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春の片づけ大会2016年05月03日 17時02分50秒

残した古い雑誌
この頃、お休みの日でも、いつも通り目覚めてしまうのは歳のせいでしょうか。OLをしていた若い頃、午後1時半に「朝」に属する目覚め方をして、母を呆れさせたこともありましたが・・・・・・。眠るということも、体力がいるのかもしれません。

そんなわけで、5時すぎには目覚め、隣で寝ている夫を起こさないように6時半ごろまでは、ベットでおとなしくしていました。夏至に向かう今の季節は、次第次第に日が長くなって、気持ちも高揚し、好きな季節です。

目覚めた夫と休日恒例のトーストで朝食。コーヒーを飲んでから、いよいよ3日連続の「春の片づけ大会」が開幕しました。

夫は主に必要でとっておいた新聞の再取捨選択。わたしは、料理やお菓子の雑誌などの、これまた再取捨選択。それをとっておいたときは、一生とっておくかもしれない、と思ったものでも、年月を経ると不要になるものが少なからずあり、モノを増やさないようにしなければという観点からホッとします。このペーパーレスの時代に、やはり紙ベースで見た方が見易いと思うのも、夫との一致した意見ですが、その考えも次第に改めなければ、時代にそぐわないものになってしまいますね。

そんな中でも、何度選択してもとっておく選択をしてしまったものが今日の写真です。とても古い古い雑誌でしょ。もちろん、1冊1冊がまるごととってあるわけではありません。必要な記事と表紙だけ。わたしのお菓子の先生藤野真紀子さんと出会い、生徒になったきっかけを作ってくれた雑誌や、その連載があるものは、やはりとっておくことにしました。今日、ちょっとうれしかったのは、6年ほど前から好きで、よくテレビなどに出ていたケンタロウさんの記事が図らずもあったこと。彼には早く復帰してほしいなぁと思います。
そんなわけで、我が家の閉門蟄居での片づけは、明日も続きます。

東大から連想されること2008年07月31日 23時59分59秒

 来月2日が入居予定なのだけど、不動産屋から、昨日で部屋のクリーニングが終わるから、今日鍵を取りに来て、今日から使ってよいといわれていたので、鍵をもらって部屋に入ってみました。初めて見たとき、こんなに汚い部屋があるものかと思っていたけれど、壁紙も張替え、床もリワックスしてあり、その他、前の住人が出て行ってそのままだったところもきれいにクリーニングされていました。部屋に入って、外からの視線をさえぎるものがまったくないことに気付き、とにかく、カーテンを買いに車で10キロほど離れた国道沿いのホームセンターまで。

 色はピンクと決めていて、かわいらしい小さいドットが少しだけ付いているカーテンと、同じシリーズではないけれど、同じに見えるレースのカーテン。とんぼ返りで部屋に取り付けたら、急にわたしの部屋と言う感じになりました。なんだかとっても嬉しい。

 さて、夏休みに入ってすぐ、おたふくになってしまった姪っ子1号のお見舞いに、アマゾンで『ドリトル先生』シリーズを2冊買ったのですが、これは気に入ってくれたようで、その他のシリーズもそろえてあげることにしました。また、そのとき、一緒に『頭をよくするちょっとした「習慣術」』 和田秀樹著 祥伝社黄金文庫 というのを買いましたが、わたしにとってはこれが結構よいアドバイス的内容が書いてあり、実践的です。わたしたちきょうだいは、幼い頃、父の方針でスパルタ教育を受けました。いまの子たちには考えられないでしょうね。でも、悪いことばかりではなかったと思っています。そういう教育環境だったせいか、この本の内容がよくわかるし、とにかくちょっとしたものの考え方で、気持ちが自由にラクになれる、わたしにとってはそんな感じでしょうか。

 この和田秀樹さん、たしか灘高→東大医学部出身のドクターです。この方は受験本などもだされていて、賛否両論あるようですが、わたしはひとつの考え方として、好きです。

 和田さんの本を読むとき、ある友人を思い出してしまう。東大出というと、それだけで拒絶反応を示し、ひいては、人そのものではなく、東大出をうんぬん言う人がいますが、まあ、彼もその類だったのでしょう。

