現在の閲覧者数:

ビリーヴ2008年02月02日 23時59分59秒

 「おばさまも、絶対来てね。」
こう言われているうちは、絶対チャンスをのがすものかと、姪っ子1号の学校参観に行ってきました。1~5時間目までのいちにち中、どの時間を観てもよい参観です。

 算数、国語、そして音楽の授業を参観。音楽の授業のとき、3曲のうち、どの曲を歌うか、担任が生徒に挙手させました。ビリーブを歌いたいという子が多い反目、他の歌より、うる覚えな子がいて、担任はビリーヴは止めようと言ったのです。が、こういうとき、さほど自己主張をする1号ではないのですが、今日はどうしてもビリーヴを歌いたい組になっていました。そうしたら、この女性担任は
「ビリーヴってどういう意味か知ってるの?」と、半ばバカにしたような言い方で生徒に質問。

あ~あ、わたし、この担任、ハッキリ言ってキライなんです。本採用になって1年目の女性。真面目で、たぶんお勉強もいっぱいしてきて、おとなしい感じで。でも、そう思ったのははじめのうちで、妙にヘンな自信があって、謙虚さのないことに気付きました。まったく笑顔もない。この先生、ヘンだと言い出したのは、わたしが最初。もちろん子どもには言っていないけど。そんなことより、苦手なピアノを練習して、子どもの歌の伴奏を、テープじゃなく先生が弾いてよと言いたかったです。テープで歌うんじゃ、カラオケとかわらないじゃない。

ま、それはさておき、結局ビリーヴを歌うことになったとき、姪っ子1号は、一瞬、クルッとわたの方を向き、「おばさまが好きな歌だから・・・・・・。」と言いました。

ハッとしました。彼女を車にのせて運転しながら、ビリーヴを聴いていたことがあって、そのときわたしは、「この歌好きなの。」と、いちどだけ彼女に言ったことがあります。それを覚えていてくれたのでした。おそらく、このところ、元気のないわたしを、幼いながらも、肌で感じていた彼女が、今日はこれをわたしに聴かせたかったのだと思いました。

ビリーヴの2番の始めの詩が特に好き。

“ もしも誰かが君のそばで 泣き出しそうになったときは
黙って腕をとりながら 一緒に歩いてくれるよね ”

これは、そうするほうであっても、されるほうであっても、かくありたいと思います。つらい思いをしている人には、せめて心だけでも寄り添っていたいし、つらい思いをしているときは、具体的な何かではなく、心を寄り添っていてもらいたい。肉親のわたしが言うことではないかもしれません。でも、ちょっとだけ。確たるポリシーがあったわけではないかもしれませんが、1号はまさに、わたしにそうしてくれていたのではないかと思いました。

と同時に、何かを主張する人には、その背景に、もしかしたら深い思い・理由があるかもしれないということを、頭の片隅に置いておくことができる者でありたいと思い、まさに大人のわたしが教えられた参観になりました。

それと・・・・・・子どもは宝、天使、何といっても、言い尽くせない。わたしも今日ほど、早く自分の子が欲しいと思った日はありませんでした。

姪っ子1号へ続く2008年02月03日 23時59分59秒

太巻き作り
姪っ子1号の話続きで恐縮ですが・・・・・・。

毎年、節分の日は、姪っ子1号に、わたしの家の豆まきをしてね、と頼んでいます。大人がやると、恥ずかしくて大声で「鬼は外、福はうち」って叫べない。けれど、子どもは与えられた任務を張り切って遂行してくれますものね。

そして節分の日は、うちは太巻き寿司と決まっていて、作ります。太巻きは、なぜか、妹でなくわたしの役目と決まっていて、わたしが。本当のことを言うと、今年はそんなことをする心境でもなく、かといって買って食べる気もしないので、やめようと思っていたのですが、1号に促されました。いつのころからか、彼女は、わたしと太巻きを巻くのをとても楽しみにしています。

