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『現在(いま)』を生きる2008年09月23日 23時34分25秒

 妹と、実家で着物を捜しました。今年は姪っ子たちが七五三ですが、わたしたちが七五三で着た着物を着せようということになり。

 捜すところは決まっていました。ただ、母がしまったものを開けるのには勇気がいって、それをひとりでするのは、ちょっと重いので、妹と。

 幸いわたしたちの着物はすぐ見つかりました。わたしの記憶では、大人になっても着られる着物よ、と言われましたが、あけてみれば確かにそうで、おそらく高校生くらいまでは着られそうな、立派な仕立ての着物でした。

 わたしが7歳のときの七五三の家族写真を見ながら、帯や帯あげ、帯締めを捜しました。正直なところ、うちには着物がたくさんあります。祖母のものは、すべて娘の母のところへ。母は一時着付けの先生をしていたので、なおさら。実はわたしも、母の生徒でもあったこともあり、助手までしたこともあるので、自装、他装ともにできます。

 今日の嬉しかったことは、着物を探しながら、母がよく着ていた着物や帯をたくさん見られ、その記憶を妹と共有できたことでした。柄や色合いで、それを装っていた母を容易に思い出せたこと。母や祖母の香りまでしたように思い、これは洋服では味わえなかったことと、懐かしい気持ちになりました。着物のよさは、手入れさえきちんとすれば、何代かに渡り、装えることです。着た瞬間に、祖母や母、そして、たくさんの思い出と一緒です。休日のお出かけは、着物でも着て出かけようかしらと思いました。

 いままで、わたしは、過去に縛られ生きていたように思っています。辛く悲しかったことを、どうしても乗り越えられなかった。だから、現在をちゃんと生きられず、その時々で、自分をごまかしてきました。けれど、少しだけ、『現在(いま)』にきちんと目を向けて、心を傾けて、生きてみようと、そういう気持ちになっています。

コメント

_ たこやきおやじ ― 2008年09月24日 09時43分18秒

やっと悟られた様ですね。でも、セルクルさんの本当の母上への恩返しは子どもから慕われる立派な母親になることだと思います。母上はそう思って育ててこられたと思います。

_ セルクル ― 2008年09月24日 22時14分28秒

何が一番いいのか、どういう風に考えるのがいいのか、どういう結論を出していくのがベストなのか、わかっているのです。けれど、そう杓子定規のようにはできないもの。そこがまた、もどかしいところでもあります。
最後は、『エィ!』という意気込み、気合でしょうか。

『母親になること』・・・・・・、元気付けられました。たこやきおやじさん、ありがとうございます。

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