 『ぼくは、東大出て、官僚になるというもりはなかった。だから、東大受けなかった。』とわたしに話した友人。これは誰が聞いてもおかしな発言だし、正直なところ、バカにされても仕方ない。気の効いた小学生でも、こんなことはわかります。
ずいぶん前のこと、予備校のCMで、“『(否定的に)東大なんて・・・・・・』って、東大出てから言ってみたい!”というフレーズがありましたが、まさにそういうことです。

 予備校生時代、のちに東大に入った別の友人と話したことがあります。『例えば、金持ちでない人が、金持ちのことを云々言うような類の人間にはなりたくないね。』と友人。わたしもそう思う。たったそれだけの話だったのですが、その時の、彼との会話は、今でもわたしのあらゆることに対するモチベーションになっています。羨望や羨望と誤解されること、負け惜しみや負け惜しみと誤解されるようなことは言わない。もし、憧れるなら、自分もそれに向けて努力するべき。

 それともうひとつ。ヘンな発言をした友人ですが、彼の中では、『人』の要素として、学歴が非常に大きなウエイトを占めているようで、発言はその裏返しのような気がします。たしかに学歴は『その人』のひとつの要素ではありますが、それはたったひとつの要素にすぎないのであって、いちばん大切なこと『その人そのものがどうか』ということに、もっと目を向けて欲しいとわたしは思います。
 
ただ、これだけ、彼のマイナス面を言い立てながら言うのはおかしく思えるかもしれませんが、彼にはそれとは別に、よいところがあるから、わたしは友人だと思っています。

ちょっと疲れた2008年02月05日 21時05分43秒

父の著書
 昨晩は仕事で午前様だったので、午前中はベットで寝ていました。いろいろ考えごともあって、ぐっすりは眠れなかったのだけど。午後から活動。 

今日は仕事で新宿に行ったのですが、ちょっとアテがあって紀伊國屋に寄りました。父の本があるかなぁと。父は、学者ではないのですが、30歳代のころに本を書いたのが最初で、今に至るまで、10数冊の専門の著書があります。わたしにもよくわからないのだけれど、工学とか応用力学とか、何だかそんな分野です。もちろん、ベストセラーになったことはないですよ。

 先日、山海堂という出版社が閉鎖したのですが、そこからも数冊出版していました。その本、ないかなぁと。うちにも著者用に出版社から送られてきたものがありますが、それももう、在庫が尽き、人に差し上げるときも、最近は買っていました。出版社が止めてしまったとなれば、入手困難で、それこそ、アマゾンでも、プレミアつきで買わなければならないのです。まあ、わたしから言わせれば、そんなつまらない本を、定価より高くは買いたくないので、あったら買おうという感じで。

 1冊、棚にありました。(↑写真)売れる本じゃないから、ほっといたって大丈夫なのだけど、一応、確保。レジで、親切なおねえさんの店員さんが、言ってくれました。

 おねえさん「この本、背表紙がちょっとだけですが切れていますが、今お調べしたら、新宿西店に同じ本があります。お取替えしましょうか?」って。
わたしは、それには及ばないということと、その在庫も確保してもらえるように頼みました。そして、軽く事情を話すと、それではと、全国の紀伊國屋の在庫を調べてくれ、結局、北は札幌、南は博多から、父の本を全部、この本店に集めてくれることになりました。かなりな冊数でしたが、おねえさんの親切にはとても感謝です。

 別に、ベストセラーでもなんでもない、ただのつまらない専門書なのですが、こうした本を書いているときの父の姿を思い起こすと、わたしにとってもいとおしい本です。1冊の本を書くには、ものすごい量の本を読み、勉強し、新しい論文にも目を通して、間違いのないように神経を使っていました。出版して数年たち、地方都市の本屋さんにあったということは、そろそろうちに戻ってもいいよということ、と解釈しました。うちに戻れば、また、活躍の機会があります。ちなみに、この本の著者近影も、わたしが撮りました。漱石じゃないけれど、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしている父を微笑させるのに、苦労しました。

 今週末は基礎水泳指導員試験があります。もう、ひと月半以上、まともに泳いでいないわたし。もう、どうでもいいという気になっています。いま、とにかく仕事に打ち込むことだけ。もう、どうでもいい。それより、このごろよく、母のことを思い出します。会いたい。生前、あれだけよく話し尽くした母でしたが、それでも、まだ、会って話がしたい。今のわたしを、母はどういうふうに思っているのか知りたいなと。ふとそんなことを。

