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覚悟を決める2008年03月09日 22時56分37秒

 毎年のことですが、花粉症の症状が次第に出始めて、昨晩は1時過ぎにベットに入ってひと眠りしたものの、鼻呼吸ができず、3時に目覚めたまま眠れず、1時間ほどベットをあっちにいったり、こっちに行ったり。ついに諦め、4時前に居間に下りていき、新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりすること1時間。寒くて再びベットに戻りました。ウトウトしたら地震。しかし、父の構造設計した家に住み、こればかりは信じているわたしは、よほどの地震でない限り、起きないことにしていて、じっとして再びウトウト。7時ちょっと前に起きました。

 女というものは、ときに、自身のことについてはもちろん、そうでないことについて、重大な決定を迫られるときがあって、ここ2,3日は、わたしにとってまさにそういう日々でした。自身の考え方に強さあり、葛藤あり、弱さもあって、まさに女という生き物がむき出しになる、そういう感じでした。わたしの今までしてきたことすべて、(たぶん、こういうときに、勉強してきたすべてが活かされるのだと思うけど)を頭のなかで総動員して、考え抜きました。わたしの出した結論が、最善かどうかはわからない。未知のものに対するコワさもある。けれど、最善であることを願い、決めた以上は、それに向かって、もてるすべての力を出して、最善を尽くすのみです。

半年ちかくの約束実現2008年02月20日 23時59分59秒

本日のワイン
 前から飲みに行こうと約束していながら、なかなか実現できずに、半年ちかくたってしまった人と、今日はそれを実現してきました。

 湯島のSpazio*Caffe(スパッツイオ*カフェ)というレストランで。お店の名前や、出てきたお料理からするとイタリアンです。にもかかわらず、今日は、フランスのブルゴーニュのマコン・ブランというワイン(ブランはフランス語で白の意味です。)を選びました。前にお料理教室でいただいた記憶があって、間違えないと思ったので。

 話してみると、ますますその人の魅力がわかり、ちょっとうれしい晩でした。人は、その中に、本人が好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな背景を持って、その“人”を創りあげているもの。その中で、その人がどういうふうに生きてきたか、そこがまた、その人を魅力的に感じる要因なのでしょう。真夜中に帰って、少しするとメールがあり、「今、家に帰りました。また行きましょう!必ず。」と。こういうのは、相手も楽しんでくれた証拠。わたしもまた行きたいと思っていたところだったので、うれしかったです。そして、「また明日から、頑張りましょう。」って。わたしも、こういう晩をすごした後は、いつも思うことです。

 というわけで、写真は本日のワイン、マコン・ブラン

一日の締めくくりは甘く2008年02月14日 23時59分59秒

夜は永遠に甘く
 昨夜、ベットに入って、うとうとしだしたときでした。急にみぞおちあたりが圧迫されるように痛み出しました。最初は胃痛かなと思っていたのですが、『あれれ?、これって、去年の8月に起こった狭心症モドキの発作かな?』という感じでした。しばらくは痛くて動けず、5分くらいじっとしていて、少しモノが考えられるようになって、そうだ、こういうとき、ニトロを試してみようと思い、自室にあるピルケースに入っていることを祈りながら、捜してみたら、ありました・・・・・・去年の夏、処方してもらったものが。

 一昨年の6月、わたしは、父の付き添いで大きな病院にいるとき、そして、まさに父が診察中に、狭心症に似た発作に襲われました。それまでの2年ほどの間、たまにあったのですが、心臓内科で診ていただき、いろいろ検査をしても、狭心症ではないと診断されていました。このときも、救急扱いでかかってみてもらい、結局、病名のつかないまま。そして、去年の夏に発作に襲われたときも、狭心症ではないとの診断。ただ、ドクターには聞いておきました。もし、また、こういう発作が起こったら、ニトロを試してもいいですかって。それで、今回、いい機会だから。