そういうわけで、昨晩から干し椎茸をお水に入れて戻しておき、今朝になって椎茸の甘辛煮を作りました。かんぴょうも煮ました。あとは、みつばを湯通しして、きゅうり、紅しょうが、さくらでんぶ、本来は伊達巻のところを今年は入船の伊達巻を手に入れられなかったので、卵焼きを焼きました。そうして、事前に何だかんだ考えていても、毎年やることを今年もやることになりました。

というわけで、今日の写真は、毎年姪っ子1号が、「おばさまと作る!」といって、必ず一緒に作る太巻きを作っているところ。手前がわたしの。右向こうが1号。その隣で手をだしているのが妹。自慢します。実はわたし、太巻き巻くの、うまいんです。これは、母方の今は亡き祖母からの直伝で、節分のとき、祖母のとなりにくっ付いて、小さいときから、つい最近祖母が元気だったころまで、手伝って(ん?じゃまして)いました。そして、「上手に作れるようになれた。」と免許皆伝を賜っているのです。時代は変わっても続いていくのですね。たぶん、祖母から受け継いだわたしの技を受け継ぐのは姪っ子1号なのだと思います。続くというのは、こういうことでもあるんですね。

それと、もうひとつ。この太巻きで、嬉しいこともありました。椎茸の甘辛煮ですが、わたしには、これには思い出があります。まだ4,5歳でほんとうに幼かったころのわたしが、ある日、テーブルの上に置かれた小さな鍋に、椎茸の甘辛煮を冷ましているのを見つけました。その美味しそうな匂いに、母に「ママ、これ食べていい?」って聴いて、美味しくてとまらずに、結局、お鍋だけ残して、すべて平らげてしまいました。その甘さ、辛さ加減のおいしかったこと・・・・・・。そのときのお鍋も覚えてる。(今でも使ってます。)今考えれば、母は、たぶん太巻き寿司に使うつもりだったでしょうから、困ったでしょうに、そういうことを一切何も言わない人でした。それから、わたしは椎茸のとりこになって、今でも大好き。これは、あの時、「お鍋だけ残しておけばいいわよ。」ってやさしく言ってくれた母のお陰です。そして、・・・・・・あの甘辛煮ですが・・・・・・きちんと教わる前に、母は突然亡くなってしまったものだから、いつもいつも、母の味にならなくて、作るたびに残念でした。頼りはわたしの『舌』だけ。そして今日、母の味の椎茸甘辛煮になりました。母は褒めてくれるかしら。

そういうわけで、お鍋から食べた幼い日を懐かしみつつ、太巻き寿司作りのときは、ちょっとお行儀悪いけれど、お鍋に具を入れたまま、そこから取り出して、作ります。

ダブル試験2008年02月04日 23時59分59秒

雪(泥?)だるま
写真は、昨日降った雪で作った雪だるま。結局積もるといっても、東京に降る雪の量なんてたかが知れたもので、姪っ子1,2号とかまくらを作ろうと庭に出たのですが、どうしても土をむき出してしまうので、かまくらはおろか、こんなマーブル模様の小さな雪だるましかできませんでした。それでも、小石で目鼻をつくり、葉っぱで口を作って、手はと草。最後に、寒い中、ちょっとだけ咲いていた侘び助を飾りました。写真もうまく撮れてなくて、ご覧いただいている方には恐縮です。

雪は上がったものの、道は凍りついている今朝、わたしはある試験の2次試験に臨むべく、家を出ました。ちょっとした試験をまったく別々に2つ受けていて、1次試験のそれぞれ論文テストと教養テストが、ふたつともまぐれにも合格し、なんと2次試験が同じ日の今日に重なっていました。ただ、ラッキーなのは、午前と午後になっていて、移動時間も充分あったことでした。

この齢になって、たぶん人よりたくさん試験を受けているわたしですが、やっぱり緊張しますね。朝はあまり食欲もわきませんでした。熱があったて、食欲あるのに。それで、いつものように、愛車の自転車で、出発。