 「疲れた」は、仕事でも私事でもタブー。なるべく使わないように心がけていますが、ここだから、本当のことを言います。もう、ほんとに精魂尽き果てました。人を愛するということに、こんなにエネルギーを使うなんて初めて。ボロボロです。

毎年、暮れは電化製品が壊れる2007年12月26日 21時58分19秒

 今日は、信じられないほどの早い時間に、ここまでたどり着きました。読んでくださっている方は、既にお気づきのことと思いますが、ここ数日、『あと書き』していますものね。時間をみると明白。そういう日は、23時59分59秒になっています。

 わたしのオフィスは普通より早く、今日が仕事納め。といっても、今日はほとんど仕事らしい仕事はせず(というか、わたしの場合、その分、うちでやったりしている)、午前中は、遅くに出勤し、毎年慣例のちょっとした大掃除をしました。その後は職場の忘年会を兼ねた昼食会。毎年、築地の料亭です。この料亭の名が、わたしの愛読書・夏目漱石の『坊ちゃん』に出てくる下宿の名前によく似ていて、ここに来るたび、「また、坊ちゃん読もうかな。」と思うわけです。というか、常に読んでいるのだけど。
わたしの読み方は「・・・・・・だから清の墓は、小日向の養源寺にある。(間髪入れずに)親譲りの無鉄砲で子どものころから損ばかりしている。・・・・・・」という感じ。わかっていただけると、うれしい。

  職場の人は、みんな大酒豪で、彼らを相手に飲むと、昼間だろうがなんだろうが、やっぱり酔って、そのまま電車に乗り、帰宅。今日こそ、年賀状の印刷をしなければ!毎年、ギリギリにならないと、やらないわたし。400枚も出すのに、印刷後、一言書くので、間に合うのだろうか。と思いきや、きっと間に合わないという事態になりました。

 選りによって、今日のこの日に、プリンターが完全に故障して、どうにもならなくなってしまいました。こういうことに疎いわたしですが、こりゃもう、自分でどうにかするしかないと、ネットでプリンタの機種を調べ、ついでに値段も大体調べて、ほとんど行ったことがない近所の大型量販店をめぐること2件。普段は、だいたいヨドバシドットコムで買い物するのですが、何が何でも今日、プリンターを手に入れなければならなかったから。

  5年ほど前に買ったころより、性能は格段に良くなり、値段がものすごく安くなっていて、驚きました。とにかく手に入れて帰宅。すぐPCにつなげ、面白くて、写真のプリントをして遊んでしまいました。年賀状は、明日の夜からということになりました。

 ついでに言うと、クリーナーも床ブラシが、どうメンテナンスをしても回転しなくて、居間のじゅうたんのお掃除が大変です。年の瀬に、電化製品がおかしくなるのは、うちだけ?

 ここ2週間ほど、父の健康のことで、わたしは苦しみ、悩んでいました。本人より、たぶん、わたしの方が、体の具合をおかしくしてしまったくらい。信頼できる友人や、亡弟の大学の同級生のドクターにも、ちょっと相談などしていたのですが、結局、わたしが正面から向き合わなければならないと覚悟しました。これくらいのこと、わたしにはできるはず。絶対できるはず。何があっても、どういう状態でも、わたしはオロオロ・メソメソしないと決めました。何でも現状を受け入れ、冷静に対処したいと思います。

小さな部屋に守られていた実感2007年12月05日 21時13分14秒

 軽いむち打ち病は相変わらずで、今日も両腕のひじのところまで、しびれています。寝返りうてないのも、起き上がるのが大変なのもそのまま。痛み止めの薬は、飲んだ直後だけ効きます。結局、考えてみれば、大会前日の土曜日夜にやってしまったむち打ち。さすがに、行きたくても行きたくなくても、泳げないのだから、プールは行かれないのだけれども、きっと、仲間はおとといの大会で、ふてくされていて来ないと思うだろうな。だけど、前日にやってしまい、その上で翌日、リレーに出たとも言えないし。何か、うまい言い訳はないものでしょうか。