 痛い胸をかばいながら、ニトロを口に。モウロウとしながら、説明書を読むと、1~2分で効くとある。そして、3錠まで飲めると。5分たっても効きませんでした。3錠までは飲めたけど、寝る前に、片頭痛の予防薬を飲んでいたことを思い出し、止めました。ボーッとした頭で考えたのですが、なんだか、2つの薬は、作用としてバッティングするような気がして。で、やっぱりニトロは効かないという結論。今までもそうでしたが、やっぱり、狭心症じゃないのかな。起こる時間帯も違ってる。じゃ、何?ということになると、わからない。
 ただ、わたしが、もし、朝ベットの上で冷たくなっているのを発見されたときに、夜何が起こったか、ハッキリさせておくために、妹にメールだけしておきました。すぐ、電話があって、『救急車呼ぶ。』というので、それには及ばず、妹も来なくていいと伝え、彼女は納得しないまま、電話を切ったようで、まもなく、自室のドアが開き、妹が心配そうな顔で、やってきました。

 わたしも落ち着いていたので、妹は返しました。こういうとき、落ち着いているわたしに、妹はちょっと怒り気味になります。おねーちゃんは、いつも、自分のことを後回しにしてるとか、自分の命を軽くみてるとか。決してそんなことはないのですが、これも、既婚者からみたら、自身の家族のいない者の、のんきなところなのでしょう。今度は、自分のPCにメールすることにしよう。
 ただ、自分でも、ちょっと不安が残り、熟睡できないまま、朝に。今日は、父の病院の付き添いだったのですが、ものすごーく混む大学病院で、父を待たせるのは忍びないから、午後の診察なのですが、午前中、朝7時から受付してもらえるので、6時に車で家をでて、御茶ノ水までいき、受付だけして帰ってきました。午前中は、家仕事など。お昼前に、再び病院へ車で。午後の1番に診てもらえましたが、会計と投薬に時間がかかったので、やっぱり、朝早くに受付をしてよかったと思いました。
 
 ただ、投薬を待つ間、あまり近いとはいえなかったのですが、父と歩いて、三省堂本店へ。例の、父の著書探しをしてみました。1冊だけ本店にあり、買占め。事情を話したら、本屋さんの店員さんが、三省堂のすべての支店での在庫を捜してくれましたが、扱いはあったものの、全部売れてしまっていたとのことで、今日は1冊だけの確保となりました。まあ、売れて、誰かの技術のちょっとした手助けになっていれば、それがいちばんいい。

 さすがに、一日に車で御茶ノ水2往復は気持ちの上でも疲れました。帰りの車を運転するのはきつかったです。神田明神の天野屋で納豆を買い、帰途。渋滞していたから、事故を起こす可能性はわたしにとって低く、かえってよかったかも。

 今日はバレンタインデーということで、わたしも、作ってみました、チョコレートのお菓子。今日のは、実はとても簡単だけど、とびきり美味しいチョコレートムース。今日の香付けはダークラムでしました。グランマニエという人もいるけど、わたしは、やっぱりチョコレートには、そして、大人がふたりで楽しむにはラムのような気がします。バレンタインデーなので、お茶のセットも、恥ずかしいくらいブランド品です。ウエッジウッドの白ボウルにチョコレートムースを流し、紅茶セットは大好きなミントンのハドンホール。ティーマットもミントン。ティーゴゼはハロッズ。お茶こしは大好きな陶器製。スプーンは香蘭社。めちゃくちゃだけど、わたしの好きなものばかり集めてみました。本日の紅茶は、ルピシアの5537クッキーというフレーバードティー。焼きたてのキャラメルクッキーをイメージした甘い香りに、バローナのチョコを使ったチョコレートムースと、もう、わたしのバレンタインは永遠にあまいの。
向こう側にいる人は誰かって? それはひみつ。たまには、こんな晩も。『おかわり。』と言われて、それがどんなに嬉しかったことか。

それでも食欲のある怪2008年02月11日 20時56分02秒

 以前はそんな事はなかったと思うのだけど、大人になって、何かにつけて、人前でも我慢できなくて泣いてしまうわたし・・・・・・。いい歳をして、みっともないからやめようと思うのだけど、どうしてもできないときもあって。それでも、もう、人前で泣くのはやめようと決心しました。

