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Xへの挑戦2006年12月23日 23時59分59秒

ただし、20<X≦100の自然数とします。

今日は、水泳の話題しか書けないので、もううんざりという方は、とばしてくださいませ。

昨晩プールでA先生と話したことがきっかけで、夜は浅い眠りのなかでずっと考えていたように思います。今日のマスターズの方たちとの通称100本大会というのは、50mを1分15秒サークルで100本やる(つまりは合計5000m泳ぐ、わたしにとってはチャレンジコース)というのが基本らしいのですが、もうひとつ、1分30秒サークルで83本やるという選択もありなのです。どちらも、始めてから2時間5分たつと終わるわけです。もちろん、2時間5分もほぼずっと泳ぎ続けたことは今までなかったので、どういう感じなのかもつかめないわたしは、昨晩A先生と話すまでは、83コースを半分やればいいや、と思っていました。でも、A先生は、いつも、1分15秒サークルで泳いでいるのだから、そちらでやってみて、途中、抜くという方法も提案してくださいました。それで、一晩中悩んだ末、とりあえず目標を立て臨もうと、100本コースを50本やり、あとは1本ずつ抜いて、偶数本目をやれば100本泳いだ気になると思いプールへ。最終的には、プールに入った際、自分がどちらのコースに入るかは頭では考えなかったように思います。身体は自然とチャレンジコースにちゃっかり入りました。今日の数字Xは、チャレンジコースに入ったわたしの本数です。 小なり20の根拠は、いつも、20本は泳ぐので、それはクリアできるだろうということで。大なりイコール100というのは1本も抜かずに泳ぐということです。

14時ちょうどに始まりました。1コース7人くらいでしょうか、「よーい、はい!」の掛け声で、5秒おきに各コースひとりずつ出ます。はじめわたしは5番目にいました。前は全員男性。私から後ろは女性。みんないっせいに泳ぐので、プールの水は空気をいっぱい含むせいか、にごって見えました。波に乗って、たぶんいつもより早いペースで泳げたように思います。今日はクイックターンは初めからやめ、タッチターン。20本目まではクリアしました。

その後は私にとって、どんどん未知の世界に入っていきました。いったい何本くらいできるのか、見当もつかなかったのです。32本目を泳ぎ終わったら、カウントしてくれている人が、「大丈夫?」と聴いてくれました。わたしは「大丈夫!!」と答え、33本目に突入。ちょうどこのとき、復時のターンをしたら、潜りすぎてしまって、なかなか上に上がれず、息ができない。ずっとフリーで泳いでいたのですが、このとき早く上に上がって息をしようと、苦し紛れにドーンと一回、バタフライキックをしました。これは実際、その後のターンの後、エイっと気合を入れるためにずっとやってましたし、ひとつの小さな楽しみ&目標になっていました。(正式にはこんなことしちゃいけないんだろうけど・・・・・・。)

40本目。いつもの倍泳いでる。疲れないし、息も弾まない。泳いでいて不思議なくらいでした。でも、肉体疲労というのは、急に来るというのも経験済みのわたしは、いつもスタートするときは「これが最後かも。」という思いでした。このころ泳ぎながら、学生時代にナイトハイクで約50キロちかい道を歩いたことを思い出していました。わたしの大学では、毎年6月ごろだったでしょうか、理工学部のある文京区春日のキャンパスを夜8時に出発して、当時文系学部だけがあった、八王子の多摩キャンパスまでをすべて歩くというイベントがあったのですが、わたしも4年のとき、参加しました。たいていの学生は新宿で消えていきます。わたしは夜の甲州街道を歩き続け、辛くなっては、どこでギブアップしようかとか、調布駅で休んだときは、ギブアップするなら、ここしかないという究極の選択をしていました。そういう心の葛藤を、ずっとずっと続け、結局足を血だらけにして、翌朝多摩キャンパスに到着したのですが、この経験は、社会人になったいまも、時折良い意味で思い出すのです。

