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義叔母にとってこの世は「夢」だったのか2007年09月04日 23時36分01秒

休日出勤に休日出張が続いたわたしは、今日は平日だけど代休で家にいました。

お昼前に郵便受けをのぞいたら、見覚えのある叔父の字で葉書が届いていました。イヤな予感が的中。ひと月ほど前に、義叔母の亡くなったことを伝えるものでした。この叔父は、わたしを幼い頃からかわいがり、3人いる叔父のなかで、いちばん親しんでいる叔父です。別に仲の悪い親戚でもなんでもないのに、国文学者である彼は、とても変わり者だから、病気の義叔母にもしものことがあったら、きっと親戚には知らせず、彼の家族だけで義叔母を見送ってしまうんじゃないかという予想はしていました。

叔父の葉書には、義叔母は家族に見守られ眠るように入寂したこと、今後一切のセレモニーの予定のないこと、香料供花また来宅の心配無用とのことがありました。そして、義叔母と出会ったすべての人への感謝と、義叔母に出会ったことを嬉んでほしいこと、それぞれがそれぞれのやり方で、義叔母に「サヨナラ」をしてほしいとありました。また、夫である叔父は、義叔母と次の世も一緒に暮らす約束をしており、待ち合わせ場所も決めてあるから安心してほしいとありました。

わたしは義叔母にとても思い入れがあって、3人いる義叔母のなかで、いちばん好きな義叔母でした。「義」とつけるのが申し訳ないくらい。けれど、今日のわたしは冷静でした。この葉書を読んで、わたしは取り乱しもせず、すでにこういう日が来てしまっていたのだ、わたしをかわいがってくれた「れいこおばちゃん」にはもう会えないのだと、しずかに考えました。まだ実感がわかないからか、あるいは、ささやかながら、わたしにやれるだけのことはやったという気持ちがあったからか、涙もでませんでした。しかし、心の中は乱れていました。

さすがに食欲もわかず、コーヒーを口に流し込んで、近所でない、ちょっと遠いスーパーに、自転車で出かけました。少し頭の中を整理したかったのです。

わたしはこういう日がくることを8,9年前に予想し、「サヨナラ」の準備みたいなことをしていました。それでも叔父のいう、それぞれのやり方で「サヨナラ」するという意味をぼんやり考えながら、自転車を走らせました。そのとき、ふと口について出てきた歌。それは、井上陽水の『少年時代』でした。義叔母が好きだった歌。わたしには歌詞がわからないところもあったけど、それはどうでもよかった。そしてその歌を歌っているとき、突然、次から次へと、涙がこぼれてきました。義叔母にはもう会えない悲しさと、別れのときを与えてくれなかった叔父に対するちょっとした怒りの入り混じった気持ちでした。これが、本当に心からするお別れの仕方なのかもしれない、けど、やはり知らせてほしかったと。今までこういうことはなかったけれど、今日は、往復とも道に迷って、ぜんぜんわからないところにでてしまいました。こんなことってあるんだと思いました。そして、帰り道、わたしの口をついてでてきたのは、どういうわけか、フォスターの『夢路より』という歌でした。

明日から、わたしが好きだった義叔母のことを、少しずつ書いてみようと思います。