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姪っ子1号へ続く2008年02月03日 23時59分59秒

太巻き作り
姪っ子1号の話続きで恐縮ですが・・・・・・。

毎年、節分の日は、姪っ子1号に、わたしの家の豆まきをしてね、と頼んでいます。大人がやると、恥ずかしくて大声で「鬼は外、福はうち」って叫べない。けれど、子どもは与えられた任務を張り切って遂行してくれますものね。

そして節分の日は、うちは太巻き寿司と決まっていて、作ります。太巻きは、なぜか、妹でなくわたしの役目と決まっていて、わたしが。本当のことを言うと、今年はそんなことをする心境でもなく、かといって買って食べる気もしないので、やめようと思っていたのですが、1号に促されました。いつのころからか、彼女は、わたしと太巻きを巻くのをとても楽しみにしています。

そういうわけで、昨晩から干し椎茸をお水に入れて戻しておき、今朝になって椎茸の甘辛煮を作りました。かんぴょうも煮ました。あとは、みつばを湯通しして、きゅうり、紅しょうが、さくらでんぶ、本来は伊達巻のところを今年は入船の伊達巻を手に入れられなかったので、卵焼きを焼きました。そうして、事前に何だかんだ考えていても、毎年やることを今年もやることになりました。

というわけで、今日の写真は、毎年姪っ子1号が、「おばさまと作る!」といって、必ず一緒に作る太巻きを作っているところ。手前がわたしの。右向こうが1号。その隣で手をだしているのが妹。自慢します。実はわたし、太巻き巻くの、うまいんです。これは、母方の今は亡き祖母からの直伝で、節分のとき、祖母のとなりにくっ付いて、小さいときから、つい最近祖母が元気だったころまで、手伝って(ん?じゃまして)いました。そして、「上手に作れるようになれた。」と免許皆伝を賜っているのです。時代は変わっても続いていくのですね。たぶん、祖母から受け継いだわたしの技を受け継ぐのは姪っ子1号なのだと思います。続くというのは、こういうことでもあるんですね。

それと、もうひとつ。この太巻きで、嬉しいこともありました。椎茸の甘辛煮ですが、わたしには、これには思い出があります。まだ4,5歳でほんとうに幼かったころのわたしが、ある日、テーブルの上に置かれた小さな鍋に、椎茸の甘辛煮を冷ましているのを見つけました。その美味しそうな匂いに、母に「ママ、これ食べていい?」って聴いて、美味しくてとまらずに、結局、お鍋だけ残して、すべて平らげてしまいました。その甘さ、辛さ加減のおいしかったこと・・・・・・。そのときのお鍋も覚えてる。(今でも使ってます。)今考えれば、母は、たぶん太巻き寿司に使うつもりだったでしょうから、困ったでしょうに、そういうことを一切何も言わない人でした。それから、わたしは椎茸のとりこになって、今でも大好き。これは、あの時、「お鍋だけ残しておけばいいわよ。」ってやさしく言ってくれた母のお陰です。そして、・・・・・・あの甘辛煮ですが・・・・・・きちんと教わる前に、母は突然亡くなってしまったものだから、いつもいつも、母の味にならなくて、作るたびに残念でした。頼りはわたしの『舌』だけ。そして今日、母の味の椎茸甘辛煮になりました。母は褒めてくれるかしら。

そういうわけで、お鍋から食べた幼い日を懐かしみつつ、太巻き寿司作りのときは、ちょっとお行儀悪いけれど、お鍋に具を入れたまま、そこから取り出して、作ります。