 今日は有休をとって、自宅近くにかりていた部屋の荷物まとめを、朝からやっていました。2月から借りていた部屋ですが、この10日で期限をむかえ、延長することは考えませんでした。結局、あんな小さな部屋でも、家を2軒管理しているようなもので、それが大変だと気付いたから。その代わり、家で仕事をするのは大変になりそうです。こうなったら、いちいち、都心のオフィスに戻ったほうが、仕事自体ははかどるかもしれません。

 そこで寝泊りしていたわけではないので、たいしたものはなく、書類、書籍、事務用品、キッチン用品と、食器類、それとわずかな日用品を荷造りしました。ダンボールに詰め、部屋の一箇所にまとめてしまうと、部屋は何てがらんとしてしまうものなんだろう。ここは、わたしにとって、一種のシェルターの役割もしてくれたことがあります。

 愛読書モンゴメリの『Anne of the Island』(日本語だとアンの愛情?だったかな?)のなかで、アンの友人のフィルが、「人が思いを抱き、暮らした部屋は、それ自体が“人格”を持つもの。」というようなくだりがありましたが、今日はまさにそれを感じたでした。こんな部屋でも、いっとき、わたしと時間を共にしたことを思うと、感慨深いものがあります。

おひとりさまになってみた2007年12月02日 23時59分59秒

 昨日の話に続き、

 昨夜は、ほんとうはプールが終わってから、職場に行って、急ぎの書類を作らなければならなかったのですが、それはやめて、仲良しのプールのコーチに付き合ってもらい、一緒に、ありえない組み合わせの甘いものを食べ、自分をカームダウンさせました。帰ってきたのが1時半過ぎで、それから、後始末などをして、寝たのが3時ごろでした。海をみたりして、あれだけ無理やり上げていたモチベーションも、ちょっとしぼんでしまったので、自分の個人種目はリタイアすることにしました。これは、わたしがいちばん嫌う最低の選択だということはわかっているけれど。

 2時半すぎでしたが、一緒に混合リレーを泳ぐ仲間に、とにかく、混合リレーだけは、何があっても行くというメールだけしておいて、寝ました。

 午前中、もう、これ以上できないというほどのフルメイクをして、シャッキリさせ、出かけました。どうせプールに入る前に、メイクは落としちゃうんだけど、これもひとつのおまじないのようなもの。巣鴨までの小一時間ほど、これからする泳ぎをイメージしていました。たった25mなんだけれど、これって意外と重要なんです、わたしには。

 アップしながら、骨棘(こつきょく)の痛みの状態を確認。昨晩と同じ。つまり、呼吸をいれるなら右だけ。飛び込みは頭をしまって。体重移動、踏み出し、飛ぶこと、1点入水、昨日された入水後の注意事項、ドルフィンキックからプルにいくまでのタイミングなど、ひとつひとつ確認しながら。

 入場前に、7泳のコーチから、「さ、うつむかないで、顔を上げて入場しましょう。」とおっしゃっていただき、本当は骨棘痛でうつむいていたのだけれど、顔を上げて入場しました。もう、むちゃくちゃ緊張し、唇も手足も震えていました。
 スタートは1泳女子から。どんどんどんどん、自分の番が近づいてきました。前にいた3泳の友人が出たあと、次のこちらからのスタートはわたし。4泳の仲間が向こうから飛び込み、5泳のわたしは飛び込み台に上がりました。後ろから、力を抜いて!と7泳のコーチの声。そうだった。深呼吸しました。用意の姿勢をとり、真下の壁を見ました。4泳の仲間の手が壁にタッチした瞬間、夢中で飛び込みました。

飛び込んだ瞬間の音は、上手い飛び込みのときに感じる音だったので、これはイイかも・・・・・・と思ったのです。深さも悪くない。ドルフィンキックを何度か打ち、なるべく浮き上がるのを遅くし、水中をすすみました。プルを開始したら、思った以上に推進力を得ているように思ったので、そうだった、ここでダメだしと思って、後半のプッシュを気をつけたら、もっと進む。なんだか今日は調子がいいみたい。いつも、タイムを測るときに感じる25mは長いなぁ、という感覚がないまま、壁にタッチしました。よくわからないのだけど、たぶん呼吸は入れなかったと思う。