 でも、泣きたいことも、泣きたいときもあって、ゆうべは、ひとりで一晩中、泣きました。後から冷静になって考えてみたら、悲しいとき、ひとりなら思う存分泣ける。悲しいときは、ひとりでいいと思いました。楽しいときに一緒に笑ってくれる人がいれば、それでいい。そういう人がいれば。

 昨日、うれしいと感じることがあって1年経ったと書きましたが、今日は、もっと嬉しいと思うことがあって1年たったのでした。もう、それを封印するべき?それとも、感情に任せるべき?あるいは、淡々と過ごすべき?本当に水泳をやめるの、わたし?やめて、どうするつもり?自分のスタンスをもてないまま、時間だけがすぎてしまいそうで、ヘンな焦燥感めいたものも感じています。自分では、もう、どうにもできないところまできているような気もする。誰か助けてほしい。
でも、でも、でも、自分のことは、自分でキメなければ!

1年前の日を思う2008年02月10日 23時59分59秒

 結局、那須に行くのは諦めたのだけど、朝起きてみたら、既に雪?雨?はあがっていて、たいした降りではなかったようでした。気付いたのが明け方だったら、充分行けたかもしれないけれど、那須インターを降りてからの、あの那須街道が凍っていることを思うと、やっぱり無理だったかも・・・・・・などと、とりとめもないことを考えていました。こういう日は、ダメな一日になると決まってる。

 那須の友人が、昨晩に続き、電話をくれました。悪いので、わたしからかけ直しました。ふと、彼女に会いたくなったとき、あるいは、ちょっとさみしくなったとき、わたしは、蒔きが燃える、タイムスリップしたようなあの暖かい居間で、ぼんやり話をしたり、友人の話を聴いていたいときがあります。その家まで、うちから片道約180キロ。車を運転するのが好きでないわたしにとっては、途方もない距離なのですが、それをおしても、あの居心地のいい部屋にいたいときもあって、2,3時間いて、帰ってくることもあります。自身の家族をもたないわたしにとって、友人との時間は、大切なもの。いつまでもこれでは、しょうがないんだけれども。今日は、いつもなら、那須の空気のなかで聴く彼女の話を、受話器の向こうに聴き、それでも充分あたたまって、電話を切りました。

 今日で、とてもうれしいと感じたことがあって1年。自制しなければとか、感じるままにいこうとか、ふっきろうとか、やっぱりそれはできないとか、絶望のどん底に突き落とされたりとか・・・・・・いま、わたしの行く道について、どうしたらよいのか、わからないままでいます。

ちょっと疲れた2008年02月05日 21時05分43秒

父の著書
 昨晩は仕事で午前様だったので、午前中はベットで寝ていました。いろいろ考えごともあって、ぐっすりは眠れなかったのだけど。午後から活動。 

今日は仕事で新宿に行ったのですが、ちょっとアテがあって紀伊國屋に寄りました。父の本があるかなぁと。父は、学者ではないのですが、30歳代のころに本を書いたのが最初で、今に至るまで、10数冊の専門の著書があります。わたしにもよくわからないのだけれど、工学とか応用力学とか、何だかそんな分野です。もちろん、ベストセラーになったことはないですよ。

 先日、山海堂という出版社が閉鎖したのですが、そこからも数冊出版していました。その本、ないかなぁと。うちにも著者用に出版社から送られてきたものがありますが、それももう、在庫が尽き、人に差し上げるときも、最近は買っていました。出版社が止めてしまったとなれば、入手困難で、それこそ、アマゾンでも、プレミアつきで買わなければならないのです。まあ、わたしから言わせれば、そんなつまらない本を、定価より高くは買いたくないので、あったら買おうという感じで。

 1冊、棚にありました。(↑写真)売れる本じゃないから、ほっといたって大丈夫なのだけど、一応、確保。レジで、親切なおねえさんの店員さんが、言ってくれました。

 おねえさん「この本、背表紙がちょっとだけですが切れていますが、今お調べしたら、新宿西店に同じ本があります。お取替えしましょうか?」って。
わたしは、それには及ばないということと、その在庫も確保してもらえるように頼みました。そして、軽く事情を話すと、それではと、全国の紀伊國屋の在庫を調べてくれ、結局、北は札幌、南は博多から、父の本を全部、この本店に集めてくれることになりました。かなりな冊数でしたが、おねえさんの親切にはとても感謝です。