母の事故現場である大きな国道の交差点を渡り、頑張ってくるわよと母に心の中で言って、一つ目の信号を左に行くいつもの道を入ったのですが、なんと、そこで、ツルツルの氷の上をすべり、自転車ごと、横転してしまいました。左肩・腰・すべて打ってしまいました。まったく!試験の日に滑るなんて!いくら縁起をかつがないわたしでも、気分悪い。早く立たなければと焦る一方で、向こうから黒の大きなセダン、いかにもソノ筋の車がやってきました。ぼやぼやしていると轢かれそうな勢いで、それでも立てなくていると、車が止まって、窓が開きました。『ヤバイナー、なんか言われそう・・・・・・。』と思っていたら、やっぱりそのスジっぽいサングラスをしたオジサンの顔が出て、
サングラスのオジサン:「おーい、ねーちゃん、だいじょうぶかー?」
わたし          「???ええ、大丈夫です。」と起き上がりながら。
サングラスのオジサン:「道は凍ってるからな、日のあたってる、溶けてる道を行きなよ。細い道は、自転車は押していったほうがいいよ。」
わたし          「はい。ご親切にありがとうございます。」  

人は見かけによらないです。オジサン、わたしを「ねーちゃん」て言った。「オバサン」て言わないで。うふふ、何だかそれが嬉しかった。その他、その場に居合わせた3人のおじさまたちに(なぜかおじさんばっかりいた)、大丈夫か?気をつけて行きなさい、だの声をかけられて、その後も、つるつる滑りながら、駅へたどり着きました。

肝心な試験は、遅れもせず、滞りなく。面接では、「あなた、ほんとうに素晴らしい生き方をしてきたのね。」と褒めてもらったけれど、わたしには、何がそうなのか、わからない。これは謙遜でも何でもなく、本当に。しかし、いちにちに2度の試験は、疲れますね。今日は、体調もいちばん悪かったせいか、終わった夕方には、ヘトヘト・ボロボロになっていて、それこそ、駅のベンチで横になりたい感じでした。おまけに、朝転んだとき、軽い脳シントを起こたようで、一日中頭痛に悩まされました。這うように家にたどり着きました。

今からずっと前のこと、思いだしました。大学浪人して、もう、アトがないという切羽つまった状況で迎えた調度いまの季節のころ、わたしは、大学受験の願書を出しに行こうと家を出たとき、前日から降った雪が固まって凍ったところで、滑って転びました。見送ってくれた母が、笑顔で、「あーら、ここで滑ったから、もう、スベらないわよ。大丈夫!」と機転を利かせて言ってくれたっけ。アレには本当に救われた。わたしも、そういう心の余裕を持てる母のようになりたいな。
その時の結果? それはね、その時、持っていた願書の大学が、わたしの母校です。

これを書いているいまごろになって、あのサングラスのオジサンの口を借りて、母がわたしに頑張れって言ったのかしら・・・・・・と考えるのも面白いなと思っています。

ちょっと疲れた2008年02月05日 21時05分43秒

父の著書
 昨晩は仕事で午前様だったので、午前中はベットで寝ていました。いろいろ考えごともあって、ぐっすりは眠れなかったのだけど。午後から活動。 

今日は仕事で新宿に行ったのですが、ちょっとアテがあって紀伊國屋に寄りました。父の本があるかなぁと。父は、学者ではないのですが、30歳代のころに本を書いたのが最初で、今に至るまで、10数冊の専門の著書があります。わたしにもよくわからないのだけれど、工学とか応用力学とか、何だかそんな分野です。もちろん、ベストセラーになったことはないですよ。