プールから上がって、わたしがいつも習っているコーチに、とても良かったですよ、と笑顔でおっしゃっていただきました。彼はアンカー8泳なのですが、生徒の泳ぎをちゃんと見ているなんて、やっぱり余裕だなぁと思いました。その彼が、飛び込んでからわかりました。わたしたちのチーム、同じ組では2位と大きく差をあけて、1位でした。

 たった25mの泳ぎなんですが、わたしはとにかく真剣勝負の泳ぎができ、自己満足の嫌いはあるけれど、充実した気持ちでした。人に褒めてもらわなくても、充分だったのですが、多くの仲間にお褒めの言葉をいただきました。

 この後、みんなは、打ち上げと称して、飲み会に行きました。いつもはたいてい参加するわたしも、今日の充実したリレーの泳ぎを、本当にわたしをわかってくれる友人にだけ話したかったので、この飲み会には参加しませんでした。ふてくされていたわけではなく、友人に話すまで充実感をしまっておきたかったのです。それでも、ちょっとだけ、自分のために、近頃よく友人と行くお店に、今日はひとりで寄ってきました。

 カウンターに座ると、料理長に「めずらしいですね、おひとりで。何かいいことありました?」と言われ、今日の水泳のこと、結果だけちょっと話しました。それはよかったですね、というわけで、お祝いのおつまみをサービスしてくれました。わたしも、今日はおなかがとても空いているから、メニューはすべて彼にお願いして、初めてのお酒「れんと」を頼みました。いつもは「とりかい」ばっかりなのだけど、今日はちょっと冒険。料理長は、メニューにない料理ばかり出してくれました。その丁寧な料理も美味しかったし、出されるタイミングも最高で、家を出るときつかんだ、池波正太郎の『よい匂いのする一夜』という本をときどき読みながら、かなり酔いました。ちょうど湯布院の章を読んでいたのですが、わたしが恋こがれている大分の久住高原の風景が書かれていて、酔った頭で読んでいると、まるで自分がそこに居るような錯覚を、何度も覚えました。その芝生の上を歩き、寝そべって幸せをかみしめた久住高原。高原の空気と景色があれば、もう何もいらないほど素敵なところでした。その世界に、完全に戻っていました。最後に料理長が、「先日、(わたしが)お菓子の先生をなさってるってわかったんで、今度お見えになったらお出ししようと思っていたんですよ。」と言って、最近では珍しくなくなった、お酒のあとのデザートを出してくれました。濃厚なバニラアイスクリームに黒糖をかけ、そこに焼酎を振ったデザート。彼のオリジナルだそうです。焼酎の銘柄をわたしに教えてくれたけれど、それは彼の好意からなので、ここでは内緒です。
隣に友人がいなかったのは残念だったけど、こういう楽しみかたもあることを覚えました。

 家では飲まないことにしているお酒、たまには、こういうふうに楽しむのもよいもので、それが充実したことをした後ならば、とても気分よく酔えるものということを、あらためて感じました。

本と泳ぎの助けを借りる2007年07月30日 23時18分42秒

どうも心がどこかに飛んでしまっている、すでに努力の域を超えた問題が頭から離れないわたしは、こういうときの最後の手段を思い出しました。そうだった、こういうときは、いつも読書に逃げるのだった。そうすれば、はじめはどんなに読書をし頭を使うことが億劫に思えていても、本さえ選べば、その世界にのめりこめる。それに、本というのは、有難いもので、悩みからの解放のされ方が、建設的なのです。単に本に没頭することで、解放されるのではなく、悩みを解決の方向に持っていってくれる。自分の悩みがたいしたことのない、小さいことだとも思わせてくれる。

そういうわけで、買っておいて読めずにいるスタンバイ状態の本の中から、『あきらめない』(鎌田實著・集英社文庫)を選び出しました。いまのわたしには、ちょっと重い内容なのではないかなと想像もしたのですが、それでも、このドクターの本は、吸い寄せられるような文章で、慈愛に満ちていて、重い内容でも、不思議と心を落ち着かせてくれるのです。それで、昨夜ベットに入ってから読み始め、(でも、この本を寝ころがりながら読むなんて、申し訳なく思っています。)一晩で1冊読み切ってしまいました。明け方読み終わるころには、わたしの心も落ち着き、小事にこだわっていることを自覚できたから、それなりの効果があったように思います。

