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おひとりさま2006年02月12日 21時32分55秒

先日、2月3日のところで、ちょっとだけ話題になったひとりで行けるお店なんですが、興味あるかたはこちら

http://ohitorisama.net/  おひとりさま向上委員会

などを参考にされてはいかがでしょうか。

まだ早いですが、今日はこれで休みます。

さよなら2006年02月13日 23時10分37秒

今から2年少し前の秋の朝、私はその人に出会いました。場所はうちから歩いて5分くらいの、妹一家が小さな家を建てていたその工事現場でのことでした。

彼は初老のがっちりした体格の人で、私に近づいてくるなり、するどい目をしながらも、丁寧な人好きのする態度で、こう尋ねてきました。

彼:「こちらはあなたの家ですか?」

私:「いいえ、妹夫婦の家です。」

彼:「そうですか。私はそこの柴田(しばた)といいます。」

私はこれからご近所になる人だし、こちらも義弟の名字を伝え(妹夫婦は、別姓なので、どちらを名乗ろうか迷ったが、一応義弟の姓を言った次第です。)、これからよろしくお願いしますと挨拶したのでした。

その後、妹たちがそこに住むようになり、特別私が柴田さんのおじさんとじっくり話す機会はなかったのですが、仕事を引退され、悠々自適の生活をしている彼は、よく外に出ていたので、妹宅への道すがら、よく会い、挨拶していたのです。また、妹からも、柴田さんのおじさんとは、朝、義弟を送りだすときに必ず会い、また姪もおじさんにおはようを言うのを楽しみにしていると言う話を聴いていました。

毎朝あっていた柴田さんを、このごろ見かけないね、と気づいたのは姪です。喘息で入院されていたとのことでした。そして退院されたとのお話を奥様から伺った後も、彼を見ることはありませんでした。そうとう具合がお悪いのだろうと心配していました。

その柴田さんのおじさんが、先月末、亡くなられました。あんなに頑丈そうな人だったのに・・・・・・。お元気なころは朝夕、通学途中の小学生に、声をかけていたといいます。わたしも信じられない思いでした。

妹と姪は、おじさんのお通夜に伺いました。気持ちはわたしもお別れに行きたかったのですが、うちは伺うほどのご近所でもないし、わたしの気持ちだけで行動するのもヘンかも知れないと、やめてしまったのです。

でも、なぜか忘れられずに心に残りました。きちんとお別れをしなかったことが悔やまれました。あの秋の朝、先に声を掛けてくれ、名乗ってくれた柴田さん。ずっとずっと年配なのに、とても丁寧にわたしに接してくれたおじさん。あとからわかったことですが、どうやら警察官だったらしく、わたしに会った時は、定年退職されてすぐだったらしいです。だから、朝夕、小学生を見守っていたのでしょう。

ここ数日、柴田さんにきちんとお別れをしなかったことが気になっていました。さよならを言うのは、嫌い。本当にイヤ。でも、亡くなってしまった人には辛いけれど、きちんとさよならを言いたいと思いました。そして、ご自分のなされる範囲で小学生を見守っていたそのお気持ちを見習いたいと思います。

さよなら、柴田さんのおじさん。

ブランク期間中は・・・・・・2006年02月25日 20時51分18秒

久しぶりの更新になってしまいました。

ここのところ片頭痛かひどくて、PCの画面はもちろん、携帯電話の画面を見るのもつらかったのです。必要最低限のPC使用に限っていました。もうサングラスをかけて仕事をしたい気分でした。テラナスという予防薬が効かない、朝から頭痛、吐き気、点鼻薬のイミグランも効かず、それが長く続いたものですから、いつも診ていただいているドクターに相談して、お薬を替えていただきました。成分はほとんど変わらないというトリプタン系のお薬ですが、これはどうやら効いて、やっと何とか使い物になる人間に戻ったところです。

頭痛期間中、一度飛行機で片道(片空?)約1.5時間の距離を日帰りしたのですが、これは辛かったです。もう、誰も私に話しかけないで!という感じでした。飛行機は気圧が少し低いといいますが、ソレを身を持って実感したような気がします。片頭痛は頭の血管(私にいわせれば欠陥と書きたいほど、私の頭の血管は欠陥品です)が広がって神経にあたり、頭痛を引き起こすそうですが、いつもいるところより気圧が低ければ血管だって広がりやすいんじゃないかしら。そういえば曇りの日は決まって痛い。でも強い日差しでも痛くなるから、私は結局、どんな天気でもダメ人間なの??????もう、頭痛の間中、そんなことばかり考えていました。

