からだを鍛える時間 ― 2006年03月01日 23時20分38秒
夕べ、午前1時ごろだったかな、寝ようとしたら、頭の上の出窓にぽつんぽつんと雨の当る音がし出しました。
昨日はうちの梅の花が咲きだしたのを見て喜んだのに、なかなか暖かくならないし、春にだまされている気がします。
わたしはある時から急に、夜なかなか眠れなくなりました。それで、眠ろうとするのを諦め、かといって、からだを休めないわけにもいかないので、ベットに横にはなるものの、眠ろうと焦るのはやめました。だいたいベットに入っても、2,3時間は意識下にあると思います。かなり年上の友人に、NHKラジオ深夜便という番組を、ただだらだらとつけておくといいよ、と勧められ、そうしています。これはかなり年配の方向けのラジオ番組ですが、NHKらしく、へんなタレントが出てきて、大騒ぎするわけではないので、耳ざわりにはなりません。でも、重ねて言いますが、わたしはリスナーの平均年齢をかなり下げているのは確かです。番組中の音楽・歌の時間には、あまりに古すぎて、ちょっとついていけませんから(^_^;)
ゆうべもつけっぱなしにしていたら、慶応大学の抗加齢学(?)のドクターが興味深いレクチャーをなさっていました。高齢になっても、運動はすべし、運動はストレッチ、エアロビクス、筋肉トレーニングが基本・・・・・・など。確かにわたしもジムのトレーナーにトレーニングメニューを作っていただいた時も、この3本柱でした。トレーニングの順番も指導していただきました。 ただ、運動が良いとわかっていても、わたしはスポーツでない、鍛える運動をしている時間が、なんだかもったいなく思えてしかたありませんでした。でも、このドクターは運動の必要性を説いた後、一週間は時間にすると168時間、そのうち50時間眠るとして、118時間残る。そのうちの4時間くらいを身体を作る時間にするのは意義あること、と話していらして、なるほど、科学者のいうことは、理路整然としていて、気持ちよく、わたしも納得したのでした。
なんだかすっきりした気持ちでトレーニングできそうです。
美しいひと ― 2006年03月03日 23時59分59秒
夕べは友人と食事に行って、遅くなってしまって、更新できませんでした。
今日は偶然の縁があって、初めての人に会いました。
彼女はフランス人男性と結婚し、フランス在住なのですが、彼女の東京に住むお母様が手術中のミスが原因で亡くなるという事故があって、昨秋に急きょ帰国したということ、少しだけお母様と意思疎通ができたこと、そしてお母様がそのように亡くなったということにかなりのショックを受けているという予備知識だけは持っていました。
初めて会ったその人は、30歳代半ばの、華奢な感じの女性でした。わたしが彼女の事情を知っているということは、彼女もわかっていることでしたが、お互いその話には触れませんでした。ただ、細かい事情は違うにせよ、思いもよらないことで突然母親を亡くした者どうしの無言の意思の疎通はあり、もうそれで充分なことでした。
印象に残ったのは、彼女の美しさです。わたしは人の外見にあまり興味がないせいか、外見をどうのこうの言うほど覚えていないことが多いのですが、今日会ったその人は、本当に美しいと思いました。悲しい人の美しさもありましたが、それとは別に、彼女の内面(精神)が現れているといった美しさでもありました。 外見は、ロングのソバージュヘア、黒縁のメガネ、お化粧も眉と口紅くらいでアクセサリも結婚指輪の他にもうひとつ小指にかわいいリングをつけただけでした。 フランスに住む日本女性を何人か知っていますが、みんなコワイ女性に変わってしまいます。鎧をつけたような女性に。そういう女性を想像していたわたしでしたが、今日会った彼女は全くそういう風はなく、ただただ思いやり深く、頼りな気な人でした。
今は会ったばかりで、この魅力的な女性の何が魅力なのか、わたしもよくわからないのです。でも、きっとこれから仲良くなれそうな、嬉しい予感がしたのでした。明日にはフランスに帰るそうで、7月に帰国する際の、再会を約束しました。
春を迎える前に ― 2006年03月04日 23時50分58秒
うちの梅が咲きだして、いつも観に行く湯島天神の梅も少しずつ咲いているから、本当に春が近くなったようで、うれしい。
今日はわたしの通っているお菓子教室 マキコ・フーズ・ステュディオ(http://www.makikofujino.com/)で、5年間アシスタントをしていた人からフルーツケーキが送られてきました。箱を開けたとたんに、ふんわりといい香りです。 秋から冬にかけて作られることの多いこのお菓子を楽しんでから、春を迎えたいと思います。
写真はそのフルーツケーキです。
春の匂い ― 2006年03月05日 22時05分48秒
何がいいと言って、この春を待つほどうきうき好きなことはありません。そういう人はとても多いので、ありふれていることなんでしょうけれど。
