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何物にも替え難いこと2007年10月20日 23時59分59秒

 父は、中学時代の同窓会が銀座であるというので、出かけていきました。

 わたしは、姪っ子1号が通う小学校で、オータムフェスタという、地域の人たちとの交流会みたいなのがあって、小学校へ。事前に、係りをしている妹から、いろいろなチケットを買っていて、ときには、それで焼きそばなどをたべたり、ジュースを飲んだり。

 姪っ子1号の担任の先生が、お点前をするというので、1号とお茶席へ。久しぶりのお茶。実はわたし、中学・高校時代、茶道部に所属していました。それ以来、きちんと習っていないので、もう、お点前は忘れてしまったけれど、懐かしい席でした。姪っ子に、お菓子のいただき方、お茶のいただき方などの作法のほかに、感謝を表す言葉や礼のことも教えつつ、楽しい時間でした。担任の先生のお点前は、どうやら促成栽培だったようですが、それでも、もてなす心と、一生懸命やる姿を見るのは気持ちの良いもの。着物をお召しでしたが、ちょっと着崩れしていらして、直して差し上げたかったけれど、着付けをした方が同席していたしたので、やめました。出来る、と胸を張れるほどのモンじゃないのですが、実は、わたし、着物を一人で着られるし、人にも着せられるんです。母から教わりました。(ちょっと自慢になってますが。)

 夜はプール。献血ギリギリの値だったのに、400ml献血して、看護師さんに『今日はプールはやめてくださいね。行っても軽く歩くぐらいで。』といわれていたので、2時間半みっちりレッスンに入るのはやめて、最後の時間のマスターズだけ。泳いでいるときは別になんともなかったのですが、終わって、温かいシャワーを浴びていたら、急に心臓がバクバクしてきたので、慌てました。こんな格好で、倒れるわけにいかないもの。それでも、とにかくいつもやる一通りのことはこなして、服を着て、いつ倒れても恥ずかしくない状態にしたころには、回復していました。やっぱり献血後の水泳はだめだと思いました。

 今日は、先日肋骨に怪我をした友人が、プールに来たので、『大丈夫なのかしら?』と、自分のクラスでレッスンを受けながらも、心配していました。ほとんど泳がず、歩いていたようでした。泳げないの? ん?でも、泳がないほうがいいんじゃないかなぁ?など、いろいろ考えてしまいました。友人は否定するのだけれど、この怪我の原因の一端は、わたしにもある気がしていて、それでも、何もしてあげられず、もどかしい。

 帰りにもその友人と一緒になり、また彼を寝不足にしてしまうので、もうやめようと思いつつも、また、おしゃべりをしてしまいました。彼はいつも、いろいろなことを話してくれるので、ついつい、聴き入ってしまい、また、わたしの話もよく聴いてくれるので、楽しくていつも時間を忘れてしまいます。水泳の話や、ちいと哲学的な話も。彼の話を聴いているのが好き。温かみがあって、安心します。あの怪我状態で、また明日もソフトに運転して行くのだろうと、心配だったのですが、近所の同じチームの友人が車に載せていってくれるし、試合には出ず、スコア係りをするというので、わたしもつい気が緩んで、気がついたら午前2時8分をすぎていました。それでもしばらく話して、もう、帰ろうと、家に着いたのが2時25分すぎ。4時間以上も話していたのに、ほんの1時間ほどにしか感じられませんでした。

 人に理解してもらえる、そして、その人を理解してあげられる自分がいる。人と話をしていて、楽しいとか、満ち足りた気持ちになるというのは、どんなすばらしい物事よりも、心から幸せを感じるものです。帰り際の『楽しい会話だった。』という彼の言葉があった分、よけいに。

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