話は横道にそれましたが、結局70本目を迎えていました。無計画にやたらと水分を補給するのも身体に負担がかかると勝手に思ったわたしは、未知数に突入してから、10本終えたら水分補給というのを繰り返して、それをまた小さな目標にしていました。75本目のころ、また、「大丈夫か?」という声に「大丈夫!」と答え、出発。その頃、わたしの前を泳いでいた男性と順番交代し、わたしが4番目を泳ぐことになりました。しばらくすると3番目の男性が背泳ぎをしてる。うっかり追いついてしまうところだったのですが、ということは、わたしのペースは落ちていないということ?と、わりと冷静に考えていました。不思議なくらいすぐに80本目。昨日マスターズで同じコースを泳いでいたNさんが、「80本を過ぎるとあとは惰性でいけるよ。」とおっしゃったのを思い出し、「そーだ、だせいでいくぞ!」と気合をいれ、あいかわらずターンの後は、バタフライキックのわたし。あと20本と考えれば、もう未知数ではないと、算数計算もしました。そして、16時5分、100本目を終えました。この時はほんとうに嬉しかった。はじめわたしのすぐ後を泳いでいた、マスターズの先輩Aさん(彼女は私より2まわり以上年上の女性)は、「ほーら、ちゃんとできたじゃない!」と笑顔で喜んでくださいました。わたしも華奢な彼女の手を握り返しました。

身体を使ってやった人間でなければわからない充実感を、久しぶりに味わいました。もっともっと、生き生きとした人間に戻れるかもしれない。ちょっとわたし、素敵だったかもしれない。・・・・・・考えるのは、自由なんですけど(^_^;)。

少し冷静に考えてみると、昨日、A先生がヒントを与えてくれたことには、ほんとうに感謝です。アレがなければ、わたしはチャレンジコースはやらなかったと思いますし、83本泳げても、これほどの達成感を味わえなかったと思うから。

夜の打ち上げは、わたしにとっては、学生時代に戻ったかのようなにぎやかな会でした。新入りのわたしは、ここでみんなの名前と顔を一致させようと必死でした。でも、かなしいかな、多対1。初めて会うおばさまに、「うわさはきいてるわよ~。お菓子作るの上手なんだって?」と言われ、なんでそんな話をわたしの知らない方がご存知なのか、ちょっと恐ろしくなりました。エラいところに入ってしまったかもしれない・・・・・・。2次会では、とても気分がのったおばさまがひとりいらして、独演会のようでした。ああいう方がひとりいれば、会は盛り上がりますね。面白かったのは、ずっとずっとずっとしゃべり続けていらっしゃりながら、口調がかわることで、特に巻き舌で話すときは、迫力がありました。わたしは普段、しずかにゆっくりと、穏やかに話したり、話されたりするのが好きですが、ときに、何年かに一度のココゾというときには、啖呵を切ることもあります。でも、このおばさまには、絶対に勝てそうにない(^_^;)。ここでは熱心にわたしの生年月日を聴く人がいて、閉口しました。別に歳を隠すつもりはぜんぜんないですし、彼らも興味本位で聴いてくるわけではなく、大会に出場するときのことを考えてのことなのですが、わたしには大会にでるつもりが全くないので、答えませんでした。いずれそういう気持ちになることがあるかもしれませんが、いまは、しずかに泳ぐことを楽しみたいのです。

日にちの変わる頃から始まった3次会は、先生お2人と、大会中「大丈夫?」と声をかけてくれたYさんとの4人でした。2次会までとはうって変わって、穏やかな会話で、わたしは楽しかった。でも、先生お2人には、とても疲れさせてしまって、申し訳なかったです。

何だか「プロジェクトX」並みのタイトルをつけてしまって恐縮ですが、わたしにとっては、一歩進んだ気分。結局、X=100で結べた記念すべきいちにちとなりました。わたしを支えてくれたマスターズの人たち、A先生、F先生には、ほんとうに感謝です。