 別に、ベストセラーでもなんでもない、ただのつまらない専門書なのですが、こうした本を書いているときの父の姿を思い起こすと、わたしにとってもいとおしい本です。1冊の本を書くには、ものすごい量の本を読み、勉強し、新しい論文にも目を通して、間違いのないように神経を使っていました。出版して数年たち、地方都市の本屋さんにあったということは、そろそろうちに戻ってもいいよということ、と解釈しました。うちに戻れば、また、活躍の機会があります。ちなみに、この本の著者近影も、わたしが撮りました。漱石じゃないけれど、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしている父を微笑させるのに、苦労しました。

 今週末は基礎水泳指導員試験があります。もう、ひと月半以上、まともに泳いでいないわたし。もう、どうでもいいという気になっています。いま、とにかく仕事に打ち込むことだけ。もう、どうでもいい。それより、このごろよく、母のことを思い出します。会いたい。生前、あれだけよく話し尽くした母でしたが、それでも、まだ、会って話がしたい。今のわたしを、母はどういうふうに思っているのか知りたいなと。ふとそんなことを。

 「疲れた」は、仕事でも私事でもタブー。なるべく使わないように心がけていますが、ここだから、本当のことを言います。もう、ほんとに精魂尽き果てました。人を愛するということに、こんなにエネルギーを使うなんて初めて。ボロボロです。

ビリーヴ2008年02月02日 23時59分59秒

 「おばさまも、絶対来てね。」
こう言われているうちは、絶対チャンスをのがすものかと、姪っ子1号の学校参観に行ってきました。1~5時間目までのいちにち中、どの時間を観てもよい参観です。

 算数、国語、そして音楽の授業を参観。音楽の授業のとき、3曲のうち、どの曲を歌うか、担任が生徒に挙手させました。ビリーブを歌いたいという子が多い反目、他の歌より、うる覚えな子がいて、担任はビリーヴは止めようと言ったのです。が、こういうとき、さほど自己主張をする1号ではないのですが、今日はどうしてもビリーヴを歌いたい組になっていました。そうしたら、この女性担任は
「ビリーヴってどういう意味か知ってるの?」と、半ばバカにしたような言い方で生徒に質問。

あ~あ、わたし、この担任、ハッキリ言ってキライなんです。本採用になって1年目の女性。真面目で、たぶんお勉強もいっぱいしてきて、おとなしい感じで。でも、そう思ったのははじめのうちで、妙にヘンな自信があって、謙虚さのないことに気付きました。まったく笑顔もない。この先生、ヘンだと言い出したのは、わたしが最初。もちろん子どもには言っていないけど。そんなことより、苦手なピアノを練習して、子どもの歌の伴奏を、テープじゃなく先生が弾いてよと言いたかったです。テープで歌うんじゃ、カラオケとかわらないじゃない。

ま、それはさておき、結局ビリーヴを歌うことになったとき、姪っ子1号は、一瞬、クルッとわたの方を向き、「おばさまが好きな歌だから・・・・・・。」と言いました。

ハッとしました。彼女を車にのせて運転しながら、ビリーヴを聴いていたことがあって、そのときわたしは、「この歌好きなの。」と、いちどだけ彼女に言ったことがあります。それを覚えていてくれたのでした。おそらく、このところ、元気のないわたしを、幼いながらも、肌で感じていた彼女が、今日はこれをわたしに聴かせたかったのだと思いました。

ビリーヴの2番の始めの詩が特に好き。

“ もしも誰かが君のそばで 泣き出しそうになったときは
黙って腕をとりながら 一緒に歩いてくれるよね ”

これは、そうするほうであっても、されるほうであっても、かくありたいと思います。つらい思いをしている人には、せめて心だけでも寄り添っていたいし、つらい思いをしているときは、具体的な何かではなく、心を寄り添っていてもらいたい。肉親のわたしが言うことではないかもしれません。でも、ちょっとだけ。確たるポリシーがあったわけではないかもしれませんが、1号はまさに、わたしにそうしてくれていたのではないかと思いました。