 先日、山海堂という出版社が閉鎖したのですが、そこからも数冊出版していました。その本、ないかなぁと。うちにも著者用に出版社から送られてきたものがありますが、それももう、在庫が尽き、人に差し上げるときも、最近は買っていました。出版社が止めてしまったとなれば、入手困難で、それこそ、アマゾンでも、プレミアつきで買わなければならないのです。まあ、わたしから言わせれば、そんなつまらない本を、定価より高くは買いたくないので、あったら買おうという感じで。

 1冊、棚にありました。(↑写真)売れる本じゃないから、ほっといたって大丈夫なのだけど、一応、確保。レジで、親切なおねえさんの店員さんが、言ってくれました。

 おねえさん「この本、背表紙がちょっとだけですが切れていますが、今お調べしたら、新宿西店に同じ本があります。お取替えしましょうか?」って。
わたしは、それには及ばないということと、その在庫も確保してもらえるように頼みました。そして、軽く事情を話すと、それではと、全国の紀伊國屋の在庫を調べてくれ、結局、北は札幌、南は博多から、父の本を全部、この本店に集めてくれることになりました。かなりな冊数でしたが、おねえさんの親切にはとても感謝です。

 別に、ベストセラーでもなんでもない、ただのつまらない専門書なのですが、こうした本を書いているときの父の姿を思い起こすと、わたしにとってもいとおしい本です。1冊の本を書くには、ものすごい量の本を読み、勉強し、新しい論文にも目を通して、間違いのないように神経を使っていました。出版して数年たち、地方都市の本屋さんにあったということは、そろそろうちに戻ってもいいよということ、と解釈しました。うちに戻れば、また、活躍の機会があります。ちなみに、この本の著者近影も、わたしが撮りました。漱石じゃないけれど、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしている父を微笑させるのに、苦労しました。

 今週末は基礎水泳指導員試験があります。もう、ひと月半以上、まともに泳いでいないわたし。もう、どうでもいいという気になっています。いま、とにかく仕事に打ち込むことだけ。もう、どうでもいい。それより、このごろよく、母のことを思い出します。会いたい。生前、あれだけよく話し尽くした母でしたが、それでも、まだ、会って話がしたい。今のわたしを、母はどういうふうに思っているのか知りたいなと。ふとそんなことを。

 「疲れた」は、仕事でも私事でもタブー。なるべく使わないように心がけていますが、ここだから、本当のことを言います。もう、ほんとに精魂尽き果てました。人を愛するということに、こんなにエネルギーを使うなんて初めて。ボロボロです。

再検定で、ふと2008年02月09日 21時17分47秒

 今日は、基礎水泳指導員検定試験でした。昨秋、日本泳法の横泳ぎだけ残してしまった試験。あの頃は、一生懸命だったのに、昨暮から、いろいろなことをきっかけにどうしても意欲的になれなくなってしまったわたしは、このひと月半の間、ほとんど泳ぐことをせず、今日を迎えてしまいました。先日の検定試験申し込み時に、その時の講習会仲間にも偶然会って、泳いでないと言ったら、『とにかくプールへ行って泳ぎな。』といわれたのに。水着まで着たのに、結局やめてしまった日も一度ならずありました。

  朝9時から、千駄ヶ谷の東京体育館にある、短水路のプール。約4ヶ月ぶりでした。東京都水泳協会の講師の先生方は、あまり好きになれませんでしたが、ただおひとりだけ、わたしを励まし続けてくださったO先生がいらして、わたしを覚えていてくださり、今日、アップで泳いだとき、声をかけてくださいました。
『○○さん、絶対できるから!絶対。頑張るのよ。』
こんなに練習もせず、ここに現れて・・・・・・わたしはこの先生も裏切ってる。

 自分のせいかもしれない、あるいは、人のせいかもしれない、いづれにしても、わたしはヤル気をなくそうとしたわけじゃないのに、どうしてもヤル気になれなくて、ひと月以上、ロクな練習もせず、このプールにいました。アップはクロール75メートル、横泳ぎ20メートルを2回。それも仲間に促されたから泳いだわけで、それだけやったら、もういい、という気分になって、プールからあがってしまいました。検定試験に臨んで、こんな人間は、わたしひとりでした。いつもの自分に戻れないことも確かなのだけど、ココに来て、どう考えてもダメ人間のわたし。

