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明日はまた新しい日 ― 2007年05月30日 23時59分59秒
天気予報によると、ときに雷雨になるというものだったけれど、日中は、晴れているのに雨が降ったり、すぐに止んだり、とても変なお天気でした。
例の、よく食事会をする予備校時代の男性の友人の一人に、「ちょっと教えてもらいたいことがあるから、できたら昼休み、空けて欲しい。」と、朝、電話がありました。わたしたちは、男性2人女性2人の勉強仲間で、男性は2人とも既婚、わたしたち女性は未婚のグループ。そういうこともあって、別にはっきりそうと決めたわけではないけれど、会うときは4人でしか会わないのが暗黙の了解なのですが、仕事上のコトらしいので、すぐにOKし、お昼休みに日比谷公園の松本楼で待ち合わせることにしました。
行ってみたら、もうひとりの男性の友人も来ていました。とにかく3人でランチをしながら、わたしの仕事でわかるだけのことは、教え、アドバイス。でも、不思議だったのは、彼の持ってきた話が、急でも何でもなかったことと、一緒に居たもうひとりの友人が同席する話ではなかったことでした。
でも、帰り際、彼らがくれた一言で、わかりました。「おい、いつもより元気ねーぞ。午後はしっかり仕事しろよ。」 「とにかく、くじけそうになったら、勉強と仕事に逃げろよ。」
・・・・・・彼らは、わたしに、今日、少しでも悲しい思いをさせないように、仕事が空き、わたしが考えごとをしそうな昼休みを付き合ってくれたのでした。医師をしている女友達は、勤務地も遠いし、時間も自由が効かないので、比較的時間に自由が効く彼らが来たのでしょう。公園から職場に帰る途中、彼らの気持ちが有難くてホロリとしそうでしたが、泣いてしまうと収拾がつかなくなるので、懸命に我慢しました。わたしはいい友達を持っています。
午後は懸命に仕事。5年前の時系列のシュミレーションをしている余裕がなく、ちょうど良かったです。仕事を終え、あとはプールに逃げようと、ものすごい勢いで帰ってきました。
20時ごろにはプールへ。友人に教えてもらったバックの練習は欠かさずしています。20時半からは大好きなA先生のマスターズクラス。ストロークドリルまでは普段どおりにやりました。その後、400メートル個人メドレーの課題・・・・・・。
始める前から、わたしには、これは絶対にできないことはわかっていました。先頭の人に抜かされたり、苦手な泳ぎをフリーに替えたりして250メートルまでは泳ぎましたが、後ろの人に足をさわられた瞬間、もうダメだと思い、断念。足を触られたのが契機になっただけです。そしてクラスもエスケープ。サウナにひとりで入った瞬間、緊張の糸が切れてしまったように、涙があふれてきました。
はじめは、泳ぎきれなかった悔しい気持ちがそうなったのだろうと思ったのですが、考えてみればそれだけではなかったと思う。今日、いちにち、本当にこらえていました。母のこと、あの日のこと。それが、泳ぎをやめた瞬間に、全部緩んでしまったのだと思います。こういう日もある、しょうがないと思いました。
わたしは毎朝晩、母の事故現場を自転車で通ります。そこを避けて駅まで行く道もありますが、わたしはこの5年間、それをしませんでした。はじめのうちは、加害者の嘘を証明するために、敢えて通り、嘘は証明されました。いまは、毎朝、「ママ、今日も気をつけて行ってきます。」、晩には「ママ、ただいま。もう少しだけど、気をつけて帰ります。」と心の中で言って通ります。明日も明後日も、ずっとそうしようと思っています。
例の、よく食事会をする予備校時代の男性の友人の一人に、「ちょっと教えてもらいたいことがあるから、できたら昼休み、空けて欲しい。」と、朝、電話がありました。わたしたちは、男性2人女性2人の勉強仲間で、男性は2人とも既婚、わたしたち女性は未婚のグループ。そういうこともあって、別にはっきりそうと決めたわけではないけれど、会うときは4人でしか会わないのが暗黙の了解なのですが、仕事上のコトらしいので、すぐにOKし、お昼休みに日比谷公園の松本楼で待ち合わせることにしました。
行ってみたら、もうひとりの男性の友人も来ていました。とにかく3人でランチをしながら、わたしの仕事でわかるだけのことは、教え、アドバイス。でも、不思議だったのは、彼の持ってきた話が、急でも何でもなかったことと、一緒に居たもうひとりの友人が同席する話ではなかったことでした。
でも、帰り際、彼らがくれた一言で、わかりました。「おい、いつもより元気ねーぞ。午後はしっかり仕事しろよ。」 「とにかく、くじけそうになったら、勉強と仕事に逃げろよ。」
・・・・・・彼らは、わたしに、今日、少しでも悲しい思いをさせないように、仕事が空き、わたしが考えごとをしそうな昼休みを付き合ってくれたのでした。医師をしている女友達は、勤務地も遠いし、時間も自由が効かないので、比較的時間に自由が効く彼らが来たのでしょう。公園から職場に帰る途中、彼らの気持ちが有難くてホロリとしそうでしたが、泣いてしまうと収拾がつかなくなるので、懸命に我慢しました。わたしはいい友達を持っています。
午後は懸命に仕事。5年前の時系列のシュミレーションをしている余裕がなく、ちょうど良かったです。仕事を終え、あとはプールに逃げようと、ものすごい勢いで帰ってきました。
20時ごろにはプールへ。友人に教えてもらったバックの練習は欠かさずしています。20時半からは大好きなA先生のマスターズクラス。ストロークドリルまでは普段どおりにやりました。その後、400メートル個人メドレーの課題・・・・・・。
始める前から、わたしには、これは絶対にできないことはわかっていました。先頭の人に抜かされたり、苦手な泳ぎをフリーに替えたりして250メートルまでは泳ぎましたが、後ろの人に足をさわられた瞬間、もうダメだと思い、断念。足を触られたのが契機になっただけです。そしてクラスもエスケープ。サウナにひとりで入った瞬間、緊張の糸が切れてしまったように、涙があふれてきました。
はじめは、泳ぎきれなかった悔しい気持ちがそうなったのだろうと思ったのですが、考えてみればそれだけではなかったと思う。今日、いちにち、本当にこらえていました。母のこと、あの日のこと。それが、泳ぎをやめた瞬間に、全部緩んでしまったのだと思います。こういう日もある、しょうがないと思いました。
わたしは毎朝晩、母の事故現場を自転車で通ります。そこを避けて駅まで行く道もありますが、わたしはこの5年間、それをしませんでした。はじめのうちは、加害者の嘘を証明するために、敢えて通り、嘘は証明されました。いまは、毎朝、「ママ、今日も気をつけて行ってきます。」、晩には「ママ、ただいま。もう少しだけど、気をつけて帰ります。」と心の中で言って通ります。明日も明後日も、ずっとそうしようと思っています。
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