と同時に、何かを主張する人には、その背景に、もしかしたら深い思い・理由があるかもしれないということを、頭の片隅に置いておくことができる者でありたいと思い、まさに大人のわたしが教えられた参観になりました。

それと・・・・・・子どもは宝、天使、何といっても、言い尽くせない。わたしも今日ほど、早く自分の子が欲しいと思った日はありませんでした。

ソプラノコンサート2008年01月08日 23時59分59秒

今日は、来週末のコンサートの宣伝をします。

ソプラノ歌手 嶋貫美智代(しまぬきみちよ)コンサート
       ~アリア・カンツォーネ・唱歌など~

日時:2008年1月19日(土) 14時~

場所:かつしかシンフォニーヒルズ  アイリスホール
    http://www.k-mil.gr.jp/calendar/iris.html
    東京都葛飾区立石6-33-1
    最寄り駅:京成線 青砥駅 徒歩7分

地図:http://www.k-mil.gr.jp/access/sym_access.html

チケット:当日券 ¥1000 当日会場にて

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嶋貫美智代(Michiyo Shimanuki) プロフィール

メゾ・ソプラノ時代、藤原歌劇団等のオペラ、各種コンサートに出演。畑和子に師事し、2回のミラノ短期留学。ロッシニアーナを経て、ソプラノ・リリコに転向。91年より11年ミラノ留学。R・グアリーニ、A・カンビ、G・バルサンティ、V・ボローニ、F・フェラーリス、D・マッツォーラ、E・マッツォーラ、G・ムリアルド、F・アルバネーゼ各師に師事。イタリア各地やスイスでコンサート出演。

フランチェスコ・フェリフォーネ国際コンクール2位。
イゾル・ボロミー国際コンクール2位。

帰国後は、「ベルカント唱法」普及のため、コンサート・学校鑑賞会の演奏のほか、劇団ヴォイストレーナー等として、レッスン活動。
日本オペラ協会準会員。アミーチデッラリリカ会員。「ベルカントと共に」主催。
http://members.jcom.home.ne.jp/amici/shimanuki.htm

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嶋貫美智代さんは、わたしが幼い頃からレッスンを受けているピアノの先生でもあります。2006年11月3日に行われた、「かつしか区民コンサート ディスカバークラシック2006」に出演、オペラ「運命の力」より、ヴェルディ作曲「神よ平和を与えたまえ」、オペラ「トスカ」よりプッチーニ作曲「歌に生き、愛に生き」を歌い、土田京子氏講評のもと、アイリスホールを一日使える奨励賞を受賞し、今回のコンサートの運びになりました。イタリアでオペラ歌手として研鑽を積むこと足掛け11年、ベルカント唱法による、美しい歌声をお楽しみいただけたらと思います。
当日、わたしも、1番弟子として(優秀な弟子と言う意味ではなく、嶋貫美智代さんの初期からの弟子として)お手伝いに伺う予定です。オペラに興味のない方には、何だかわけのわからない曲目など書きましたが、実は、わたしもあまり詳しくはないのですよ。ただ、歌は、どんな言語で歌われていても、あるいは、詳細な意味がわからなくても、洗練されたよいものならば、癒され、感動し、明日への活力になるものです。詳しくなくてもいいのです。平服で充分!それより、縁あって、わたしのブログを読んでくださり、このページを開いてくださった方に、気軽にお越しいただければ、わたしも、どんなに嬉しいことか。当日、わたしに会ったら、どうぞお声をかけてください。わたしもキョロキョロしながらお手伝いしています。また、わたしの顔を知らない方も、わたしが当日会場におり、お越しいただいたことに感謝しておりますこと疑わずに。おひとりでも多くの方に、嶋貫美智代さんの歌を聴いていただき、応援していただければ幸いです。土曜の午後のひととき、ご家族さまと、ご友人と、あるいはおひとりでじっくり楽しむのも素敵です。

みなさまのお越しを、心からお待ち申し上げております。

感性が冴えてきたかも2008年01月07日 23時34分07秒

テトラ包みのクッキー
 やっと今日から仕事。今朝は6時前に家を出て、オフィスには7時過ぎに到着。今日もわたしが一番で、とにかく、コーヒーを飲みながら、まず一仕事しました。みんなが集まったところで、年頭の挨拶をして、延々と続き。わたしの仕事には、年末、年始の区切りはないので、一気にフツーの生活になりました。