 検定は、横泳ぎ再検定の3回目に泳ぎました。そんな投げやりとも思える気持ちのなかでも、体が引き締まり、顔がおそらく真剣になっているのがわかりました。泳ぐからには、きちんと泳ぐ、そう思って、仰向きの姿勢でスタートを待ちました。人によく言われるように、きっとおっかない顔してるんだろうな、わたし。最初の2あおり目まで、バランスをくずしました。あとは、たぶんうまくいったと思います。結局20メートルを10あおりで泳ぎました。最初のバランスくずしを、どう評価されるかが、合否の分かれ目のように思います。10時前には終わっていました。もう、どうでもいいという気分でした。

 あがって、更衣室で着替えているとき、今日、検定で着ていたわたしの一番好きな、ワインレッドの勝負水着(人に見せるという意味ではなく、文字通りの『勝負』水着だった)が、ちょうどおなかのところが薄くなっているのに気付きました。それを見た瞬間、『もういい。もう、水泳はいい。もう、頑張れない。』と思いました。泳ぐことと、それに付随するすべてのことによって、癒され、元気を取り戻していたはずが、いつのまにか、苦痛になっている、そう思ったとき、もう、引き時なのだと思いました。

********************************************************************

 わたしという人間に、もし、スイッチがあるとすれば、それはONとOFFなのではなく、『強』とOFFなのだと思います。水泳について言えば、これまで出た、数少ない大会でもそうでした。自分の出番までは、OFF。でも、それはヤル気がないのではないのです。そして、レースが近づいてある瞬間に急に『強』にスイッチが入る人間です。これは、自分でコントロールしているのではなく、わたしという人間がそういうペースなのです。仕事もプライベートでも同じ。スイミングクラブはホッとする場所だった。水中を泳いでいるとき以外は、わたしのスイッチはOFFでした。ボワ~んとなっちゃってた。仕事のとき、部下からコワいと思われているようで、その部下たちがプールにいるわたしを見たら、おそらく別人と思ったに違いない。ところがプールでは、イヤイヤ泳いでいるわけではないのに、誤解され、それが嫌でした。飛び込んで、真剣に泳いでいるときのわたしは、どうやら水泳仲間にはだれひとり理解されないままだったようでした。なんだか、そのことが、いまになってみると、いちばん残念です。それと、最も信頼していたプールの友人に、ある事について、『あなたが悪い。』と言われたことも、ずっと耳の奥に残っています。
プールでも、スイッチ『強』ですごさなければならなかったとしたら、それはわたしには、酷というもの。

********************************************************************

 終わって、どこにも寄らず、今日は逃げるように家に帰りました。もう、フラフラでした。とても空腹でしたが、食べたら、全部戻してしましました。これは病気ではなく、緊張による疲れ。

 先日、月曜日にある試験の2次試験を2つ受験したと書きましたが、今日、そのひとつから、合格の通知がありました。わたしは、まだ通知の来ないほうが第一志望なので、そちらからの通知を待って、先のことを決めたいと思っています。

 水泳をやめてしまおうと思っても、なんだか、すっきりせず、とても重い気持ちです。これでいいんだろうか、やめて、これから先、ちゃんとやっていけるんだろうか。さっき、那須にいる友人が、たまたま電話をくれたので、ちょっと話しました。『明日、おいで。』と言ってくれたけど、東京はさっきから雪が降ってる。栃木の那須も降っているようで、うまく東京を抜けたとしても、あちらの雪道を運転する技量も意欲もないわたしは、明日たぶん行かれないと思い、それもなんだかちょっと残念。こんな雪の美しい晩に、彼からわたしを気遣う電話もメールもなく、いま、本当に孤独を感じ、胸が押しつぶされそうな思いです。

