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進化しないもの2006年08月23日 22時07分06秒

わたしには、特に仕事に関わりのない他人に対して、妙に鈍感なところがあって、それは自他ともに認めるところなのですが、今日もそれを実感した日でした。

4月に約16年ぶりくらいでプールに通いだしてから、いろいろな人と再会し、あるいは新たに知り合いました。その中に、はっきりとしたものではなかったけれど、この女性はどこかで記憶のなかにある顔の人だなぁという方がいました。もっとも、生後3ヶ月からこの地に住んでいるわけですから、話すほどの知り合いではないけれど、何となく顔は知っているという人はいるのですが。

今日は偶然、その女性と帰りが一緒になったのですが、スイミングスクールの斜向かいの家に帰って行った彼女を見て、わかりました。その家は、昔母が、よく買っていた酒屋さんの家なのでした。家とお店は別々なのですが、この近所の人なら、みんな知っています。わたしの両親は下戸なので、料理に使う以外のお酒を買うことはなかったようですが、昔はお醤油やソースといったものを御用聞きに来たご主人に頼んで、それを持ってきてもらうということがありました。そう、サザエさんに描かれている三河屋さんみたいな感覚だったのです。 その女性のご主人もプールに来ていると言っていたわ・・・・・・とぼんやり彼女の言葉を思い出していたら、また、「あっ!」というわけで、いつも挨拶する年配の男性を思い浮かべました。いままで深くは考えなかったけれど、なんとなく初めてみる顔ではないと思っていた男性が、酒屋さんの店主で、うちによく配達してくれたおじさんだったのでした。

仕事柄か、人の言動を深読みしすぎる嫌いのあるわたしなのですが、一方、必要がないと、全く考えないのだなと再認識。ちょっと話はズレますが、小学生の頃、西日暮里にある塾に電車で通っていて、塾の同じクラスの友達と、このスイミングスクールの友達が、同一人物だったということを、彼女と知り合って1年以上してから気づいたということがありましたが、こういうことは、「三つ子の魂百まで」なのだと思いました。因みに、いまだに「まるちゃん」とわたしが呼んでいる彼女には言われます、「あなたには、塾の教室で『まるちゃんて、スイミングにも来てる?』って、聞かれて、驚いたわ。」って。

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