今日、夏休みだったわたしは、午前中にプールで、プライベートレッスンの日程を組んでいました。コーチとマンツーマンの指導です。というのも、ちょっとした目標があって。
マスターズで一緒に泳いでいる仲間のおじさまが、わたしに課題をくれました。バタフライを泳ぐ彼は、「年末の大会で、50mバタフライを36秒切るのを目標にしてごらん。切ったらおいしいものをご馳走するよ。ぼくは、33秒を切るのが目標。切ったらあなたにご馳走してもらう。どう?」
わたしは乗ってみることにしました。そうなんだ、こうして目標を立てるのだと思いました。タイムの根拠は、お互いの25mバタフライの自己ベストタイムのほぼ倍というものです。
ほぼ、毎週土曜日にバタフライのレッスンに出て約1年。そして、とても優秀なコーチに習っています。彼のバタフライは見惚れるほど美しく、速いと思います。そして、わたしにも、とても細かく教えてくれます。いまでは、ミクロの世界になっている感じに。ヒドかったわたしの泳ぎも、彼のお陰で少しは上達しているはずです。でも、どうしても、彼の言うようにできないこともあって、とてもモドカシイ思いをしています。
それで、今日のプライベートレッスンは、あえて、その彼ではなく、別のコーチにお願いしてみました。目標とする泳ぎは同じはず。でも、違うアプローチで教えてもらえるかもしれないことを期待して。わたしのように、幼いころやっていても、ブランク期間が長いものにとっては、初めて水泳をやる人とあまり変わらないと思うし、哀しいかな、齢も災いして、頭で理解していても、身体がそう動いてくれないのです。それでそうしてみました。
今日のコーチは、いつも習っていて、わたしの泳ぎのクセもなにもかも、よく見ていてくれて、的確なアドバイスをくれるコーチ。彼女の泳ぎは、無駄がなく、自然体のように思えて、いつも美しいと思っていました。姿勢、リズム、タイミング、ドルフィンキック、手のかき、すべてにアドバイスがあり、わたしの頭もスッキリし、いつものコーチがおっしゃっていることが、身体で理解できた感じでした。

ときには、休館日のプールで、こんなレッスンもよいもの。30分間でしたが、内容が濃すぎて、早くプールから上がって、頭の中で熟成させたくて、ダウンをするのも忘れてしまいました。

今日はちょっと良い気分転換にもなり、スッキリして、家に帰り、自室で雨音を聴いて、安心感を得ています。

「このブログについて」を、少し書き換えました。

おいしい餃子にも、トゲがある2006年11月18日 23時59分59秒

那須・朝露にぬれる薔薇(林の散歩道)

那須で朝、林を散歩していて、写真の薔薇を見つけたときは、心が弾みました。誰かが手入れしているのでしょうか、かわいらしいクリーム色の薔薇。薔薇はピンクか深紅が好きですが、この色もおちゃめで素敵だと思いました。今度はお花屋さんでこの色の薔薇を買ってみようと考えるだけでわくわくします。

今日の午前中は、めづらしく家にいられたので、年末へ向けてのお片づけをしました。普段モノを溜め込まないように気をつけているのですが、それも目標だけに過ぎず、けっこう捨てるものがでてきました。このごろ、以前に買った『英国スタイルの家事整理術』(佐藤よし子著 PHP研究所)という本をひっぱりだしてきて、少しでもヒントにならないかと、斜め読みしています。別に英国スタイルじゃなくていいのだけど、うちにあった本なので。

久々にのんびり過ごしたのですが、わたしはどうも昼間から家にいるのが苦手なようで、昼食後、急に船橋屋の葛餅が食べたくなり、友人を誘って車で亀戸の本店まで行ってきました。と、簡単に書いてしまいましたが、急なわたしの誘いにちゃんと答えてくれるこの友人はすごいと思いました。船橋屋のお店の喫茶部は、昔のままの風情で、何となく落ち着くのです。のんびり友人とくずもちを食べながら話していたら、電話があって、急な夜の会食のお誘い。これはどうしてもはずせないので、のんびりモードから一転、いつものように亀戸天神さまには、運転している車の中から拍手を打って簡易的お参りになりました。