1年前の日を思う2008年02月10日 23時59分59秒

 結局、那須に行くのは諦めたのだけど、朝起きてみたら、既に雪?雨?はあがっていて、たいした降りではなかったようでした。気付いたのが明け方だったら、充分行けたかもしれないけれど、那須インターを降りてからの、あの那須街道が凍っていることを思うと、やっぱり無理だったかも・・・・・・などと、とりとめもないことを考えていました。こういう日は、ダメな一日になると決まってる。

 那須の友人が、昨晩に続き、電話をくれました。悪いので、わたしからかけ直しました。ふと、彼女に会いたくなったとき、あるいは、ちょっとさみしくなったとき、わたしは、蒔きが燃える、タイムスリップしたようなあの暖かい居間で、ぼんやり話をしたり、友人の話を聴いていたいときがあります。その家まで、うちから片道約180キロ。車を運転するのが好きでないわたしにとっては、途方もない距離なのですが、それをおしても、あの居心地のいい部屋にいたいときもあって、2,3時間いて、帰ってくることもあります。自身の家族をもたないわたしにとって、友人との時間は、大切なもの。いつまでもこれでは、しょうがないんだけれども。今日は、いつもなら、那須の空気のなかで聴く彼女の話を、受話器の向こうに聴き、それでも充分あたたまって、電話を切りました。

 今日で、とてもうれしいと感じたことがあって1年。自制しなければとか、感じるままにいこうとか、ふっきろうとか、やっぱりそれはできないとか、絶望のどん底に突き落とされたりとか・・・・・・いま、わたしの行く道について、どうしたらよいのか、わからないままでいます。

それでも食欲のある怪2008年02月11日 20時56分02秒

 以前はそんな事はなかったと思うのだけど、大人になって、何かにつけて、人前でも我慢できなくて泣いてしまうわたし・・・・・・。いい歳をして、みっともないからやめようと思うのだけど、どうしてもできないときもあって。それでも、もう、人前で泣くのはやめようと決心しました。

 でも、泣きたいことも、泣きたいときもあって、ゆうべは、ひとりで一晩中、泣きました。後から冷静になって考えてみたら、悲しいとき、ひとりなら思う存分泣ける。悲しいときは、ひとりでいいと思いました。楽しいときに一緒に笑ってくれる人がいれば、それでいい。そういう人がいれば。

 昨日、うれしいと感じることがあって1年経ったと書きましたが、今日は、もっと嬉しいと思うことがあって1年たったのでした。もう、それを封印するべき?それとも、感情に任せるべき?あるいは、淡々と過ごすべき?本当に水泳をやめるの、わたし?やめて、どうするつもり?自分のスタンスをもてないまま、時間だけがすぎてしまいそうで、ヘンな焦燥感めいたものも感じています。自分では、もう、どうにもできないところまできているような気もする。誰か助けてほしい。
でも、でも、でも、自分のことは、自分でキメなければ!

風に負ける2008年02月12日 23時19分56秒

 連休が終わり、やっと仕事に戻れたという感じでした。お休みはキライ。苦手。

 午後から福島出張。東北新幹線の出張は久しぶりです。弟が住んでいたこともあり、懐かしい福島。今日は仕事でよかった。

 そういうわけで、今、帰りました。これからまた、仕事にでかけようと思ったけれど、ひどい強風と、一番苦手な寒さに怯み、やめることにしました。まだ、週は始まったばかりなので、少し、肩のちからを抜いて、今週の課題をこなそうと思っています。

運転できないのを口実に2008年02月13日 23時59分59秒

今日の白ワイン(サンセール)
 今日は、お料理教室の日なので、10時半に神楽坂に行くまでの間に、オフィスでひと仕事。朝早い出勤は、電車も空いているし、余計なことをしないで、いきなり仕事に入れるという良い面がある一方、とにかくオフィスが寒い。寒さの苦手なわたしは、ちょっと困るとき。

