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そばにいて欲しい2008年05月30日 23時59分59秒

 ゆうべは大好きな人と久しぶりに逢え、寒い中、特別なことではなかったけれど、彼の声を聴き、彼の話を聴け、わたしは安心したのか、帰ってあたたかいベットに入ってぐっすり眠りました。こんな眠り方は久しぶり。何だろう、このホッとあたたまるような気持ちは。彼にずっと・・・・・・。

 朝も気持ちよく目覚め、髪の毛までアイロンをかけてカールまでして、雨の中出勤しました。雨の朝の通勤は大嫌いで、それだけで今日一日のエネルギーを使っているような気さえするのに、今日は元気。とても。

 でも、秘かに緊張していることもありました。今日は母の命日。あの恐ろしい出来事から6年が経ちました。今日一日を何とか乗り切りたいという思いもありました。毎年毎年この日は、どうしても時計を見てしまう。

 出勤してすぐ、狭心症に似た発作に見舞われました。朝から、しかも新しい職場で、こんなことまわりの人に言えるわけないから、身をかがめて、必死でこらえました。15分もすればきっと治る。薬は持っていませんでしたが、どうせ狭心症ではないので、持っていても効かないはず。たしかに、15分くらいで治まりました。並行して、母と最後に電話で話した8時44分ごろ、今週当番の朝礼の準備をしていたと思う。母が事故に遭って亡くなってしまった8時55分ごろ、のちに発表しなければならないことを聞き逃さないよう、懸命にメモを取っていたはず。母の事故を知らされた10時16分頃は、向かいの机に座る同僚と仕事の話に夢中になっていたと思う。霊安室でまだ温かみの残っていた母に対面した11時半頃は、黙々とひとり仕事をしていたはず。母のことを思い出して悲しむということなくすごした午前中。頑張って生きてるよ、わたし。

 時系列で思い出せば、午後だっていっぱい悲しいことはあったけれど、今日はとりたてて忙しい仕事もなかったはずなのに、いつもあまり話をしない同僚がたくさん話しかけ、わたしを笑わせるようなことばかり言っていました。彼の言うことが、次々おかしくておかしくて。職場ではありえないほど笑っていたわたし。そうなると、そういう年齢はとっくに過ぎているのに、「箸が転がっても可笑しい年齢なんだよ。」と、職場の人たち。この止まらない笑いは、ママの仕業? だったらそれもいい。

 でもさすがに帰って来てぐったり疲れたわたしは、夕飯も作らず、摂らず、ベットに横になってしまいました。今日、頑張ったもの。こういう日もあってもいい。夜はプール。でも、後から入ってきて、わたしの後を泳いでいる人に、先に行ってほしいと言ったら、どうしても聞き入れてくれなかったので、なんだか急に緊張の糸も途切れ、朝の発作モドキも思い出し、15分でマスターズクラスから逃れました。おなかも空いていたので、帰り道、ファミレスでひとりで食事。ちょっと寂しかったけれど、母の命日にしては、ひどく悲しい思いもせずなんとか過ごした一日でした。

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