会食もいいのだけど、わたしは今日はプールにどうしても行きたかったので、何がなんでもいくぞ!と決心しながら出かけました。お酒を飲みたくないので車で出かけ、プールの準備も車に詰め込みました。会食のメニューは、よりによって、餃子!これから人と会ったりする予定があるときに、これほど不向きなメニューはありません。にんにくの入らない餃子があったのですが、にらがたっぷり。わたしが気にしているのは、プールで呼吸をしたときに、不向きなにおいが漂うのではないかということ。泳ぐとどうしても息が弾むので、深い呼吸になり、泳いでいる仲間に迷惑をかけることになります。そんなわけで、今日は先生と話すときも、いつも以上に適度な距離を保って話し、レッスンでフォームを直していただいているときには、せめて息をしないという苦肉の策にでたのですが、効果のほどはさておき、窒息するのではないかと思うほど、苦しかったのです。

光る君に魅了される2006年08月29日 23時39分53秒

今日は午後から抜け出して、豊洲にある江東区の文化センターに、源氏物語を読む会に出席してきました。この会は月に2回あり、2週間後の9月12日で、8年に及ぶ源氏通読が終わります。前半の4年は母が、後半4年はわたしが出席しましたが、わたしの出席率は、平日にやることもあり、あまりよくはないです。講師の先生は、わたしの高校時代の担任で、どんなときも実のない発言をすると、とても怒る人だったので、社会人になり、高校時代もはるか昔になった今でも、この先生とはあまり話をしたいと思わないのですが、この講座にはいろいろないきさつもあり、出席しているわけです。

『源氏物語』は、本当のことをいうと、初め、あまり興味がなかったのです。大学に入ったときに、ほとんど義務的に円地文子さんの訳のものを読んだのですが、面白いとも思わなかった。光源氏がはらはらと涙を流すくだりがあって、男が泣くという設定も当時のわたしは許せなかったのです。平安時代の男はよく泣きますからね。

ところが、後半『若紫』あたりから熟読してみると、光源氏の泣く場面は、とても色気があって、なんだかすてきに思えてきて、そういう目で考えると、この物語が世の多くの女性をとりこにしているのが、すこし理解できるようになってきました。正直な感想は、宇治十帖に入ると、だんだん面白さがなくなるような気がします。これはまだ初心者の感想なのかもしれないけど。

そんなわけで、今日から『夢浮橋』の中ほどまで入った源氏も、次回でいよいよ完結。かなり寂しい気がします。10月からは、場所を移して、『平家物語』を読む会になるということで、わたしもとどまる予定なのですが、源氏に魅了されてしまった今、平家物語を読む気持ちを高めるのは、ちょっと努力が要りそう。

乗車前の決め事2006年04月24日 22時45分47秒

昨日からいろいろやって、やっとログインできるようになりました。

今日は山の手線がストップしてしまいました。今日のわたしには関係ありませんでしたが、3年ほど前は、お昼に新宿から埼京線に乗り、赤羽で乗り換えて大宮に行くということを毎月曜にやっていましたから、あんまり他人事ではありませんでした。山の手線や埼京線が止まっても、何らかの方法で目的地に行く手段はあるから、それはいいのですが、車中に缶詰めにされるのは困りますよね。

こんなことがあると思い出すのですが、大学時代、新宿から京王線に乗り、高幡不動駅経由多摩動物公園駅まで通学していました。うちは新宿まで出るのだって大変なのに、新宿乗ってから、大学の席に座るまで1時間ほど。片道2時間半。こんなことはのんきな文系の学部だったからできたようなものです。毎日、必要な専門書の予習復習の他に、薄い文庫本1冊位は読めました。 それで、話は元に戻りますが、京王線が長い。ある時、事故で駅間に止まったことがあり、そんなに長い間ではなかったのですが、その時思いました。「新宿でトイレ休憩はしておこう。」と。(ヘンな話ですみません。)以来、卒業するまで、これはかたくなに守りました。それと、具合の悪いときは、絶対無理して学校に行かないということも。

昨晩から『橋本左内』 木宮高彦著 講談社 という本を読み始めました。著者の父上が歴史家、ご本人は弁護士という、ちょっと変わった本です。