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1年前の日を思う ― 2008年02月10日 23時59分59秒
結局、那須に行くのは諦めたのだけど、朝起きてみたら、既に雪?雨?はあがっていて、たいした降りではなかったようでした。気付いたのが明け方だったら、充分行けたかもしれないけれど、那須インターを降りてからの、あの那須街道が凍っていることを思うと、やっぱり無理だったかも・・・・・・などと、とりとめもないことを考えていました。こういう日は、ダメな一日になると決まってる。
那須の友人が、昨晩に続き、電話をくれました。悪いので、わたしからかけ直しました。ふと、彼女に会いたくなったとき、あるいは、ちょっとさみしくなったとき、わたしは、蒔きが燃える、タイムスリップしたようなあの暖かい居間で、ぼんやり話をしたり、友人の話を聴いていたいときがあります。その家まで、うちから片道約180キロ。車を運転するのが好きでないわたしにとっては、途方もない距離なのですが、それをおしても、あの居心地のいい部屋にいたいときもあって、2,3時間いて、帰ってくることもあります。自身の家族をもたないわたしにとって、友人との時間は、大切なもの。いつまでもこれでは、しょうがないんだけれども。今日は、いつもなら、那須の空気のなかで聴く彼女の話を、受話器の向こうに聴き、それでも充分あたたまって、電話を切りました。
今日で、とてもうれしいと感じたことがあって1年。自制しなければとか、感じるままにいこうとか、ふっきろうとか、やっぱりそれはできないとか、絶望のどん底に突き落とされたりとか・・・・・・いま、わたしの行く道について、どうしたらよいのか、わからないままでいます。
那須の友人が、昨晩に続き、電話をくれました。悪いので、わたしからかけ直しました。ふと、彼女に会いたくなったとき、あるいは、ちょっとさみしくなったとき、わたしは、蒔きが燃える、タイムスリップしたようなあの暖かい居間で、ぼんやり話をしたり、友人の話を聴いていたいときがあります。その家まで、うちから片道約180キロ。車を運転するのが好きでないわたしにとっては、途方もない距離なのですが、それをおしても、あの居心地のいい部屋にいたいときもあって、2,3時間いて、帰ってくることもあります。自身の家族をもたないわたしにとって、友人との時間は、大切なもの。いつまでもこれでは、しょうがないんだけれども。今日は、いつもなら、那須の空気のなかで聴く彼女の話を、受話器の向こうに聴き、それでも充分あたたまって、電話を切りました。
今日で、とてもうれしいと感じたことがあって1年。自制しなければとか、感じるままにいこうとか、ふっきろうとか、やっぱりそれはできないとか、絶望のどん底に突き落とされたりとか・・・・・・いま、わたしの行く道について、どうしたらよいのか、わからないままでいます。
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