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東大から連想されること2008年07月31日 23時59分59秒

 来月2日が入居予定なのだけど、不動産屋から、昨日で部屋のクリーニングが終わるから、今日鍵を取りに来て、今日から使ってよいといわれていたので、鍵をもらって部屋に入ってみました。初めて見たとき、こんなに汚い部屋があるものかと思っていたけれど、壁紙も張替え、床もリワックスしてあり、その他、前の住人が出て行ってそのままだったところもきれいにクリーニングされていました。部屋に入って、外からの視線をさえぎるものがまったくないことに気付き、とにかく、カーテンを買いに車で10キロほど離れた国道沿いのホームセンターまで。

 色はピンクと決めていて、かわいらしい小さいドットが少しだけ付いているカーテンと、同じシリーズではないけれど、同じに見えるレースのカーテン。とんぼ返りで部屋に取り付けたら、急にわたしの部屋と言う感じになりました。なんだかとっても嬉しい。

 さて、夏休みに入ってすぐ、おたふくになってしまった姪っ子1号のお見舞いに、アマゾンで『ドリトル先生』シリーズを2冊買ったのですが、これは気に入ってくれたようで、その他のシリーズもそろえてあげることにしました。また、そのとき、一緒に『頭をよくするちょっとした「習慣術」』 和田秀樹著 祥伝社黄金文庫 というのを買いましたが、わたしにとってはこれが結構よいアドバイス的内容が書いてあり、実践的です。わたしたちきょうだいは、幼い頃、父の方針でスパルタ教育を受けました。いまの子たちには考えられないでしょうね。でも、悪いことばかりではなかったと思っています。そういう教育環境だったせいか、この本の内容がよくわかるし、とにかくちょっとしたものの考え方で、気持ちが自由にラクになれる、わたしにとってはそんな感じでしょうか。

 この和田秀樹さん、たしか灘高→東大医学部出身のドクターです。この方は受験本などもだされていて、賛否両論あるようですが、わたしはひとつの考え方として、好きです。

 和田さんの本を読むとき、ある友人を思い出してしまう。東大出というと、それだけで拒絶反応を示し、ひいては、人そのものではなく、東大出をうんぬん言う人がいますが、まあ、彼もその類だったのでしょう。

 『ぼくは、東大出て、官僚になるというもりはなかった。だから、東大受けなかった。』とわたしに話した友人。これは誰が聞いてもおかしな発言だし、正直なところ、バカにされても仕方ない。気の効いた小学生でも、こんなことはわかります。
ずいぶん前のこと、予備校のCMで、“『(否定的に)東大なんて・・・・・・』って、東大出てから言ってみたい!”というフレーズがありましたが、まさにそういうことです。

 予備校生時代、のちに東大に入った別の友人と話したことがあります。『例えば、金持ちでない人が、金持ちのことを云々言うような類の人間にはなりたくないね。』と友人。わたしもそう思う。たったそれだけの話だったのですが、その時の、彼との会話は、今でもわたしのあらゆることに対するモチベーションになっています。羨望や羨望と誤解されること、負け惜しみや負け惜しみと誤解されるようなことは言わない。もし、憧れるなら、自分もそれに向けて努力するべき。

 それともうひとつ。ヘンな発言をした友人ですが、彼の中では、『人』の要素として、学歴が非常に大きなウエイトを占めているようで、発言はその裏返しのような気がします。たしかに学歴は『その人』のひとつの要素ではありますが、それはたったひとつの要素にすぎないのであって、いちばん大切なこと『その人そのものがどうか』ということに、もっと目を向けて欲しいとわたしは思います。
 
ただ、これだけ、彼のマイナス面を言い立てながら言うのはおかしく思えるかもしれませんが、彼にはそれとは別に、よいところがあるから、わたしは友人だと思っています。