 10時ごろに神楽坂の教室へ。毎月決まった日に通うことは困難なので、年4回のコースに通いだして、3年余りが過ぎました。何だか、ずっと新参者のつもりでいたけれど、いつのまにか、先生にも、わたしが一番好きな呼ばれ方であるファーストネームで呼んでいただけるようになり、新しい方も増えて、中堅生徒?になりました。

 このお教室には、いろいろな目的の人が来ています。お料理を真面目に勉強したい人、この時だけをほっとしに過ごしたい人、試食を主な目的とする人。わたしは、勉強したいのと、ほっとしたいのの間くらいでしょうか。お料理の作り方には、興味がありますが、わたしの料理というのは、ほとんどが自分のためにするものですから、自分のために、手の込んだものを作る気にはなれないものです、よほど面倒なことをチマチマとしたいと思うとき以外は。試食を主な目的とする人は、徹底しているようなところがあって、教室開始の10時半にはいらっしゃらず、試食タイムの12時近くになっていらっしゃる。こういう割り切り方も、潔くていいという気がします。

 わたしは、このお料理の先生が、本当に好き。合理的な料理、合理的な動き、合理的なものの考え方・・・・・・それでいて、あたたかい気持ちのある人。どれをとっても、わたしには欠けているものばかりです。

 今日の写真は、本日いただいた白ワイン。サンセールです。ワインの知識は、いつも言うように、系統だてたものも、そうでないものもありません。ただ好きというだけ。そのわたしの評なので、あまりアテになさらないように。このサンセールのワイン、口に含んだときは、『ふ~ん?』と、別段の感動もない程度だけど、美味しいそうな予感がありました。そして、後からくる、フルーティーな香りが強烈で、美味しく、印象に残るワイン。捜して買いたいというワインでした。

 こののち、お肉料理が、コッテリしたものだったため、赤ワインもいつもよりいただきすぎ、結構ホロ酔いで仕事に戻りました。夜、家に帰ってからも、『車の運転はできないから。』という理由で、プールに行かず。いったい、何日泳いでいないんだろう。でも、もう、いい。

先日受けた試験のうち、第一志望の方の結果がきました。最近は情報公開が浸透しているのか、あちらの責任逃れ(責任果たし)のためなのか、はっきりと数字がありました。70名中1名合格の試験に補欠(2番)とのこと。1人だけが合格なんて聞いていなかった。ヒドイよ、という感想。ま、それはさておき、わたしも、70人いて、1番にはなれない人間なのだと思うと、まあ、そんなところが適当なのかもと思いつつ、ちょっとがっかりでした。

一日の締めくくりは甘く2008年02月14日 23時59分59秒

夜は永遠に甘く
 昨夜、ベットに入って、うとうとしだしたときでした。急にみぞおちあたりが圧迫されるように痛み出しました。最初は胃痛かなと思っていたのですが、『あれれ?、これって、去年の8月に起こった狭心症モドキの発作かな?』という感じでした。しばらくは痛くて動けず、5分くらいじっとしていて、少しモノが考えられるようになって、そうだ、こういうとき、ニトロを試してみようと思い、自室にあるピルケースに入っていることを祈りながら、捜してみたら、ありました・・・・・・去年の夏、処方してもらったものが。

 一昨年の6月、わたしは、父の付き添いで大きな病院にいるとき、そして、まさに父が診察中に、狭心症に似た発作に襲われました。それまでの2年ほどの間、たまにあったのですが、心臓内科で診ていただき、いろいろ検査をしても、狭心症ではないと診断されていました。このときも、救急扱いでかかってみてもらい、結局、病名のつかないまま。そして、去年の夏に発作に襲われたときも、狭心症ではないとの診断。ただ、ドクターには聞いておきました。もし、また、こういう発作が起こったら、ニトロを試してもいいですかって。それで、今回、いい機会だから。