治ってみると、これが仮病だったかと疑われるほど元気になります。それも辛いところです。

また頭痛でない限り、更新しますので、よろしくお付き合いください。

今日も・・・・・・(-_-;)2006年02月26日 21時54分43秒

そうっとしていれば、なんとかなるのですが、まだ頭痛の闇から完全に復帰できないみたいです。こんな身体の弱いことではダメだと思うからでしょうか、決まって体調の悪いときにジムへ行って鍛えたくなります。むろん、そんな余裕はないのですが。

明日はまた週のはじまり。明朝は頭痛になっていないように祈りつつ、今日は早めに寝ます。

のどかな一日2006年02月27日 23時22分39秒

今日は、徹底的に妹に奉仕したいちにちでした。

数日前、姪っ子2号が誕生し、幼稚園児の長女をかかえている妹は、まだ養生中なので、めずらしくも彼女から要請があって、お手伝いすることになりました。

朝、姪1号を、幼稚園バスが迎えに来るバスストップまでお見送り。のち、妹宅の洗濯・掃除・朝食の片付け。妹が博多に住んでいたころは、長期間遊びに行っては、キッチンでいろいろ作っていたのですが、近所に引っ越してきてからは、かえってわざわざそういうことをしないので、キッチン用品の収納場所がわからなくて、世の家事をしない亭主状態でした(^_^;)

いちど自宅に戻って、こちらの来客の準備をすませ、再び妹宅。買い物、洗濯取り込み、姪1号のお迎えなど。

新参者の姪っ子2号は、ひたすら眠っているので、私はまだ、両目ぱっちりという状態を見た事がありません。なので、いろいろいじくりまわして、起こそうとしているのですが、失敗の連続。仕方ないので、私はひたすら、

私「わたしが、おばさまだよぉー。なーんでもゆーこときくからねー(~_~)なんでも買ってあげるよー。」

などと言ってい;ます。(私は親ではないので、きょーいくはしないと宣言してます。ひたすら、あそびといたずらを教えるつもり。ふふふ。)親はやりにくいでしょうね。

子供を持つと、こういういちにちもあるのだな、とちょっと感慨深かったです。

そうそう、さらに面白かったのは、姪っ子1号が、妹に、 「今朝のパパが作ってくれた目玉焼きは、おいしくないんだよねー。」と小声で顔をしかめながら言っていたのには笑えました。 目玉焼きひとつにしても、ママのとパパのでは、微妙にちがうのでしょうね。

スピードクッキング2006年02月28日 23時11分18秒

ひと月ほど前に、お礼のつもりでガトーショコラフォンデュを作って差し上げた人がいます。それを、とても美味しいと言ってくださって、その後、何度も「材料費をちゃんとお支払いするから、お願い、作って!」と言ってくださいます。わたしも、ちょっとでも空いた時間ができたら、いつでも作れるようにと、卵を常に多めに買っておくのですが、ここのところ、どうしても作れないでいて、冷蔵庫の中で、卵があふれかえっています。

わたしの風邪が一段落したと思ったら、お昼ごろ、会社にいる父から、風邪をひいてしまったという電話がはいりました。確かにかすれ声で、熱がありそう。でも、午後から急に出張で、帰りはそうとう遅くなるとのことでした。わたしも今日は、そんなに夕飯作りに、時間をかける余裕がなかったのですが、なんとか野菜の嫌いな彼に、ビタミンをたくさん取れるものを作らなければ・・・・・・というわけで、帰って大急ぎでかぼちゃの煮物を作りました。煮物なのですが、ちょっとひらめいて、電子レンジで作ってみようと思い立ち、村上祥子さんの本を引っ張り出し、8分ほどで、りっぱなかぼちゃの煮物ができました。味にうるさい父も、「煮たの?大変だったんじゃない?」との感想。とてもレンジで4分で作ったものとは思わなかったみたい。

気持ちを込めた料理といえば、時間をかけてじっくり丁寧に、と思ってしまいがちでしたが、限られた時間でできることをすると居直ると、案外いいものができるのかもしれません。

料理研究家の村上祥子さんのレンジクッキングの本は何冊か持っていましたが、本気で作った事はありませんでした。先日テレビ東京の「ソロモン流」という番組で村上さんを取り上げ、わたしも思い出したわけです。

レンジクッキングは、早くて気軽で、すこしやってみたい気分になりました。