桜の季節になると、夜のお花見ももちろんいいけれど、朝、まだ街が動き出していない早朝に、ひとりでしずかにゆっくりとお花見をします。いわは桜のひとりじめです。
それを梅でやってもいいかも・・・・・・と思ったのは夕べ寝る前です。梅はうちにあるので、散歩できないところが難点ですが、この際、そんなことは小さなことです。夕べは2時すぎまで起きていたのですが、今朝は5時すぎには起きだしました。自室から続くテラスにでてみると、いちばん先に飛び込んできたのは梅の淡いほのかなかおり。早春にしか味わえない格別なものでした。お花も5分近く咲いています。梅に感謝したい気分でした。6月ころになる実は、今年は梅酒にするつもり。姪っ子2号の成人した時にでも、家族でいただけることを願って。
そういうわけで、今日の写真は梅です。10年ほど前に梅のバックに家が建ったので、それがちょっと無粋なんですけれど。それに、昼間の写真です。朝はひとりじめしたものですから(~_~)。
いよいよ春一番 ― 2006年03月06日 20時07分57秒
今朝、寒いのを覚悟していつものように外に出たら、ムワッとした暖かさで、これはきっと春一番が吹くに違いないと思ったところ、やっぱり。午後からすごい風が吹きはじめました。
うちの地域は、月曜が資源ごみの日で、ペットボトル、新聞雑誌、ビン、缶を集めます。これらはそれぞれ東京都のごみ回収車や委託業者が別々に集めていくわけです。ところが、その回収車が来る前に、個人の業者らしいトラックがいっぱい回っていて、何度でも同じところを巡り、ごみがだされる度に、我先にと持って行きます。これはたぶん占有離脱物横領とか、資源ごみという価値を考えた場合には、窃盗にあたるかもしれませんが、そんなことより気になるのは、そのトラックの危険性です。 そういうトラックは、ほかの業者に持ち去られる前に、自分のモノにしようとするからでしょうか、かなりのスピードで住宅街を走り回りますし、また、運転している人はゴミしか見ていない様子。おまけに、結構年配の、イヤかなり年配の人が運転しています。 特に新聞と、缶に人気があるようです。たぶん、都の新聞回収車は、ソレを見越して、来ていないんじゃないかな。
そういうわけで、月曜日は週の始めなのに、朝外に出るのが、一瞬憂鬱になります。
このブログを読んでいただいている方に、おもてなしできるわけではないので、こんな写真を載せるのは憚られますが、今日のお茶の時間にいただいた、例の彼女のフルーツケーキです。コーヒーを一緒に飲もうかなと思ったのですが、フルーツケーキの風味があまりにも良いので、わたし好みに淹れた焙煎の強いコーヒーは後からそれだけでいただきました。
チュウリップの芽 ― 2006年03月07日 22時41分34秒
昨年の秋に、やろうやろうと思いながら、毎年植えるチューリップの球根を植えられませんでした。だから今年の春は、きっと寂しい花畑になりそうです。
昨年の球根の掘り起こしの時に、おそらくは小さすぎて見つけ出せなかった球根の子どもが、芽を出すちからだけは蓄えたのでしょう、思い出したように芽をだしました。ただ、こういう頼りない葉をだすものは、たいていは花にまではならないのが、かわいそうです。
今年は無理かなぁ、味噌作り ― 2006年03月09日 22時43分09秒
“手前味噌”という言葉がありますが、文字通り自分で作ったお味噌はとても美味しくて、もう10年ほど前から、うちではお味噌を作っています。
材料は大豆、麹(米でも麦でも)、塩といたってシンプル。なんだか大変そうだけれど、実はそんなに難しくもないのです。だいたい12月ごろから、翌年3月頃までに作り、その年の秋から食べ始められるのですが、熟成のすすんでいないお味噌が好きなわたしは、いつも作る時期を3月ぎりぎりにしたり、時には、(お味噌の専門家には聞かせられないけど)4月の下旬に作ったこともあります。実はこの4月下旬仕込みのお味噌が一番おいしかったと感じたのも事実なんです。
こう材料がシンプルだと、食材そのものの良さも味に影響するような気がします。
話はすこし飛びますが、去年の今頃、栃木県佐野市というところに、いちご狩に行きました。そこのいわば産直品を売っているところで、農林水産大臣賞だったか、とにかくそういうのを受賞した大豆を売っていました。ためしに買って、これで去年味噌を作りましたが、本当においしい。麹屋さんを変えて作ったのが、ほんとうに悔しかったです。
今年もお味噌を作りたいと思っているのですが、今年はたぶんいちご狩にいけないだろうなぁ、ということで、佐野産の大豆と、わたしの好きな伊勢惣の米麹のコンビネーションは、来年の秋までおあづけになりそうです。
「かたち」ということば ― 2006年03月10日 23時10分47秒
