話していたのに、ほんの1時間ほどにしか感じられませんでした。

 人に理解してもらえる、そして、その人を理解してあげられる自分がいる。人と話をしていて、楽しいとか、満ち足りた気持ちになるというのは、どんなすばらしい物事よりも、心から幸せを感じるものです。帰り際の『楽しい会話だった。』という彼の言葉があった分、よけいに。