 早めに退社。午後は友人と会いました。わたしがこのところ、元気がないのを心配して誘ってくれたのだと思います。彼女のさりげなくさしのべられる手には、ほんとうに助けられています。そして、彼女といるときは元気になれる。こうして、だんだん、普段の自分を取り戻していかれそうです。

 夕方、この友人とお茶を飲んだのですが、家に帰って、ふと、義叔母のことを思い出しました。義叔母が彼女と似ているとかいう、物理的なことではなく、観念的なもの。どこかで感じたことがある何か・・・・・・なんだろう。どこかで経験したことがある香り? 彼女が手にしていたカフェオレボウル? なに・・・・・・? これってデジャヴ?

 そうだった、義叔母は、わたしなんかと違って、おっとり、ゆっくり、品のよい人で、コーヒーも、わたしみたいに、苦いブラックを好んだのではなく、あくまでも上品に、カフェオレを好んでいました。その香りだった。そして、言葉は少ないけれど、感情深く相手を思いやり、決して仕返しということをしない人でした。今日の友人に、義叔母を感じたわけではありません。ただ、何というか、観念的なもの、友人の人柄に、義叔母のような、人を肯定し包容する、そういう精神を、後から感じたのでした。この彼女は、もうすでに、わたしにとって、かけがえのない人なのだと思いました。

 今日の写真は、その彼女とお茶した喫茶店の“みずほママ”が、お年始にと言って、帰りに手渡してくれた、ママお手製のクッキーが入った、これもお手製テトラの袋。この三角錐型の袋を手渡されたときも、ふと懐かしい香りを感じたわたし。何だろうと思っていたら、これはすぐに思い出しました。以前パリを旅行したとき、美味しそうなケーキ屋さんで一つだけ自分用にケーキを買ったら、素敵な包み紙でこのテトラ型にケーキを包んでくれて、手渡してくれたのでした。 今日、みずほママは『中身はクッキー1枚だけよ。』と言っていたけれど、この包みの中身は1つでなければならない。ママも、フランスではこういう包み方をするのを知っていたのだわ。丁寧に赤い糸で縫われたお手製包み。開けるのが惜しくて、写真におさめました。そういうわけで、このクッキー1枚の為に、夕食後、久々にきちんと紅茶を淹れました。

『料理旨い』は何よりうれし2008年01月02日 23時33分17秒

神田明神 初詣
 今年のお正月の準備は、おもにおせち料理ですが、ほんとーにまったくひとりでやりました。いつもは、妹と分担するのだけれど(といっても、彼女は煮物だけ)、この暮正月は、姪っ子1,2号とも、女子医大の救急にかかるということになって、妹はとてもそれどころではなかったから。実は、今も、1,2号ともに、女子医大の救急に行っています。

 そんなわけでで、とにかく作りました。わたしは、何がなんでも、お正月の料理は、買わないで作ると決めています。どんなに具合が悪くても。ただ、今年はわたしも風邪をひいてしまい、たったひとつ、栗きんとんだけは作れませんでした。まあ、祝い三膳といわれる『田作り、数の子、黒豆』だけは欠かすことなく、あとは、今年は筑前煮をしてみました。

 今日は叔父が来たのですが、このグルメな叔父に、田作りと筑前煮を、特に褒めてもらえました。『もう、準備万端だな。』と。そう、準備万端なんです。

 いつもは愛車『ハリヤー』で来る叔父ですが、今日はお酒が飲みたいとのことで、電車できた彼を、車で送っていきました。昨年、義叔母を亡くして、なんとも寂しいお正月だったろうと、ちょっとわたしも胸がいっぱいでした。

ところで、今日の箱根駅伝の往路順位はどうだったんでしょう?この駅伝、父と今日来た叔父の母校であるW大、わたしの母校C大が、だいたい毎年出場するので、今日の応援者が2対1になり、わたしは分が悪くなりそうで、テレビをつけませんでした。気になるところです。

 写真は、昨日の神田明神・初詣。この次は、担ぎます。