自分のことを棚にあげていうと、わたしはことばにとても敏感で、例えば、正のことばを聴いたときには感激屋になり、負のことばを聴くともうそればかりが気になってしまうのです。
今日はやたらと「かたち」ということばを使う人と話をしました。「・・・・・・というかたちで(話をすすめましょう)」みたいに使う人。たくさん使うなと思い出したら、話の内容より、次にいつくるか、という気持ちが先にたってしまい、とうとう話の内容に集中することができませんでした。これはひとえにわたしの不徳のいたすところです。が、それでも、「かたち」ということば、わたしにはshapeとかfigure以外の意味では受け入れがたいものです。(今日のひとは25秒に1回は使っていたと思います。)
思うに、かたちということばは、使い出したらとても便利です。shapeやfigureの意味を越えられる人なら。けれど、1分間に何度も使うとしたら、それは不自然だし語彙が少なすぎるし、はっきり言うべきことを言わない不誠実な態度にさえ思えてしまう。
日本人のよく使うことばに「アレ」というのがありますが、これはさほど気になりません。何かおおっぴらにできないことをおとなしく話すときに使う相槌「・・・・・・それはアレだよね・・・・・・。」などは、お互いはっきりと口にせずとも理解できるし、また、アレの内容をはっきり言ってしまうのは、かえって品がなく、無粋になってしまうからです。
もちろんこれは私的見解で、たぶんわたしもどこかで誰かに、同じようなことを思われているだろうなぁと思います。
会いたい ― 2006年03月13日 23時30分03秒
今日の読売新聞夕刊に、大分県国東半島のことが出ていて、そこに載っていた熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)の写真を見て、思わず「あ~、熊野磨崖仏に会いたい~。」と声を出して言ってしまいました。ここには2回、行ったことがあります。
年配の方には、ちょっとキツイと思われるような山道を行くと、この仏さんが待っています。奈良の大仏程ではないけれど、ちょっとした大きさ。年代、作者は不明です。この仏さんは、とてもおだやかな顔をしています。何でも寛容に受け止めてくれそうな、そんなお顔です。
こんなおだやかな顔の仏さんを彫った人は、いったいどんな人だったのだろうと、考えたことがあります。何の根拠もありませんが、きっと、大きな悲しみを味わった人だろうとわたしは想像しています。
わたしは何の信仰も持ちませんが、この仏さんには、自分の心が弱くなりそうなとき、会いたいと思うのです。
写真は、昨日の朝、散歩した湯島天神の男坂を上ったところからです。(梅は女坂からの方が風情がありますが。)梅が満開で、境内がとても良いかおりにつつまれていました。この坂を下りたところが、いわゆる天神下と言われる地域で、左には古くからある甘味屋、昔ながらのしもた屋、古い魚屋、がんもどきの美味しい豆腐屋があります。もっとまっすぐ行ったところが昔の黒門町(くろもんちょう)。小学校の名前で残っています。ここにはわたしがよく利用する筝曲・三弦のお店があります。 デジカメバッテリー切れで、いつものように携帯のカメラです。
癒される?お風呂の時間 ― 2006年03月14日 23時09分31秒
このところ、姪1号をお風呂に入れる機会が多いわたしは、これほどの重労働かと、世の子供をもつ親御さんたちを尊敬しつつあります。
自分自身の家族でない、姪のことを書くのは恐縮ですが、姪は魚が大好きで、とくにまぐろ赤身のにぎり寿司に至っては、絶叫するほど好きなのです。先日、葛西臨海公園内にある水族館に行ったとき、まぐろが泳いでいるのをみて、(わたしにいわせれば、異様な(@_@)をして振り返り)
姪「おいしそー❤、ねー、おばさまぁー、捕ってよー。」
私「そりゃ、無理だよ。ここはお魚を観るところよ。」
姪「だったら、帰りはお寿司やさんいこー!」
という具合で、まるで漫画の一コマのようなことがありました。
さて、そういう姪とお風呂に入ると・・・・・・
金魚すくいでもらった、模型のミニ魚を湯船に放します。それでまずはわたしが魚釣りをするのです。漁船はなぜか、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」の容器。のち、それを魚屋兼寿司やになった姪のところに持って行く→寿司職人になった姪ににぎってもらって、食べて帰る。
この一連の動作を、毎日毎日、夏のクールバスクリンを入れて、海のように青くなった湯船につかってやるわけで、やってる間はのぼせそうになるわ、上がればクールで寒いわで、ここのところ、お風呂が一日のとっても疲れる(けれど楽しみな(^_^;))時間です。
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