 痛い胸をかばいながら、ニトロを口に。モウロウとしながら、説明書を読むと、1~2分で効くとある。そして、3錠まで飲めると。5分たっても効きませんでした。3錠までは飲めたけど、寝る前に、片頭痛の予防薬を飲んでいたことを思い出し、止めました。ボーッとした頭で考えたのですが、なんだか、2つの薬は、作用としてバッティングするような気がして。で、やっぱりニトロは効かないという結論。今までもそうでしたが、やっぱり、狭心症じゃないのかな。起こる時間帯も違ってる。じゃ、何?ということになると、わからない。
 ただ、わたしが、もし、朝ベットの上で冷たくなっているのを発見されたときに、夜何が起こったか、ハッキリさせておくために、妹にメールだけしておきました。すぐ、電話があって、『救急車呼ぶ。』というので、それには及ばず、妹も来なくていいと伝え、彼女は納得しないまま、電話を切ったようで、まもなく、自室のドアが開き、妹が心配そうな顔で、やってきました。

 わたしも落ち着いていたので、妹は返しました。こういうとき、落ち着いているわたしに、妹はちょっと怒り気味になります。おねーちゃんは、いつも、自分のことを後回しにしてるとか、自分の命を軽くみてるとか。決してそんなことはないのですが、これも、既婚者からみたら、自身の家族のいない者の、のんきなところなのでしょう。今度は、自分のPCにメールすることにしよう。
 ただ、自分でも、ちょっと不安が残り、熟睡できないまま、朝に。今日は、父の病院の付き添いだったのですが、ものすごーく混む大学病院で、父を待たせるのは忍びないから、午後の診察なのですが、午前中、朝7時から受付してもらえるので、6時に車で家をでて、御茶ノ水までいき、受付だけして帰ってきました。午前中は、家仕事など。お昼前に、再び病院へ車で。午後の1番に診てもらえましたが、会計と投薬に時間がかかったので、やっぱり、朝早くに受付をしてよかったと思いました。
 
 ただ、投薬を待つ間、あまり近いとはいえなかったのですが、父と歩いて、三省堂本店へ。例の、父の著書探しをしてみました。1冊だけ本店にあり、買占め。事情を話したら、本屋さんの店員さんが、三省堂のすべての支店での在庫を捜してくれましたが、扱いはあったものの、全部売れてしまっていたとのことで、今日は1冊だけの確保となりました。まあ、売れて、誰かの技術のちょっとした手助けになっていれば、それがいちばんいい。

 さすがに、一日に車で御茶ノ水2往復は気持ちの上でも疲れました。帰りの車を運転するのはきつかったです。神田明神の天野屋で納豆を買い、帰途。渋滞していたから、事故を起こす可能性はわたしにとって低く、かえってよかったかも。

 今日はバレンタインデーということで、わたしも、作ってみました、チョコレートのお菓子。今日のは、実はとても簡単だけど、とびきり美味しいチョコレートムース。今日の香付けはダークラムでしました。グランマニエという人もいるけど、わたしは、やっぱりチョコレートには、そして、大人がふたりで楽しむにはラムのような気がします。バレンタインデーなので、お茶のセットも、恥ずかしいくらいブランド品です。ウエッジウッドの白ボウルにチョコレートムースを流し、紅茶セットは大好きなミントンのハドンホール。ティーマットもミントン。ティーゴゼはハロッズ。お茶こしは大好きな陶器製。スプーンは香蘭社。めちゃくちゃだけど、わたしの好きなものばかり集めてみました。本日の紅茶は、ルピシアの5537クッキーというフレーバードティー。焼きたてのキャラメルクッキーをイメージした甘い香りに、バローナのチョコを使ったチョコレートムースと、もう、わたしのバレンタインは永遠にあまいの。
向こう側にいる人は誰かって? それはひみつ。たまには、こんな晩も。『おかわり。』と言われて、それがどんなに嬉しかったことか。